Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

神様のカルテを読み始めました

 

夏川草介さんの本を二冊読んだところで、

代表作「神様のカルテ」にとりかかっている。

本作はテレビドラマにも映画にもなったので、

まとめ買いした古書の帯にはキャストの写真がのっている。

読む前にこういう写真を見たくはないが、自分が読み始めるのが遅いのだから仕方ない。

 

 

著者である夏川草介さんは、信州大学医学部卒業。長野県にて地域医療に従事との由。

小説の舞台は《松本》なので、著者自身の実体験や地域性が色濃く反映されていると思われる。

主人公-栗原一止 ( いちと ) の出身校は「信大学医学部」と仮名になっているが、実名は容易に想像がつく。

 

 

第一話には、主人公の勤務している病院から自宅まで歩いて帰るシーンが書かれている。

こちらの地名は実名なので、どこからどこまで歩いたかたどることが出来る。

一止さんの帰路を本文から抜き出してみた⤵ 第一話 40ページ

病院から北へ、民家の間を縫うように小道をすすめば、巨木に囲まれた鎮守の森にたどりつく。

深志神社である。

 

神社の境内を抜けてやがて駅前通り、さらに中町通り、女鳥羽川、縄手通りをわたって、四柱神社の境内をぬければ松本城がその威容を見せてくれる。

 

黒門前から内堀にそって二の丸を抜けると古格の残る住宅街が広がり、その一角に我が家はある。

下地図の赤線は、帰路のルート

赤線の下 ( 始点 ) が、一止の勤める本庄病院。

松本城の上 ( 終点 ) が、一止のアパート「御岳荘」があるあたり。

 

「病院から北へ、民家の間をすすむと深志神社がある」という場所を拡大すると

そこにはある医療施設があった。

「相沢病院」という医療施設、これこそ小説のモデルとなった病院ではないだろうか。

※ 相沢病院は、確かに夏川さんがモデルとした病院で、夏川さん自身も勤めていらした場所だとわかった。 ( 但し現在は在籍されていない ) 

【参考資料】

神様のカルテ本庄病院のモデルは原作者が勤務した相澤病院!ロケ地にもなっていた!

 

 

 

さて。

現在私は、第二巻の中ほどまで読み進めているが、とにかく面白い。

流石に大ヒットするだけのことはある。小説の世界観が癖になりそうだ。

医者の物語としてではなく、人間とは何かを考えさせられる感動的な話が続くのも素晴らしい。

 

 

ちょっと前から、私は「人間の多面性」や「人の印象は、みる人ひとりひとり全部違う」ということに興味がひかれているのだが、この本でもそれが随所に味わえている。

例えば、第二話に登場する進藤辰也の話

辰也は一止の大学時代の同期で、真面目で優秀で“医学部の良心”と言われていた親友だった。

その辰也が東京の病院から一止が勤める本庄病院に移ってくる。

一止は辰也と共に働けることを喜ぶが、着任後の辰也の評判はすこぶる悪い。

看護師や同僚からのクレームを聞き、自分が辰也に対していだくイメージが揺れる。

そんな一止に対して、副部長の小狸先生がひとこと

「厳しい世の中を生きていくのに友人というのは、まことにありがたい存在です。

 栗原先生も、あまりご友人を責めないことですよ」

 

辰也に反感を持つ同僚たち、辰也の昔を知っている主人公、俯瞰で彼らをみている小狸先生。

辰也という1人の人間に対して、関わる立場や、年齢、密着度の違いで、印象や受け取る感情が違うエピソードだった。

 

 

私の感じた大学病院の医師

本書は、大学病院についてと地域医療についても触れている。

 

第一話のテーマの主軸になる人物に安曇さんというおばあちゃんがいる。

彼女は末期の癌で、身寄りのない老人だった。

同室の患者からも、医者や看護婦からも好かれている好人物で、

一止は、大学病院なら手術が可能かもしれないと望みをかけて紹介状を書いた。

その安曇さんが、大学病院からの返書を持って戻ってきた。

「やっぱり手術は無理だそうです」

すまなそうに安曇さんが微笑んだ。小柄な体がより一層小さくなったように見えた。

返書には「手術不能と判断。本人にもすべて説明いたしました」と、じつに簡単な文章が記してあった。

すべて説明? どんな風に?

「先生には、いろいろ面倒をかけて申し訳ありません」

安曇さんは深く深く頭を下げた。その下げた頭を上げもせず、

「あと半年の命だと言われました。治療法はないから、好きなことをしてすごしてくださいと」

語尾がかすかに震えていたのを私は聞き逃さなかった。

安曇さんは今年七十二歳、早くに夫を亡くし、子供も親戚もいないひとり暮らし。

たったひとりの孤独な患者に、いきなり「好きなことをしてすごせ」と言ったのか。

どこの阿呆な医者だ!

そういう大切な話をする時にこそ、時間をかけて関係を築かなければならぬのだ。初診の外来でいきなり、よりによって「半年で死ぬから今のうちに好きなことをしろ」とは……。

101ページ

 

このくだりを読んで、私は10年前の辛い出来事を思い出した。

上田在住の義父 ( 母の連合い ) が癌になり、手術の紹介状を持って松本の大学病院に回された。

担当医はバリバリの若手。

義父の手術は開腹直後に手がつけられない状態と中止になったのだが、

その時の担当医の態度に家族は深く傷つけられた。

 

「お義父さんのことなんですけどね、喉頭から食道、大腸と転移が認められ摘出不可能なので手術中止しました。喉頭がんについては手術前に本人に説明したんですけど、どうも僕の言ってることが理解できないらしい。それで娘さんにご足労願ったんですけど、お父さんには娘さんから話してください」

 

父は口のたたない人だが、決してバカではない。

あとから父に聞くと、

担当医は瞬時に反応できなかった自分に対して、紙に「余命一年」と書いてよこしたという。

「余命一年」の走り書きに、二重の下線がシュッシュと引かれていた。

 

父は言った。

「あの医者、俺はぜったい許せない! 見返してやる、一年なんかで死んでたまるか」

温厚な父があんなに激怒したのだから、よほど辛く悔しかったと思う。

本人のみならず、その出来事は私や母の心にも一生しこりとなった。

父は、担当医の余命宣告からさらに1年3か月長く生き抜いて、2016年11月25日静かに生涯を閉じた。

 

 

大学病院にはそれなりの事情もあり、治る見込みのないものを置いておくことは出来ないのはわかる。

この本の安曇さんも、私の義父も、大学病院にとっては「もうなにも出来ない患者」なのだろうし、

そのあとを看るのは家族だったり、地域の病院だったり、終末医療施設だったりするのだろう。

だがしかし、私には、義父に対しての若い担当医の言動は許せなかった。

 

 

著者の夏川さんはインタビューでも、大学病院について書く時に「大学病院を悪役にしないこと」を一番気をつけたとおっしゃっている。実際に現場に行ってみたら、想像以上に、優れた人や敬意に値する人がたくさんいると感じた、ともおっしゃっている。

基本的に現場の人に迷惑がかからないようにという心構えを常に持ち、誤解を招くようなことだけは絶対に避けようとしている夏川さんであっても、安曇さんのエピソードは、ついついこぼれてしまった怒りのような気がしてならない。

 

 

参考文献

www.univcoop.or.jp

 

 

 

 

本日の夜ごはん

唐揚げを作りました。

今日の唐揚げは、米粉。

米粉の唐揚げは、油の浸み込む量が少ないので、

小麦粉や片栗粉よりカロリーを抑えられるらしい。