桜丘すみれば自然公園に関連して、植村傳助さんのことを調べてみました。
植村傳助さんは、世田谷区桜丘にある「桜丘すみれば自然公園」の敷地の所有者だった人。
お父さんの家督を相続し「傳」を襲名、大正時代に羅紗商として成功された方です。
シュウウエムラ化粧品の創業者・植村秀さんのお父様です。
氏は高額納税者として世田谷の名士であり、
広大な邸宅は、武蔵野の風景を再現するという構想のもと昭和初期につくられ、
その庭園は氏が亡くなられた後も、ご家族によって守り育てられてきました。
それがあの「桜丘すみれば自然公園」の敷地だったんです。
庭園の跡地は造園家の戸野琢磨さんと小形研三さんによるもので、
両氏は豊島園とも関りがある人です。
あらやだ、また興味ある人と興味ある人が繋がった⤵ やだってことはないです w
※ 豊島園…練馬城跡で、藤田好三郎が土地を入手したのが1917年。東京では初の子供向けの近代的な遊園地にするべく、戸野琢磨が担当。1926年造成着工し一部開園。
1927年より94年間営業を続け、2020年8月31日をもって閉園した。
植村傳助さんはどんな方だったのか
植村さんの写真など、ないだろうかと探しましたが、流石に見つかりませんでした。
でも、凄い資料を見つけてしまった。
個人情報保護法が制定された現在では考えられないようなものです。
人事興信録という資料なんですが、貴族や政治家、高額納税者などの情報が列記されているものでした。
デジタルコレクションで誰でも見られる文書なので、
ここで紹介しても差し支えはないものと考え、記します。
人事興信録. 第14版 (1943年)
291ページ
人事興信録. 第14版 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション
植村傳助
植村商店 代表、羅紗婦人服地商 東京在籍
継母 ゑん 慶應3 、8生、東京 中澤喜三郎姉
妻 廣子 明治30、6生、子爵 諏訪忠元二女
男 傳 大正10、6生、慶應大学予科在
男 寛 大正12、7生、成城高校在
東京府先代傳助の長男として明治20、3月生。同42年家督を相続し傳を改め襲名す。同年慶應義塾理財科を卒業し現事前記会社の重役たり。尚、三男 佐 (大14、6生、慶應大在 )、四男秀 (昭3、6生 ) あり、弟 龜次郎 (明29、4生) は分家し、妹テル (明20、3生) は東京府 關幸重に嫁す。
東京市世田谷区世田谷 五ノ三二〇五
こちらのデータベースは、第8版で、上記より20年前のものです⤵
昭和3年 ( 1923 ) 7月の情報なので、四男の秀さんの名前はありません。
因みにこのデータベース、名前を入れると検索できます。
貴族や政治家、高額納税者や土地の名士なども載っています、
もしかしたら皆さまのおじい様も載っているかも。。。
【おまけの話】
藤田好三郎さん、載ってるかな?
もちろんありました!
本人の生年月日は勿論、家族の生年月日から、婚姻関係、親戚から、経営していた会社から、自宅の住所から、電話番号まで全部記載されている。
昔は個人情報もなにもあったもんじゃないんですな。
このデータベースのお蔭で、
以前、中野の住宅地図でわかった藤田さんのお宅が、正解だったとわかりました。
【おまけのおまけ備忘録】
今、この本を追跡中。
寒灯社というところから出版されたらしいのですが、自費出版なのか見つかりません。
「植村家の庭園」
出典:ヤフオク
本日のごはん
11月30日のご飯は、何も作れませんでした。
朝はミューズリー、夜は大勝軒のお弁当 こんなん ⤵
左脚の膝裏がまた痛くなってしまって、動けないのです。
昨日、新宿の町をちょっと歩いただけなのに。。。。
もう、わたしは、かまくらの、尾根歩きができない身なのか。。。。
整体に通うことにしました。
うーんと落ち込んでいます。しゅん