Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「植村家の庭園」という本

 

ずっと探していた『植村家の庭園』が手に入りました。

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世田谷の「桜丘すみれば庭園」の敷地の所有者だったご家族が出した本です。

自費出版の本なので、なかなか手に入らなかった。

 

中身は かつて植村家の所有だった頃の庭園の写真が主で、

造園当時の写真や、古いお家の写真が収録されている他、

植村家の当主の話や、庭園を造ったいきさつなどの話も書かれています。

 

その中に一枚、私が一憧れていた建物の写真もありました。

門の右手にある白亜の建物なんですが、当時には珍しいモダンな建物でして。

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ガラス張りの1~2階の吹き抜け部分に階段が見え、

そこに人影がチラリとよぎったのが鮮烈な思い出です。 

 

敷地奥全く見えないので、私の憧れは門の右手の建物で、

50年ぶりにこの写真を見て感動しました。

 

 

庭園の変遷

「植村家の庭園」によると、

植村傳助さんは小石川区久堅町に初代が構えた720坪の屋敷に住んでいらしたのを、隣地の東京府女子師範学校 ( 現・東京学芸大学 ) 付属小学校の敷地を拡張するための用地として収用したい旨の要望を受け、世田谷に移転したそうです。

 

東京市小石川区地籍台帳 ( 昭和6年 ) ⤵

東京市小石川区地籍台帳(昭和6年)[827] | 文の京デジタル文庫 | 文京区立図書館

http://dl.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/media_files/original/880.pdf?uid=20201210113546

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小石川区久堅町というと、現在の文京区にある伝通院のそばだな。

あった、あった!

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東京市小石川區全圖 : 番地入|所蔵地図データベース

図書館資料ID 004922811 明治40年 ( 1907 ) の地図

 

 

譲渡したのは、昭和9年。

昭和22年の航空地図では校舎になっています。⤵

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移転地を求めて植村氏が歩いたのは、成城、永福町、田園調布等の東京西南部でした。

郊外に武蔵野の風情を持つ庭園を造る構想を持たれ、6,000坪程度の敷地を探していたのですが、件の候補地は道路区画の整った街だったので、数千坪というまとまった敷地がありません。

そんな折、ふと下車した千歳船橋に砧ゴルフ場があることが頭に浮かび、散策のつもりでゴルフ場方面に歩を進めたところ、いかにもひなびた道の先に、小高い丘があり、そこから砧ゴルフ場が見渡せました。ゴルフ場の広々とした芝生の彼方には丹沢、大山などの山並みの後ろに富士の姿があった。

その小高い丘の場所が、世田谷区桜丘だったのです。

 

因みに、

桜丘から砧ゴルフ場までは歩いて20分、距離にして1.6㎞あります。

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その距離が見渡せたというのだから、

当時は本当に何もない畑ばかりの地だったのでしょう。

 

当時の桜丘

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植村氏は結局、世田谷区世田谷5丁目2578番地 ( 現・桜丘4丁目23番地 ) に、

5,640坪の土地を買い求め、

建坪270坪の家と、武蔵野の風情を思わせる造園に着手しました。

 

洋館のついた屋敷の写真⤵

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昭和20~25年頃の航空写真

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上の写真、畑の真ん中にある樹木で囲まれた敷地が植村邸ですが、

 

昭和36年 ( 1961 ) 植村傳助氏他界のより多額の相続税が課せられ、

東側3,300坪を売却し、半分の広さになりました。

 

昭和36~39年頃の航空地図

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半分の広さ、といっても2,300坪です。

敷地にあった家屋は解体され、新しい母屋と 3人の息子さんたちの家 ( 計4棟 ) が建てられました。

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私が憧れていた門の右手の建物は、息子さんのどなたかの家だったようです。

 

 

件の本には、造園の際の古い写真や、美術品も収録されています。

美術品は、植村氏の妻・廣子さんが実家から持参されたものもあるようです。

廣子さんは諏訪忠元さんの二女。

諏訪家は天皇家・出雲の千家(せんげ)家とともに日本古三家と称される家柄なんだとか。

 

祖父は、Wikipediaにも載っている諏訪忠誠 ( 写真左 ) 氏。

父・忠元 ( 写真右 ) 氏は、柴田藩11代藩主・溝口直薄の5男で、忠誠氏の三女・はるの婿として家督を相続し襲爵仰せつかり、芝大神宮 と芝東照宮の社司を務めた人。

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当時の藩士や子爵の息子たちは長男以外、色々な家の婿養子になっていたようで、

Wikipediaや、『人事興信録』データベース など調べると、パズルのように繋がっているから面白い。

今回も、植村家と諏訪家という婚姻関係に始まって、色々な血縁・婚姻関係がわかりました。

諏訪家のことは、傳助氏の三男・佐さんが『諏訪高島城』という本を出しています。

それも読んでみたいが、今回は我慢しないとなぁ。なぜか、わかりますねん。

 

また。

「植村家の庭園」には、植村家の人たちの書かれていました。

初代傳助氏の商売の話や、二代目傳助氏の人となりも大変面白かったです。

自費出版ではなく、図書館などでも手に入る本でしたら、ご紹介したいところですが、

どこまでプライベートとするか微妙なところなので、内容はさし控えたいと思います。

 

 

 

本日の朝ごはん

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本日の夜ごはん

かぼちゃの煮つけと、鶏軟骨のつくね でスタート

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北海道産のかぼちゃは本当に美味しい。

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鶏軟骨、鶏もも肉、大葉をフードプロセッサーでミンチにして焼きました。

味付けは、フープロ時のインカの塩のみです。

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もう一品追加!

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牡蛎とニラのバター醤油炒め

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牡蛎に米粉をまぶし、フライパンでソテーします。

表面がカリカリになったら、バターを10ℊほど入れ、ニラを投入し、

オイスターソースと少量の醤油で味付けしました。

ふっくらとした牡蛎と、ニラが美味しかったです。