夏川草介 著『始まりの木』を読了
この本を読むキッカケは、つるひめさんが紹介されていたからだった。
そしてもう おひとり、よんばばさんも つるひめさんの記事を読みこの本を手にされていた。
つるひめさんとよんばばさんが紹介される作品は、いつも私の胸の真ん中を貫く。
おふたりに感化され、おふたりが紹介する本やドラマや映画を追いかけるのが楽しみになっている。
ハズレがないのだ。常に感動する作品に出会わせてくれるので本当に感謝している。
おふたりと私とは、年も近いということもあるのかも知れない。
それで考え方や興味、感じるポイントが似ているのかも知れない。
読了後すぐに感想文を書こうと思ったところで よんばばさんの記事に触れ、ただもううなづくばかり、
「あらためて書くことなどひとつもない」と思った。
だかひとつだけ、私なりに気になるポイントがあったので書き残すことにした。
本の内容はおふたりが書かれているので、いまさら書くまでもない。
私なりの というのは、民俗学について知ることが出来たことと、学者とは何かを考えさせられたことだ。
女子短大出の私は、大学生や大学院生の生活を知らない。
大きな階段教室で授業を受けたこともないし、男子学生と共学経験もない。
大きな講堂で授業中に寝ているとか、スマホを見ていたり内職をしているなど信じられない話だった。
そんな私にとっての古屋教授は、主人公の藤崎千佳と同様に輝かしい存在。
古屋先生の言動ひとつひとつに魅了されてしまった。
特に、第3章「はじまりの木」で長野の大学のシーンがいい。
私自身も授業を受けているかのような感覚で心躍った。
ちょっと長いが、古屋先生の魅力がつまったシーンなので紹介したい ⤵
古屋先生は、永倉富子教授に頼まれて、信濃大学教育学部で特別講義をすることになった。
講義を始めても、居眠りか内職に忙しい学生たちばかりだったが、最後に質問はと言われた時、いかにも面白半分という軽薄な男子学生が手をあげた。
「民俗学って、なにをやってるんですか?」
一瞬の間をおいて講義室に、失笑が広がった。
苦笑した永倉の横で、しかし古屋はにこりともしない。
学生は、古屋の鋭い眼光に気づきもせず、軽い口調で続けた。
「柳田國夫がすごい人だってのはよく耳にするんですけど、結局なにやってるのか、よくわからないんです。昔話集めたり、古いしきたり調べたりして、まあ古い物を残そうとする作業自体はいいと思うんですけど・・・」
古屋先生はこの無礼な学生に対しても寛容に、しかし容赦なく答える。
「私の研究室には、いつも的外れなことばかり問うてくる院生がいる。その点、君の方が頭脳明晰だな」
古屋の返答に、さきほどより明るさを含んだ笑いの輪が広がった。
「ちなみにその質問は、永倉教授には問うてみたかね?」
「聞きました」
「先生はなんと?」
「役に立つことを学ぶだけが学問ではない、と」
「そういう中身のない返事をしているから、民俗学は路頭に迷うのだろうな」
眉ひとつ動かさず古屋は言った。
と同時に、講義室が今度はずいぶんと派手な笑いに包まれた。
傍らの永倉は困ったような苦笑を浮かべつつも口を挟もうとしない。
「君の問いかけは、今の民俗学という学問の弱点を正確に突いたものだ。無論、永倉教授の専門は民俗学ではないからその返答もまた曖昧にならざるを得ないが、本質は、民俗学自体が、その曖昧さを解決できないまま迷走しているということにある。民俗学者の中にも、自分たちが何をしているのか、説明できない者たちが少なくないのだから」
古屋は、こつりと床をステッキで突いてから、しかし、と、にわかに冷めた口調に切り替えた。
「君の質問が正確だからといって、態度が無礼であることまで看過されるものではない。講義の最中に堂々と昼寝をしておきながら、質問だけは一人前に押し通そうというのは虫が良すぎるというものだろう」
再び講義室に笑いが広がる。
「せっかくの的確な質問に免じて、ひとつだけ確かなことを伝えておこう。民俗学は就職の役には立たん。だが君が人生の岐路に立ったとき、その判断を助ける材料は提供してくれる学問だ」
「人生の岐路ですか・・・」
「今の世の中は、何が正しくて何か間違っているかが実にわかりなくくなっている。だが君も生きていれば、わかりにくいとわめているばかりではなく、わかりにくい中から何かひとつを選び出さなければならない時が必ずやってくる。そんな時、民俗学は君に少なからぬヒントを語ってくれるはずだ」
「なんだか、難しい答えです」
「当たり前だ」
応じる声には威容がある。
「私は人生をかけてこの学問をやっている。わかりやすく答えられるような単純な学問ならこれほど手間がかかるはずもない」
古屋の応答は容赦がない。容赦がないが、姑息さもない。そのことだけは相手にもはっきりと伝わるのだろう。学生も、それ以上の質問は重ねなかった。
『始まりの木』単行本 p.130より
古屋先生は、この本の中で民俗学についてをよく語る。
鞍馬である青年と出合ったあとで、千佳にはこんなことを話していた。
古屋先生が、鞍馬で出会った青年との不思議な体験について、さして驚くこともなく受け止めているのを見た千佳はこう言った。
「先生はそういうのを信じない人かと思っていました。論理的じゃないとか、科学的におかしいとかって言って・・・」
すると先生は
「科学は、鞍馬の険しい山に線路を敷いたり、抗がん剤の量を計算することは得意だが、人の心の哀しみや孤独を数値化することはできない。数値化できないから存在しないと考えるのは、現代の多くの学者が抱えている病弊だ。こういう学者たちは、科学が世界を解釈するための道具に過ぎないことを忘れ、世界の方を科学という狭い領域に閉じ込めようとしてしまう。人間の、哀しみや孤独、祈りや想いといったものを、ホルモンの変動で説明しようと試みることは、科学の挑戦としては興味深いが、ホルモンが変動していないから、その人間が哀しんでいないと考えるのは、道化以外のなにものでもないだろう」
「かりにも世界について学ぼうとする者ならば、科学の通じぬ領域に対しても真摯な目を向けなければならない。科学が万能ではないことを知り、それを用いる人間もまた万能から程遠いことを肝に銘じなければならない。これを忘れた時、人は謙虚さを失い、たちまち傲慢になる。世界が自分の解釈に合わないからといって、世界の側を否定するような愚行さえ犯すようになる。鞍馬の秋をうまく描けないからといって、銀杏や紅葉を罵倒するようなものだ。鞍馬山には罪はない。絵描きの側の問題だ」
「研究室を出て、自らの足で町や山を歩いてみればすぐに気がつくはずだ。世界はそんなに単純にはできていない」
古屋の声は大きなものではない。けれどもその深い響きは、叡山電車の揺れる音にも負けず、はっきりと千佳の耳まで届いてくる。
『始まりの木』単行本 p.115より
民俗学とえば、私もその端くれの、さらに端くれのようなことを散歩でしていると思ったこともあった。
ところがそんな私に、痛烈に心に刺さった言葉がある。
地元の老人の家を訪ねた時の話だった。
老人の先代は、柳田國夫が松本市の浅間温泉で氏神研究会をやった時のメンバーとかなんとかで、自らも在野の民俗学者を称していただけあって、松本平中を歩き回り、道祖神の位置や規模を詳細に記録していた。
その貴重なノートを「うちにあったもゴミになるだけですから」と老人はまるごと進呈してくれたのである。
資料を手にした古屋は、千佳に対してこんなことを言った。
「松本平中の道祖神について、これは確かに貴重な資料だ。だが、ここには大事なものが欠けている。わかるかね?」
「研究の目的だ」
「何のために、これだけの資料を作り上げていったのか、という目的意識が完全に欠落している。道祖神の位置から何を確かめようとしたのか。何がわかると考えたのか。膨大な資料は資料だが、その先に何を見ていたのかが、全く明確ではない。課題も設定せず、ただ日々記録することに満足し、記録そのものについてはいつかどこかの偉い学者が役立ててくれるだろうと考えていたのだとすれば、少なくともそれは研究者の態度ではない。柳田を失った民俗学が、そのテリトリーを考古学や文化人類学に浸食され、徐々に衰退していったのには、こういう民俗学者たちの無自覚な態度があったことは否めない事実だ」
「我々は研究者だ。記録係ではない。そのことだけは忘れるな」
『始まりの木』単行本 p.149より
古屋先生は偏屈で毒舌家、助手の藤崎はいつもきりきり舞いさせられている。
だが2人はお互いを信頼しあっている。
千佳は古屋先生を尊敬し、古屋先生は千佳を可愛がり認めている、それが垣間見られるシーンを読むと暖かい気持ちになった。
古屋先生の毒舌ぶりは、こんな会話にも発揮される。
頭脳明晰で瞬発力が高く実にウイットに富んでいる、古屋先生はやはり魅力的な人物だ。
「講演ですか? すごいですね」青年が大きな目を輝かせた。
「すごくなどない。馬と鹿を集めて、声を張り上げてみたところで、まともな反応などかえってはこない。マイクを使って独り言を言うようなものだ」
『始まりの木』単行本 p.99より
本日の夜ごはん