どストライクの本に巡り合いました。
「大正・渋谷道玄坂」という本です。
《シリーズ大正っ子》の一冊で、
他にも吉原、本郷、築地、銀座赤坂、日本橋本町、
雑司ヶ谷、三輪浄閑寺、根津などがあります。
※ 興味がある方は、こちらから所蔵の図書館がわかります⤵
古書はいいわねぇ。
著者検印の和紙はいいものです。
この本の著者検印は特に凝ってる。
青蛙に著者の印に、番号まで打刻されている。
「どストライク」と理由はコレです。
見返し部分に、著者の藤田佳世さんが書かれた当時の地図が 掲載されているのです。
真ん中の文字が見にくいのが残念なんだけれど。。。
渋谷駅の昔については、以前大岡昇平さんの
「少年」で楽しんだことがあるんですが、
「少年」にも大岡さんが描いた当時の地図が載っていました。
その本を引っ張り出してきて本書と見比べてみたところ、
合致する部分があり興味深いやら楽しいやら。
ああなんて、古地図って面白いんだろう。
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本書を読みながら、もう引っ張りだしてきたのがお宝写真集「渋谷の記憶」です。
「渋谷の記憶」は、渋谷区が発行した写真集で、渋谷の昔と今の写真を対比させています。
渋谷駅も多く掲載されていて大好きな本。
その写真を見ながら本書を読む。なんて楽しいんだろう。
「藤田さんが話す渋谷の町は、こんなだったんだろうなぁ。」とか
「これは昭和26年の渋谷駅だから、場所が違うんだったよな。」
明治18年 ( 1885 ) に開業した渋谷駅は、大正9年 ( 1920 ) に現在の位置に移動しました。その後、昭和2年 ( 1927 ) の横浜電鉄 ( 現在の東急東横線 ) 渋谷駅の開業にともない、大規模な工事が行われ、5年に、写真に見られるような新たな駅舎が完成しました。忠犬ハチ公の銅像は、ハチ公がまだ存命していた9年、この駅舎の前に建立されています。
「ほらね。大正初期の駅はもっと恵比寿寄りにあって、、、
ハチ公が毎日亡くなったご主人のために通ったという駅もここではなかったんです。」
・・・なんて生れてもいないのに、見てきたような話をする私。
「そうそう、これこれ。
これが明治から大正にかけてあったという渋谷駅」
明治18年 (1885 ) 、まだ田・畑や山林などが残る渋谷に、日本鉄道 ( 現在のJR山手線 ) が開通し、渋谷に停車場が開業しました。
当時の駅舎は現在の埼京線ホームの付近にありましたが、大正9年 ( 1920 ) に現在の位置に移りました。
写真は移転した頃の駅舎で、右側には明治44年に都心部から渋谷まで延長された市電の姿が見えます。市電のうしろに見える建物の裏には玉電の渋谷駅がありました。
繰り返しますが、私は生れてません。
でも、見たことある気になっている。。。
藤田さんの本に出て来る、母校 大和田小学校も写っていました。
写真は、現在の東急東横店西館から見た大和田町・桜丘町方面です。現在の国道246号線は建設途中ですが、道沿いにあった東急本社 ( 現在のセルリアンタワーの位置 ) の建物はすでに完成しています。写真中央よりやや左には、かつての大和田小学校 ( 現在は神南小学校に統合 ) の校舎が見えます。
こんなことをしながら読んでいると、一日がたちまち過ぎてしまいます。
さて、地図の話に終始してしまいましたが、
「大正・渋谷道玄坂」を書かれた藤田佳世さんは、明治45年生れで、3歳のときから渋谷育ち、昭和9年、陶器商藤田に嫁いた後も渋谷の道玄坂を見て過ごしてきた方。
ご両親は、道玄坂の中ほどから左に折れた大和田横丁で市川藷 ( いも ) 問屋を営んでいた為、道玄坂は彼女のお庭のようなもの。
弟さんの子守で ( 弟を背に ) 絶えず歩いた道玄坂。
店の使いで氷を配達に行った商店。
道玄坂で育ち、働いてきた土地っ子ならではのエピソードが実名入りで書かれています。
藤田さんの筆の力は凄い
呑兵衛の足袋屋の主人も、健気なおかみさんの苦労も、藤田さんの筆にかかると、
ドラマを見ているように目の前に生き生きと浮かんできます。
小さい時に恐かった店の主人のことも、優しかった店の奥さんのことも実名です。
その記憶力には圧倒されてしまう。
「暗い目で人を値踏みするような主人、私はどうしても好きになれなかった」なんて
臆せず書いてしまったりしてるけど、それはそれ。
そう書くにはそれなりの理由や背景もキチンと書かれているから潔いのです。
読む方も「まあちゃん ( 藤田さんのこと ) 」になったような気もしてきたりして、
大正の道玄坂をすみからすみまで堪能させて貰えました。
例えばこんな話。
渋谷郵便局の隣りにあった野村屋は、間口が四間 ( 8m ) もある大きな店であった。
筆太に屋号を入れた入口の戸をあけると、赤いたすきをかけて若い女中さんが、
「いらっしゃいまアし」と、少し尻上がりの癇高い声で一せいに客を迎えた。
( 中略 )
帳場格子の脇に積んである座布団を、入って来た客の数だけつかむ女中さんは、空いているテーブルの周りにぽんぽんと投げるようにそれを敷いて、「こちらへどうぞ」と、通してくれる。
祭りのみやげに買って来た煎りたての塩豌豆の、まだ温かい三角の紙袋や、山吹鉄砲などを膝の脇に置いて待っていると湯気を立てたおかめそばや玉子うどんが、一つずつ私たちの前に運ばれて来る。
その熱いのをふウっと拭きながら食べる時、秋の夜の子供たちの満足はここに尽きた。
蒸籠から立ち込める湯気に、台所で働く人の姿が影絵のように滲み、帳場で客の対応に気を配っている肥ったおかみさんの姿も温かかった。
母はお祭りに限らず、どこへ私たちを連れて出ても帰りには何かを食べさせてくれた。
「人を連れてよそへ行った時は必ず何か食べさせてやるもんだよ。どこへ行ったって見て来るだけじゃ、嬉しくも楽しくもありやしない。そんなのは『犬の川端』って言って、犬が川端を歩いてるのと同じだよ」
そう私たちに教えた。母は小さい時から他家で働いていたが、こうしたことは自分の辛い経験の中から得たものだろうと私は思っている。
どうです?
名文でしょう?
蕎麦屋さんの様子が目に浮かんでくるでしょう?
そして。
お母さんの「犬の川端」という話も凄い。
こういう古老の教えは、聞きたくてもなかなか聞く機会がない。
藤田さんの目を通したこんな生き生きとしたエピソードが沢山つまった一冊は、
まぎれもなく私の宝本のひとつとなるでしょう。