中央区日本橋浜町の明治座には一度しか行ったことがないのですが、
劇場前の清洲橋通りはよく通る道です。
ゆったりとした道幅で、5車線もあるのに一方通行という変わった道路です。
「なんで対面通行じゃないんだろう」と、ずっと不思議に思っていた道でした。
これは謎がある。
古地図を見てやはりと思いました、昔ここは川でした。
川の名前は浜町川と言って、戦後埋め立てられてしまったそうです。
絵葉書が「浜町川」と白い建物が明治座⤵
下の地図は、大正2年 ( 1913年 ) のもので、今は無き浜町川がハッキリ書かれていました。
地図番号:001024934、資料名:東京市全圖番地入、年代:1913(大正2)
『橋』という字の隣の◎マークが明治座です。
ちなみに浜町川を下った中洲にもうひとつ◎マークがあります。
ここも昔人気があった芝居小屋で真砂屋です。
中州と真砂座の話も面白いんですけど、それは、また別の機会に。。。
浜町という地名が正式に出来たのは明治になってからだそうです。
地図番号:002149466、資料名:日本橋北内神田兩國濱町明細繪圖、年代:1859(安政6)
この地図は、安政6年 ( 1859年 ) の頃のものです。
おやっ? この頃はまだ中州がありません。
明治座は《小笠原左衛門尉》があった場所あたりだと推察します。
グレーの部分は、町人が住んでいる町家です。
松島町とか難波町、高砂町と、地名がついている灰色のエリアは、町人が住んでいた町屋です。
日本橋について調べていたら、どストラスクのウォーキングサイトを見つけました。
歩き旅応援舎という団体で古地図や切絵図を持って散歩するのだそうです。
毎週一回開催している。うおーーー(笑)