Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

天皇の世紀より天誅組をみる

 

天誅組関連の本を二冊 ( 大岡昇平と菊池寛 ) 読んでいて、

「あの人の本にも記載があるはず、読んでみよう」と思った。

 

大佛次郎 著『天皇の世紀』

森鴎外著「堺事件」について - garadanikki

村上豊さんの挿絵 - garadanikki

 

『天皇の世紀』は、幕末から明治維新頃までの歴史を知る上で大切な書籍。

私はこれを資料として活用している。幕末のことで何か知りたいことがあると、その事柄が載っているであろうところを拾い読みしている。

 

今回は、第七巻 義兵にその記事はあった。

 

 

『天皇の世紀』の良いところは、コンパクトに史実がまとめられている点と中庸をいっているところにある。大佛さんがこの本を仕上げるためには、かなり多くの文献を紐解かれているのがわかる。

 

例えば今回も、「官武通記」の和州騒擾始末の部分を引用されていたり、高取城攻撃の談では、高取藩側から見た戦況を、藤井十平 著『義士攻高取城記事弁騒書』から引っぱってきている。

 

今回の天誅組の話は特に、天誅組に生存者が少なく資料も限られてしまう。

『大和戦争日記』を残した半田門吉も、中山忠光一行の逃亡の際に船中で書き綴ったもの。

伴林光平の『南山踏雲録』も、捕らえられた光平が処刑されるまでの獄中で書いたものだ。

 

光平は、本陣と別行動の時期もあり、半田門吉も山中を逃げる忠光一行 ( 主従七名 ) の戦況を、忠光大将ひとりが奮闘したように脚色していたりするので、史実としては不足も多い。

例えば こんな風に⤵

無事に脱出した七人の中の半田門吉の「大和戦争日記」は、鷲家口合戦で主将中山忠光が示した勇気ある行動を描いている。

 

「中山大将は只一人、衆をひきいてありしが、忽ち ( 敵を ) 斬り殺してあかしを奪い取りて、直ちに道を進み給う。此所の陣所は味方より火をかけて焼き討ちにし、紀州勢またこの時味方大半散々に相成り、旗本勢僅かなれども、大将頻りに進み給う。跡にて奪い給いし灯を持って只一人、五、六十人群がりたる敵中へ、つと駆入り給う。太刀を振り、二人を前に斬り倒して、尚、七、八人に手を負わせて荒れ廻られけるに、敵兵狼狽し、右往左往して逃げ去りぬ。」

 

これでは大将ひとりが強くて、斬死した部下が散々なことだが、少人数で共に生き残った仲だったから、忠光を勇気あるものと記録したので、事実は忠光は戦闘に出ていない。

大佛次郎 著『天皇の世紀』第七巻 p.29より

 

大佛次郎は、門吉の日記をこのようにも書いている。

表現が常套的で軍談風の臭気さえあるのは、突破して生き残ろうとするのに急で、周囲を見る余裕もなかった空隙を無理に埋めたせいであろう。

大佛次郎 著『天皇の世紀』第七巻 p.27より

 

 

生存者が少ない上、軍記を専門に記録する役目の者もいない天誅組の有様を書くには、

他の事例にも増して沢山の文献を収集しなければならなかったと思う。

そうした意味でも、引用元を細かく記載し明確にした大佛次郎の本著は、私にとって信用できる資料である。

 

 

半田門吉|人物から日記を見る|国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

dl.ndl.go.jp

 

 

 

 

 

本日の昼ごはん

とろろでご飯

 

 

本日の夜ごはん

新しい芋焼酎を飲んだ。

女性の杜氏さん ( 焼酎も杜氏というのでしょうか? ) が作ったものらしい。

とても柔らかく、繊細で飲みやすい焼酎だ。

 

これが合う!

やりいかのゲソを甘辛に炒めたもの。

 

茶色の代物は、お好み焼きのように見えるが、お揚げさんチーズを焼きすぎたもの。

スープは、鶏ベースで春菊。