唐突ですが、あるツイートから、こんなこと考えさせられました。
ものの観方、癇の障りどころって 様々なんだなぁ
件のツイートはこちら⤵
彼女があげた職業に就いた人が、美しさについて発言するとシラケるとは、困った性格ですな。あんなきれいなM・モンローだって見た目だけで評価されて悩んでたらしいし。若い溌剌とした女性の元気がいい普通の発言じゃない、ドコが悪いのか。然しこんな発言で<いいネ>を何万も貰って嬉しいのかしら。 https://t.co/ck62L26WMp
— クロ子 (@WQAORiYm9oBw5vR) 2020年6月17日
クロ子さんは知人です。
私よりちょっとお姉さんで、とても話の合う友人です。
政治経済文化に対する造詣も深く、物事を真っすぐに見つめるインテリジェンス溢れる女性です。
堅物かっていうとそうじゃない、とてもお茶目で柔軟な精神も持ち合わせている。
若い溌剌とした女性の元気がいい普通の発言じゃない、ドコが悪いのか。
私も、クロ子さんの意見に強く賛同します。
水原希子さんの発言は、私もテレビで見て知っていました。
「彼女らしい。そういう意見を持った人がいても当然だろう」という印象でした。
希子嬢の「本当に失礼」というコメントは、容姿や見た目で差別したり、偏見を持ったりする「ルッキズム ( Lookism ) 」について苦言を呈しただけの話と、私は受け取りました。
水原希子氏は「見た目」で判断・評価され、それを売りに商売をしている思うのだが、その人が「見た目で人を判断するのは絶対違うと思う」と主張するのは、よく理解できない。「私は心が美しい人が美しい人だと感じます」と言われても、「はぁ」という感想しかでない。https://t.co/By2cmgs33E
— 飯山陽 Akari IIYAMA (@IiyamaAkari) 2020年6月16日
ところが、クロ子さんや私のように感じる人をはるかに超える反対意見が、ネットに溢れました。
ツイートにツイートが重なっていく内に、論点がどんどんずれていき、しまいに希子嬢が好きだ嫌いだの話になる。ヒステリックな様に驚きました。
つぶやきと意見
ひとつの物事を、色々な角度からとらえたりすることは必要です。
老若男女、職業、おかれている環境によって感じることは様々です。
人の話を聞いて「そう考えることも出来るのか」と思うことは、人を豊かに成長させてくれます。
何が正しいとか、どれが間違っているということではないでしょうから、
意見を述べあったり、討論をするのは大事なこと。
日本人は討論が苦手だと言われますが、意見交換は人間にしか出来ない行為ですから、
うまく出来ればいいのにと思います。←自戒を込めて
今ネットで行われている行為は、自分の感情を吐き出し、石礫のようにぶつけるだけで終わっています。
希子嬢について、最初にツイートをされた飯山陽さんのコメントも、一理あります。
「ああ、そういう観方もあるのか」と思います。
但し「モデルや女優、アイドル、アナウンサー、CAといった職業の人たちが《自分の美しさを十二分に意識していない限り絶対につかない職業》」というのは、随分了見の狭い考え方に聞こえます。
《職業をひとくくりにするのは簡単だが、その枠からはみ出す人がいるのも事実だし、
そういうキャラクターがいるから面白い》と、そんな風に考えてみたらどうでしょう。
希子嬢のイメージも変わって見える気もします。
「理解できない」とか「はあ?」という感想しか持てないとしたら、
その時点で思考も議論もストップします。
飯山さんは名前を明記して、意見に責任を持っていらっしゃるところが素晴らしいと思います。
が、それに乗じた匿名の人たちが、好き嫌いや罵倒を投げつけるのは、人を傷つけるだけです。
有名人になら、何を言っても、どんなバッシングをしても、いいというものではないということを、
ちょっと前の事件で、みんな学んだはず。
ツイートは「つぶやき」ではなく、不特定多数の人が目にする偉大な力を持つツールであると考え、
ひとりひとりが、前向きで建設的な意見の出しあえる場所であったらいいのにと願うばかりです。
冒頭に書いた「ものの観方、癇のさわりどころって本当に千差万別」は、
希子嬢関連のツイッターのことだけでなく、今日読了した一冊の本でも言いたかった話ですが、
長くなりそうなので、その話はまたにします。
6月3日の朝ごはん
なんかお皿の中があばれている
メインが乗っていませんでした。
からしパン
夜ごはんは、豚しゃぶ鍋
今日買ってきたジャンボパック1,000円の豚肉、大正解です。
麦小町と書いてある、覚えておこう!
食べ終わったあとのおつゆも宝物。
明日はこれが美味しい雑炊のもとになります❤