Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

国会図書館で古い新聞を読んできました

 

昨日お話した『鉄道ピクトリアル』の記事だが、全文読んでも電車のことに詳しくない私にとって、

クハとかデハといったもののイメージがつかめなかった。

なので、代田連絡線を敷設した理由などの部分だけピックアップした。

 

記事でわかったポイント

  • 空襲によって、井の頭線が甚大な被害を受けた。
  • 空襲が始まった時に、ほとんどの車両が車庫に集まっていたので全滅に近い状態。
    31両の在籍車の内、助かったのは7両のみだった。
  • 永福町の車両車庫の形が飛行機の格納庫に似ていることから、こんな噂があった。
    「アメリカは建物を飛行機の格納庫と思って、こんな辺ぴな永福町に焼夷弾を落としたのだ。 
    そうでなければ下北沢あたりを残してこっちにくるはずがない」
  • 車両が足りず多線から応援を仰ぐことになったが、井の頭線は他線との連絡がなく、
    やむなく代田2丁目から小田原線の世田谷代田まで644mに、軍隊の手で連絡線を敷設した。
  • 当時はまだ空襲をうけるかも知れなかったので、住民も代替地を与えられ、喜んで立ち退いたという。
  • 連絡線が完成し、小田原線の車両の入線第一弾が入ったのが昭和20年6月。
    小田原線からの車両は計10両、国鉄青梅線から4両 の計14両を借入した。
  • 代田連絡線はその後の新車の入線その他にも有効に使用されたが、昭和28年に撤去され、用地は旧地主に返還された。

 

今週は、23 (月)~25 (水) の3日連続で国会図書館に行ったが、

初日は地図を、2日目は古い雑誌の記事を、3日目は新聞記事を収穫した。

下記の新聞記事 ( 東京スポーツ 1951年8月1日 ) は、きむらけんさんが運営されている「Web東京荏原都市物語資料館」で知り、興味深かったので私も入手したく国会図書館でプリントアウトしたものだ。

 

情報元⤵

blog.livedoor.jp

 

記事そのものにも興味があったが、図書館で古い新聞を閲覧する方法を知りたかったということもある。

昔の新聞はマイクロフィルムに収められていて、それを見るための特殊な映写機にフィルムを装着する。

丁度、音楽のオープンリールのように巻き付ける方法だ。

最初は巻き付け方や、記事の拡大の仕方がわからず、司書の方に手取り足取り教えていただいた。

 

なんだかとても楽しい。

この《映写機で古い新聞を読む》というのが面白くて、次は何を読もうかコンテンツを探したくなった。

 

件の記事はプリントアウト ( これもまたデジタルをアナログにする ) にしたものを持ち帰り、それを写真に撮りデジタル化しなおしたもの。

古い新聞なので拡大の方法により字がつぶれて読みにくいので、字起こしした。

 

レール家宅を罷通る 世田谷代田にとんだ珍騒動

東京スポーツ 1951年 ( 昭和26年 ) 8月1日

 

門と玄関の間を電車が走る。線路がじゃまでガス、水道がひけない……戦争中強制的に宅地内に敷設された井之頭線代田二丁目駅と小田急線世田谷代田駅を結ぶ京王帝都電鉄の引込線六百五十メートルの沿線住民二百五名が同軌道の撤去を会社側に要求するとともに、署名陳述書を都議会、運輸省、消防庁、区役所等に提出住宅珍騒動を巻き起こしている ( T )  【写真 子供の歩いている処が線路】

 

早くはずしてくれ

京王帝都相手どり 沿線住民が強談判

この軌道は終戦直前の廿年語学廿四にち当時東急の永福町車庫が戦災のため客車が全部消失、小田急の車体を帝都線に入れるため軍の手で応急敷設されたが、強権発動をほのめかされたため付近住民、地主たちは泣き寝入りで承知した、終戦後は当然撤去されるものと予想、残された宅地にそれぞれ家を建てはじめたが、その後経営が東急⸻小田急⸻京王帝都と変わったためか会社からは何等の意思表示がないので、沿線の世田谷区代田二の九〇一石塚千代さんら二百五名が、戦争中はともかく、現在では一営利会社のため多大の不便を忍んで泣き寝入りする必要がないと、この一月から署名運動をはじめ、このほど関係方面にそれぞれ要請したもの、同軌道のため起っている具体的被害をあげると

△交通上⸻宅地の三分の一から五分の二を線路にとられているため、各戸から外出するには線路を超えないと道路に出られない

△防火上⸻線路を横断する道路には踏切がないため、枕木が露出しており、自動車交通ができず火災時はポンプの活動が出来ない、このことは現場を視察した消防庁係官も認めている

△防犯上⸻通行人が宅地内線路上を徘徊して不用心極まりない、同番地渡辺?さん方では本年三月白昼強盗が線路づたいに入り留守人は危うく家屋後方の崖を飛び降りて救いを求めた

△ガス・水道⸻戦前はガス、水道が入っていたが、この線路のため全部遮断されてしまったままである

△衛生上⸻この土地は東方に傾斜しており、その中腹に線路が敷かれ、下水道が遮断されたので梅雨時には道路がドブ水をかぶる、同地三田村さん方では家の周囲が下水で埋まり、今年の梅雨時には大小便まで流れて来た

“はずせませぬ”と會社側

会社側では居住者の撤去運動が激しくなったため、五月丗一日先手をうって、運輸省、世田谷区役所等に対し同線は、車輛の急速融通、修車対策、砂利およびその他貨物の

運通のため必要であるとの三理由から廃止するどころか整備強化したい旨を陳述した、これについて住民達は、第一の緊急敷設の主目的はすでに??されている、第二の点では、戦後は線路?にたよらず支障なくなっているはずで、使用しても年一、二回にすぎない、第三の運送はこれまで??行っておらず、現在のように老朽している線路でこのような???を??することは不可能だと反論、終戦後

五か年にわたり・・・・

 

 

大失敗。

記事が途中で切れている。もう一段下にあったのを粗忽ものの私は複写し損なったらしい。

全紙をプリントアウトしたものから読み取ろうとしたが、拡大しても字がつぶれて読めない。

これはまた図書館に出直さなければだなあ。

なにやってんだか。

と同時に、私って暇人過ぎるな。

 

 

 

 

参考にさせていただいたサイトさま

幻の廃線

Web東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(4630)―代田連絡線伝説 上― - livedoor Blog(ブログ)

 

Web東京荏原都市物語資料館さんは、私の宝箱だ。

だいだらぼっちのことも、萩原朔太郎のことも、このサイトさんから知識を吸収させていただいた。運営されているきむらけんさんは、世田谷の歴史や風土のことを沢山本にされていて、地図を作られたり地元研究家として有名な方だ。

頻繁に講演や、散歩ツアーなどもやられているので、ぜひ参加させてもらいたいと思っている。

 

 

本日の昼ごはん

なぜかこれが食べたいと言い出したしとにお付き合い

 

 

本日の夜ごはん

かぼちゃの煮物と、さつまいものレモン煮 なんとなくかぶってるな

餃子の餡を作っておいたので、今日も焼きと水を作りました。

今日の餡は、ニラとキャベツ多め。

水餃子は形の悪いやつを使用 ←あまり変わらないケド (;'∀')