garadanikki

日々のことつれづれ 駄目駄目さんのガラクタ日記

昭和20年代の渋谷 ~渋谷区郷土博物館

町内の掲示板で、こんな催しを知り出かけました。

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昭和20年代の渋谷という写真展です。

渋谷区郷土博物館は、気になりながらまだ訪問したことはありません。

こういう長期開催の展示会は「いつか行こう」と思っている間に結局終わってしまうことばかりなので急がないと。

 

自転車でウロウロ、、、確かこの辺りだったと思う。

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あら~昔ながらのパン屋さんだこと。

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パン屋さんは素通りできない性格でしたが、ダイエット中なので頑張って入らないぞ。

 

昭和な店内は、お菓子の並び方もレトロですてっき~

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白根記念館 渋谷区郷土博物館は、パン屋さんの一本奥にありました。

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そうそう、これこれ⤵

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ワクワクしながら中に入ると、正面にあるのがこちら。

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ビクターのワンちゃんじゃないの、渋谷で有名な「ハチ公君」

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右手の受付で入館料を払い会場に、、、、。

・・・会場に。

・・・・・会場。

 

撮影不可の為、写真ありませんが、どっひゃーーーんという展示スペースです。

ハチ公君の後ろに見えるブースに、写真が数点、驚く程少ない点数なのです。

展示スペースの広さは10畳ほど、その四方の壁に7~8枚の額がかかっているだけなのです。

 

外から撮った写真 ⤵

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うーーーーん、しびれる情報量。落ち込んじゃうなぁ。

私の愛蔵書、渋谷の記憶に掲載されている写真が数十点展示されているという感じ。

勿論全部が「渋谷の記憶」に掲載されている写真ではありませんが、それに類する写真なのです。

 

これなら家で写真集見るのと同じかなぁ。。。

ちょっとガッカリしましたが、ポスターをよく見ると

「渋谷のむかし写真展シリーズ24」と書いてあります。

小出しに  少しずつ紹介しているということなんでしょう。

私が過大に期待しすぎたのがいけないのでしょう。

入館料も100円ですから、一年に一度くらいブラッと気軽に訪問するというのが

正しい渋谷区郷土博物館の利用法なんでしょうね。

 

郷土博物館の2階は、常設の展示室がありました。

こちらの方は撮影可でした。

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昭和のアパートの一室が設営されていました。

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こういう写真は、古い文学作品のことを書くイメージ写真に結構役立つの。

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時計とか、はたきとか。。。(笑)

 

郷土博物館をひとまわり見て、外に出ると斜向かいに凄い敷地がありました。

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携帯の地図アプリで見たら「薩摩藩島津家下屋敷跡」と書いてあります。

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見に行ってみよう!!!

薩摩藩島津家下屋敷といえば、「篤姫」「西郷どん」でも知られるあの篤姫にまつわるお屋敷。

島津斉彬の養女となった於篤が、徳川家定への輿入れする前に住んでいた場所がここ。

天璋院篤姫は、徳川家定への輿入れのために国元から出府した際に生活していた三田・薩摩藩上屋敷が安政大地震で被災したため、当地に所在した渋谷・下屋敷に居住して輿入れした。

ここだったんですか、篤姫が住んでいたところは。。。

 

長い塀に沿っていくと入口があり、大きな玄関に警備室がありました。

 

入る気満々。

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警備の方 (警察官) がいらしたので、聞いてみました。

「薩摩藩下屋敷跡って、見られるんでしょうか?」

警備の人は(・・?の顔。

「特に名所ということではなく一般公開はしていないんですよ、こちらは」

「そうなんですか。

 で。スミマセン、こちらは一体何の施設なんでしょうか」

「常陸宮邸です」 

「これまた失礼いたしました」

 

どっひゃーーーん

常陸宮邸[編集]

 
常陸宮邸(常盤松御用邸)の杜

1964年(昭和39年)正仁親王常陸宮家を創設するにあたり、宮邸は常磐松町の常盤松御殿(旧東伏見宮邸)に定められた。常盤松御殿はそれまで、正仁親王の兄である皇太子明仁親王今上天皇)の東宮御所であった[4]

 

 

 

ものを知らないのにも程がある。

旧島津家下屋敷は、現在の常陸宮邸だったんです。

 

古い航空写真⤵

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島津家にまつわるものは見られませんでしたが、

警備の方にお聞きして隣マンションの敷地に、この地にまつわる石碑があると聞いて

やってきました。

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常盤松の碑 

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全然読めませんが、説明書きによるとこんなことが書いてあるようです。

常盤松の碑

もともとこのあたりにあった皇室の御料乳牛場の構内に常盤松と呼ばれた樹齢四百年、枝ぶりのみごとな松がありました。

その松は源義朝の妾、常盤が植えたという伝説があり、また一説には世田谷城主吉良頼康の妾、常盤のことであるといいますが、はっきりしたことはわかりません。

 

 この近くにはかつて渋谷城があり、渋谷一族の金王丸は義朝、頼朝の二代に仕えた臣ですから、常盤御前が植えたという伝説が生れたのでしょう。

 

 この碑は御料地になる以前に、その土地が島津家の持地だったことがあり、そのときに島津藩士によって建てられました。当時常盤松の代価壱千両といわれたほどの名木で、このあたりの地名であった常盤松町の起源となりました。

なんじゃよくわからんが、要するにザックリいえばこんなこと?

源義朝か吉良頼康か、どっちの常盤御前かわからないけど、

この辺りにあった立派な松の木は常盤さんが植えた。

それがこのあたりの地名の起源になった。

石碑は島津藩士が建立したということでけれど、彫ってある字はもう殆ど読めない。

 

石碑が読めればもう少し詳しいこともわかるのかも知れません。

でも今日のところは、このくらいで勘弁しときましょう。

⤴ って、吉本新喜劇じゃないんだから。