この所、天誅組に夢中。
左が大岡昇平 著『天誅組』、右は菊池寛 著『天誅組罷通る』
大岡さんの方は、この全集7巻一冊全部のボリュームで地元の図書館で借りたもの。
それを1/4ほど読んだところに、隣区にオーダーした菊池さんが届いたのでそれを優先することに。
天誅組について
天誅組については、松野文彦さんのブログに明るい。
興味を抱き知れば知るほど『明治維新の先駆けとなった人たち』であることがわかった。
そして《当時の志士たちの命運は紙一重》なのだとわかった。
明治まで生き延び名を成した人と、志なかばで斃れた人との違いは紙一重だ。
ほんのちょっとしたタイミングのズレ、政変に乗れたか乗れなかったかで違ってしまう。
生きのびた方は、明治維新の功労者として爵位も与えられたりしている。
しかし同じ維新の功労者でも、少しだけ思想が違っていたり、時期尚早だったりして
暗殺や処刑、討伐の対象者になった人の方が多い。
中には吉田松陰や坂本龍馬、武市半平太など死しても名が残る人もいる。
しかし多くは人口に膾炙することもないまま、ひっそりと墓に眠っている。
天誅組の人たちも、まさしくそれである。
もちろん地元や、歴史に詳しい人には知られているけれど。
天誅組の人たち
天誅組の終焉の場所や、志士たちの故郷などには墓碑や慰霊碑がある。
その一つが、松野さんが訪ねた訪ねた吉野村だ。
上空から見ると、こんなに深き山奥まで分け入って最後は亡くなったのか。
はからずも、大岡版と菊池版を併読したことで、ことの経緯が反復して頭に入った。
登場人物も多く混乱したり迷子にもなったが、主要人物のキャラクターは大体つかめた。
幕府から天誅組の討伐の命を受けた各藩にもそれぞれの思惑や事情があることもわかった。
全ての人が天誅組を《悪》と思っていたワケではないのである。
天誅組の同じ尊王思想を持っている人も多くいたワケで、
「幕府の命令だから」と、仕方なく討伐に参加した藩もあった。
例えば、津藩と天誅組の渋谷伊予作とのエピソードが愉快だ。
天誅組の総裁・吉村寅太郎の命を受けて、敵方・津藩 ( 藤堂 ) の本陣に遣わされた渋谷伊予作という人物の話である。渋谷は吉村から、敵の主将・新七郎と面会し、大儀を説いてこいと言われた。
菊池寛のそのシーンがすこぶる痛快なので書き出してみる。
渋谷伊予作は、敵陣におしかけ口上書きを渡す。
大義を信ずる者は、何者をも怖れない。天朝のために一命を捧げた彼らにとっては、他は不正不義の徒として見えないのである。既に逆賊視されていながら、討伐軍たる藤堂に対し ( 官軍へ敵対致し候様にも相見え ) とは、何等の自信ぞ! 何等の気迫ぞ。これは藤堂をからかったといよりも、彼ら自身の衷心よりの主張であったのだろう。
六
藤堂の陣へ使者に行った渋谷は、天誅組では池田謙次郎などと、忠光の小姓役を勤めていた。それは、彼が常陸土浦藩に仕えていたとき、藩主のお側衆を勤めていたからである。筋骨隆々たる六尺近い立派な若武者で、この時二十二歳、刃渡り三尺三寸、重さ一貫八百目の太刀を差していたというから、その武者振りは想像出来る。黒紋付の上に陣羽織を着、槍を持たした若衆を連れ、堂々桜井寺の藤堂の本陣に乗り込んで来て、
「藤堂新七郎に、御意得たい!」と、案内を乞うた。
その大胆不敵な態度に、圧倒されて藤堂家は、鄭重に取り扱い酒肴を出して饗応し、渋谷が油断したところを大勢かかってからめとろうとした。
渋谷は、「謀りおったか! 卑怯者め」と、叫んで格闘した。
( 腕力は、百貫を軽しと為す ) と、云われた強力であったが、何分相手が多いので、衆寡敵せず搦めてしまった。黒紋付を脱がしてみると、下着の白小袖に野晒を描いて、背に、
天実照覧。布衣誠興。七生減レ賎。捨レ生取ㇾ義。
と、、書いてあったので、彼をだまして捕らえた藤堂家の連中も、今更ながら、渋谷の誠忠に感じて、幕府に対して赦免方を申請したが、許されなかった。
藤堂家では、よほど天誅組を恐がったとみえ、彼を伊勢古市に送るのに、長持の中に入れ、十五六にんの同勢が槍鉄砲で物々しく警固して行ったといわれている。
渋谷は、すでに観念して、
よしあはれ枯野の露ときえぬとも たまは雲井に有明の月
と、いう歌を警固の人々に示し、少しも怯くれた様子はなかった。時々は、長持の中から高いいびきの声がきこえたという。
渋谷の行動などを見ると、いかにも軽率のように見えるが、大義を信ずる彼らにとっては、怖いものがなく、虎尼に入って藤堂家の君臣を説得して、大義に就かしめようという烈々たる信念からやったことで、従って信を敵の腹中に置くつもりで、何等の警戒もなしに藤堂家の歓待を受けたのだろう。
藤堂の連中が彼の誠忠に感動して、赦免方を幕府に願っただけでも、彼の目的の一半は達したといってもよい
又、後年鳥羽伏見の戦に、藤堂家が、いち早く幕府に官軍に走せ加わったことなども、やはり渋谷などの打って置いた捨石の力で、藤堂家の上下が、遅まきながら大義に志したためかも知れない。
菊池寛 著『天誅組罷通る』p.425より
これ以外にも、面白い話や、切ない話、憤りを感じる話が沢山あり、
何回も読んでみたくなった。
それにつけても、読みたい本のほとんどを近隣の区の図書館からしか借りれないのがもどかしい。
菊池寛全集、第十八巻には『天誅組罷通る』だけでなく、コンパクトにまとめられた『天誅組血戦』という記事も収納されていた。
両方でこんなに厚い本。
寝ながら読んで、居眠りをしたら本が顔を直撃、凄い痛かった。
本日の昼ごはん
MOURI 作 炒飯
本日の夜ごはん
なんか少ない
きゅうり、豆腐、わかめ、鶏ささみを和えたもの
奥の大皿は、摺ったとろろをソテーしたもの。
参考資料