ヴァージニア・ウルフ著『ダロウェイ夫人』を読了しました。
光文社刊 土屋政雄さんの一番新しい訳で。
いやぁ、難解です。でも、面白い。
最初の10頁ほどで、作者の技法が理解出来ずに、迷子になりました。
ダロウェイ夫人の一人称が、何の前触れも、何の章変えもなく、いつのまにか違う人の語りに変わっていたからです。
本の巻頭に、ロンドンの地図がありました。
右上に、5つの点線の種類と人名がありまして、
クラリッサ、ピーター、セプティマス等々とある。
初めて本を読む時には、覚えないといけないことが沢山ありますよね。
まずは登場人物。そして誰と誰がどんな関係かがわかってくるまで時間を要します。
でもこの本は、人名や関係性に加えて、ロンドンの地名、通りの名前など、次々と出てきます。
その上、主役が目まぐるしく変わるものだから頭の中がショートしてしまいます。
何度も行きつ戻りつしながら読み進む内に、やっと登場人物や、人間関係や、仕組みが飲み込めてくると、取り合えず今は地名を無視をしていいかもとわかります。
厳密には無視して良い地名などはないけれど、まずは物語のストーリーを理解することが優先ですから。
そして。
ほんの少しですが、この本の面白さと、すごく沢山ヴァージニア・ウルフの知性の高さが分かってきます。
ダロウェイ夫人を読もうと思ったキッカケは、ひとつの映画でした。
めぐりあう時間たち
マイケル・カニンガム原作の "The Hours" を、
2002年、スティーブン・ダルドリー監督が映画化して、
多くの賞にノミネートされ、ニコール・キッドマンがアカデミー賞主演女優賞を獲得した作品です。
この映画のことはずっと気になっていながらも先延ばしにしてきました。
「ダロウェイ夫人」を読まないと《わからないのでは》という直感からでした。
でも、観たい❤
ずっとずっと先延ばしにしていた映画でしたが、先日観てしまいましたダロウェイを読む前に・・・。
面白かったです 充分に
時代も、住んでいる場所も違う三人の女の一日が交差する作品で「ダロウェイ夫人」を知らなくても十分にわかりました。
でも、感想を書く段になり、やはりダロウェイを読んでからにしようと決めました。
そして読んだのが、土屋さんが訳した 新訳文庫「ダロウェイ夫人」
土屋さんは、他の翻訳者と違う切り取り方で訳されているのだと思いました。
流れるような訳で、登場人物の表記も、物の名前もすんなり頭に入ってきて助かりました。
例えばこのシーン。20年以上違う年に出された訳は、こんなにも違います。
「いらっしゃいませ」とエリザベスは進み出ながら言った。
三十分を告げる
議事堂の時鐘 が、えらい音を立てて、二人の間にわりこんできた、誰か頑健な無頓着な無鉄砲な若者が、亜鈴をあたりかまわずふりまわすみたいに。角川文庫 1955年 ( 昭和30年 ) 4月 富田彬-訳 p.76
「今日は」とエリザベスが前に進んで言った。
議事堂の鐘の音が半を告げ、並々ならぬ活気をこめてふたりの間に響いた。それは強くて冷淡で、思いやりのない若者が鉄亜鈴をあちこちにゆらせている感じであった。
みすず書房 1976年 ( 昭和51年 ) 5月 近藤いね子-訳 p.62
エリザベスは近づき、「こんにちは」と言った。
ビッグベンが半を打ち、鐘の音が異様な力強さで二人の間に割り込んできた。委細かまわず、何も考えず、あちらへこちらへ、ただ力任せにダンベルを振り回す若者のような鐘の音がした。
光文社 2010年 ( 平成22年 ) 5月 土屋政雄-訳 p.88
それぞれの本には、それぞれの持ち味があるでしょうから、一概にどれが良書とはいえませんが、
まず手始めに一番、新しい訳で読んで良かったです。
ただし一点だけ、
冒頭の有名な一節
Mrs.Dalloway said she woud buy the flowers herself.
を、土屋さんだけは、統一表記として
「お花はわたしが買ってきましょうね、とクラリッサは言った。」としているところが気にかかります。
やはり文頭の名前は、ダロウェイ夫人であることに意味があるのではないかと。
※ 富田訳「ダロウェイ夫人は、お花は自分で買いに行こう、と言った」
近藤訳「ダロウェイ夫人は、自分で花を買ってくると言った」
翻訳については、以前「赤毛のアン」でも「シャーロック・ホームズ」でも言いましたが、やはり読み比べてみるのは一興です。
ダロウェイも、他の訳で何冊か読んでたいです。
《翻訳の違いを楽しむ》という目的だけでなく、本が示す意味がとてつもなく深いはずと思うから。
上智大学准教授 松本朗さんが、光文社版の解説でも、こうおっしゃっているように。
ヴァージニア・ウルフという作家は、何度読んでも、どの作品を読んでも、十分にわかった気がしない、しかし読み返すたびに新しい発見がある、そんな作家である。
だからこそ、ウルフは、ある人にとっては一生かけてつきあうに足る作家なのだろうし、『ダロウェイ夫人』 ( 1925年 ) と日本の読者の関係に関して言うならば、すでに六種類の翻訳がありながら、今回七つ目となる新訳が出されるほど人を惹きつけてやまないなにかを有しているのだろう。
今回、借りてきた本
奥のダロウェイ夫人は、小説ではなく解説書でした。
パラパラと読んでみましたが、情報が多すぎる。
これはダロウェイの翻訳をあと、何冊か読んだ後に、読む本かも知れません。
本日の朝ごはん
オムライス
本日の夜ごはん
焼さばーーーー