久しぶりに鎌倉へ。
鎌倉は今年の4月、葉山の美術館に行くついでにMOURI と連れ立って来たけれど、
それは私の《鎌倉散策》の数には入らない。
私の《鎌倉散策》は一人と決めているし、あてもなく歩くことだからだ。
出発が遅かったので着いて早々にご飯を食べる。
初めての中華料理店では、五目焼きそばと決めている。
三温糖と老酒多めの照りの良い餡で、中国醤油を使っているのか色も濃い目。
好きなタイプの麺だが、表面を焦がしてないから上海風じゃない。
ごちそうさまでした 美味しかった
行先はまだ決まってない、とりあえず参道を鶴岡八幡宮に向かう。
もう16:00だわ、西日ですわ。
そろそろみんな帰る頃でしょう、露天もパタパタたたみだしてるし、、、、
この木、強風にあったみたいに 傾いている。
流鏑馬をする通りに来た
お馬さんは、左の写真の方向から来て、右の写真の方に走るんだったと思う。
目的地は決まらないが、この時間だと暗くなるから山歩きはできないし。
そうだ、御谷の先がどうなっているか行ってみよう。
大イチョウの階段を上らずに、左の細い階段から丸山稲荷社の方に出て、
西側の階段を下りて鳥居を右に。
こんなコースをたどります⤵
鶴岡八幡宮の境内の西側を北に向い、
県立近代美術館別館の前の狭い道を入っていくと、右側に広い敷地が見えてくる。
フェンスで囲まれた空き地に三つの碑文があった。
「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」見直しの記念碑
「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」見直しの記念碑
昭和63年3月、ここ御谷および鶴岡八幡宮前面東側の横町を含んで「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」が、住民の全く知らない間に策定された。しかも策定後、住民に何の説明のないまま、住民の財産権・生活圏を侵害する厳しい「現状変更制限」が開始された。
このため、御谷および横町の住民は、巨福呂坂町内会および横町町内会の全面的な支援を得ながら、「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画を見直す住民の会」を組織して、鎌倉市・神奈川県・文化庁と13年間にわたり、40回以上の粘り強い話し合いを続けた。その結果平成13年1月、住民の財産権・生活圏と文化財の保護とを両立させることを基本として「保存管理計画の見直し」とその「解釈・運用の基準」を住民参加により策定した。
これは、鎌倉市は勿論のこと、広く我が国の、今後の文化財保護および国指定史跡における保存管理計画策定の規範・指針となるものである。
このことは、市民自らがブルドーザーの前に立ちふさがることによって、御谷の自然と環境の破壊を防いだ昭和39年の「御谷騒動」を通して、我が国「ナショナルトラスト運動誕生の地」および「古都保存法発祥の地」となったここ御谷住民の輝かしい伝統を受け継いだ市民主義の成果である。 よって、この記念碑を建立して永く後世に伝える。
「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」を見直す住民の会
平成13年9月建之
国指定史跡鶴岡八幡宮境内
国指定史跡鶴岡八幡宮境内
この地域は, 「国指定史跡鶴岡八幡宮境内」のうち, 二十五坊跡あるいは
御谷 と呼ばれ, 鶴岡八幡宮寺に仕えた僧侶の住坊が営まれていたところです。 建久年間(1190年代)供僧二十五口の制が定められ, 鎌倉時代には鶴岡八幡宮寺別当が東大寺, 東寺などの別当をかねるなど, 日本仏教界の中心の一つとなっていましたが, 明治初年の神仏分離の影響を受け, 廃絶しました。
また, この地域の史跡整備に先立ち, 昭和63年3月に史跡の保存管理計画を策定しましたが, 平成2年以降住民との話し合いが行われ, 平成13年4月に住民の意見を反映した保存管理計画に改定しました。
今後は住民をはじめ, 市民の方々の協力を得ながら, 史跡の保存, 整備に取り組んでいきたいと考えています。平成15年3月 鎌倉市教育委員会
古都保存法発祥の地
古都保存法発祥の地
この地、
御谷 は古都としての聖域・鶴岡八幡宮の後方にあたり、谷戸正面の山一体は狻踞峰 と称する霊地であった。
昭和39年、この御谷に宅地開発の手が伸びるにいたり、貴重な自然と歴史的環境を守ろうと御谷地区住民と多くの市民が起ちあがり、宅地開発への反対運動を繰り広げた。 その勢いは国会も動かすこととなり、昭和41年、「古都」をもつ府県選出の国会議員を中心とした超党派の議員立法として「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(俗に「古都保存法」という)を誕生させた。
よって、当地を古都保存法発祥の地と称する。神奈川県・鎌倉市
この先に狻踞峰という霊山があるというが、さて、どこまで行かれるのか。
道を隔てて左側は宅地があります。
あの家、登っていくのは大変だろうが、眺めはいいだろうなあ。
グラスビーズ工房ですって、気になる。
さっきの看板ですが、あれは御谷騒動といって、開発業者がここら辺を買って宅地化しようとしたのを、住民が猛反対して建てさせなかったんです。
先頭にたった一人に作家の大佛次郎さんがいて、ペンの力で頑張った。
住民たちは財団法人鎌倉風致保存会を設立、全国からの募金を集め、自分たちも寄付金を出して開発予定地1.5ヘクタールの土地を買い取り、森を守った。
英国ナショナル・トラストを手本に活動したことから、同会は日本初のナショナル・トラスト団体といわれています。
この活動がきっかけとなり、日本のナショナル・トラスト活動が全国に広がっていったのです。
鎌倉の人たちの、鎌倉に対しての愛着とプライドはスゴイものです。
世間でも自分の家の近くに、ごみ焼却場とか高いビルとか建つとなると反対運動が起こったりするけれど、ここのスゴイところは「はんたーい」と声を上げるだけでなく、お金を出して ( 外部の寄付・自分たちの寄付・市にも出させる ) 土地を買い取っちゃったこと。
反対運動だけではなくここまでやるのはなかなかだと思う。
そんなこともあって、鎌倉の住民は強いです。
残り二つの碑文にも、市が策定したものを粘り強く話し合って見直しさせてしまうのだから。
狭くてなだらかな坂を上り角を二つ曲がると、素敵な門が見えてきた。
抱雲荘
こちらはは
手嶋右卿さんは昭和三筆のひとりと言われた高名な書家で、あの土佐鶴の「千寿 土佐鶴」を揮毫したことでも有名。
抱雲荘前を通って10mほど進むと、トンネルに突き当たった。
私有地につき立ち入り禁止 関係者以外立ち入り禁止と書いてある。
うーーーー 入りたい!
この先はどうなっているのだろうか。
真っ暗な先に小さな出口が見える。
出口が小さいのは、遠くだから小さく見えるのか・・・・
仕方ないね、ここで終点ということで引き返します。
もう夕焼け小焼けだもの
今来た道を
戻ります
左側がさっき碑文があった鶴岡八幡宮境内。右は宅地化が許された地域。
ということで、もう一回、さっきの丸山稲荷社の脇を抜け
上宮前から
大階段を素通りし、若宮に抜ける。
もう一つ見たい場所があるので急がないと。
ここですここここ。
物件その一 やっぱり素敵な家だなあ。
島木健作さんが最初に鎌倉に住んだ家がこのお屋敷の裏あたり。
物件その二は、売り手が決まったようで電灯がついている
この平屋は、里見弴さんの旧居 ( サローネ ) の三軒先にある物件
サザエさんの家みたいだ。
この辺は街灯もまばらなので真っ暗。
民家の軒先から「ギャンギャン」というタイワンリスの威嚇の声がする。
シマリスは可愛いが、タイワンリスは可愛くない!
とかなんとかブースカ言いながら駅まで歩くこと40分
今日は飲み会で遅くなるっていうので、帰りは江ノ電でゆっくり帰りましょう。
参考文献
方言修行 金草鞋「丸山稲荷・新宮六本杉」(十返舎一九)現代文|お江戸のベストセラー|材木座書房
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/documents/tamabayashi.pdf