Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

個人的なお知らせとつぶやき 

 

本日はひとつ個人的にお知らせをさせていただきたいと思います。

1年に渡り病気療養を続けていた母が、3月1日永眠しました。

85歳の大往生でした。

先日から予約投稿でコメント欄を閉じていたのはそんな理由からでした。

 

このブログで、皆さまにお知らせするかどうか迷いましたが、

上田の話や母の話もずっとしてきたので、報告させていただくことにしました。

生前は、母のことをご心配いただき、本当にありがとうございました

 

 

 

 

上田は、母と義父が赴任して住みついた場所です。

私にとっては縁も所縁もない場所です。

しかし、今では第二の故郷のような愛着溢れる場所になりました。

 

上田の人はみな、穏やかで明るくて、嫌な思いをしたことは一度もありません。

母が上田を離れたがらなかったのもそれが理由でしょう。

長野県の中でも雪の少ない上田市は、食べ物も美味しく、気候の良い土地柄で、

通い続ける内に私もすっかり魅了されました。

 

・・・でも。

母が亡くなった後は、訪れる目的がなくなってしまいます。

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ホテルから見える、この景色も見納め、かな。

 

最後の夜は、寝ずの甚八に行きました。

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3月3日。

寝ずの甚八さんはコロナウィルスのあおりで閑散としていました。

店長さんは「胃が痛くなります」とおっしゃってたけど、

素敵なお店なんだから大丈夫、少しの辛抱よ。頑張ってね。

 

とても美味しくて、居心地がよくて、大好きな店長さんのいるお店だったけど、

もしかしたら、訪れるのは、これが最後かも。。。 ←店長さんには言わなかったけど。

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いいえ。

何年かしたらきっとまた、笑顔で再訪できるでしょう。

しばらくは、母のことを思い出してしまいそうで難しいけど。

 

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お蕎麦も沢山食べたなあ。

 

 

 

病院のスタッフの皆さんには本当によくしていただきました。

病院からの、最後の別れには、看護師さん、リハビリ士さんたちが大勢 見送って下さいました。

 

「もうカノさんの、塗り絵が見られないのは寂しい」

「カノさんの編み物してる姿が可愛かった」

「ヒョウキンなカノさんに笑わせてもらった」

ダメよみんな。そんなこと言われると、涙が止まらないよ。

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リハビリの先生が、患者さんに作った 塗り絵の原画⤵

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母があんまり喜ぶので、先生は、毎月原画を書いてくれたんだそうな。

担当看護師さんは、牛乳パックに千代紙を貼った色鉛筆立てを作ってくれました。

ぬいぐるみは、ナースセンターの受付にあったみんなのもの

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可愛い可愛いと盛んに言うので、母専用になっちゃったらしい。

 

痛かったこと、苦しかったこと沢山あっただろうが、いつも機嫌良くしていた母でした。

自力で食物摂取できず点滴が続いた時期には、軽い認知の症状が出てしまい、

「ああ、このままボケてしまうのかな」と覚悟もしました。

ところが、自分でご飯が食べられるようになると、頭の方もシャキっとしてV字回復。

看護師さんも「凄い回復力、あれには私たちも驚きました」と、おっしゃってたな。

 

母は何故だか、看護師さんたちから「カノさん」と下の名前で呼ばれてました。

他の患者さんたちは全部、苗字なのに、どうして母だけなんだろうねぇと家族は首かしげました。

 

 

遠方の娘はたまにしか会えなくとも、

娘なんかの100倍 若くて可愛くて、気立ての良いお嬢さんたちに囲まれて幸せだった。

呼吸が辛いときは、ずっとナデナデしてくださった看護師さん。

色々と親身になってくださった皆さん、ほんとにほんとにありがとうございました。

 

虹の橋を渡った母は、今ごろ二人の旦那さんと再会してるかな。

※ 私の父と、再婚した義理の父。

一昨年亡くなった親友のミセスにも会えてるでしょう。

好きな人が沢山いるあっちの世界は、悪くないかも。

私のことは心配ありません。どうぞ安心して、あちらでも機嫌よくやっていってね。

62年間ずっと心配をかけてしまった不肖な娘でしたが、

愛してくれて、ありがとう。