現在、頭の中の かなりの部分を占めているのが「天誅組」のことである。
キッカケは、松野文彦さんの記事だった
松野文彦さんは、奈良県を中心にした史跡を探訪して記事を書かれているブロガーさん。
松野さんのブログには、若い女性にみられがちなネタ探しのための名所探訪はひとつもない。
全てが《前々から大切に温めていて来たかった場所》の記事である。
松野さんは語彙力が高く、その文章は臨場感に満ちている。
感情に流されることが全くないのに、松野さんの感動がひしひし伝わってくる。
特に、今回アップされた【奈良県東吉野村】天誅組終焉の地は、素晴らしかった。
「松本奎堂先生 戦死の地」を訪ねて雪の斜面を登っていく場面では、同行している気分になった。
天誅組のことを何ひとつ知らないのにワクワクした。
人っ子ひとりいない山奥に分け入っていく様が私に、鎌倉の尾根歩きを思い出させた。
雪のつもった粗末な丸太橋を渡られる時の、
「無事渡ることができるのか」「穴などあいてはいないのか」という文章に、
ハラハラする独り歩きの楽しみが蘇り、胸が高鳴った。
松野さん、すみません。
無断で写真をお借りしてしまいました⤵
奈良県は私にとって未知の場所だ。
古墳や史跡に関心はあるもののなかなか訪れる機会がない。
コロナが落ち着いたら是非に行きたいと所のひとつだが、
その前に「天誅組」のことをもう少し深く知っておきたくなった。
とりあえず読み出したのが、大岡昇平著『天誅組』
読み進むうちに「天誅組」が「倒幕の先駆け」のような存在であることもわかってきた。
京都の政変がなければ彼らは賊軍にはならなかっただろうし、
もし代官鈴木源内を殺さず、代官所を焼打ちしなかったなら、政変を知った段階で矛先を収めて引き返す道もあっただろう。
歴史に《もし》を持ち出しても意味はない。
がしかし、運命に翻弄された人は存在するし、ボタンの掛け違いによって悲運の道を辿る人もいる。
彼らが何故その道を辿らなければならなかったのかを、文献から読み解けた暁には、
私も天誅組終焉の地に立つことが出来るのだと思う。
まずは、大岡昇平『天誅組』を、
時間が許せば菊池寛の『天誅組罷通る』、植松三十里『志士の峠』なども読んでみたいと思っている。
天誅組のことがわかりやすく書いてくださっているサイトさん⤵
本日のにゃんこ
陽だまりの中、ぬくぬく御機嫌のハタボウ
本日の昼ごはん
二日目のおすいとん
昨夜よりも味が落ち着いている
本日の夜食?
カツ丼