久しぶりの徘徊、今回は自転車でです。
下高井戸駅から少し歩いたところにある居酒屋さん。
去年の暮に「二軒目どうするつまみの話」で紹介されてた店。
家じゃなくて、花が気になる。
最近よく目にする花、ユウゼンカズラでしょうか。
大きなヤシに寄生して二階まで伸びています。
住宅街にぽっかりと開いた広い道。
この道幅、妙に広すぎますが、何か意味があるのかしら。
地図で見ても、急にここだけ広い道になっているでしょう?
世田谷線を渡って、しばらく行くと赤堤から松原と住所が変わります。
さらに京王井の頭線の明大前近くの踏切を渡ると、昔からの古い家が沢山あって、
道もクネクネしてきます。
このエリアが好きなんだ。
以前から、この長い壁に囲まれた家には、どんな人が住んでいるんだろうと思っていた。
破格の金持ち、資産家に違いない。
Googleで見てみると、二つの大きなお屋敷がある。
地図、地図~
東側の敷地に「中村庸一郎 中村正三郎」とあります。
中村庸一郎さん ( 1896~1983 ) は、衆議院議員 ( 自民党 ) を8期務めた政治家で、桜護謨、日本交通、日本エボナイト、成城学園理事長などを歴任した人。
中村正三郎さんは庸一郎さんの三男で、衆議院議員 ( 自民党 ) を9期務め、2005年に政界を引退している人。は環境庁長官、法務大臣といった閣僚ポストについていて、不祥事もたびたびあった。有名なところですシュワルツェネッガー問題。アーノルド・シュワルツェネッガーが提出した旅券紛失の顛末書を入国管理局に命じてわざわざ取り寄せて大臣室に保管。国会で「シュワルツェネッガーのファンだ」と答弁し、批判を受けたりしている。
閣僚就任により資産公開では約26億1千万円と閣僚中一位だったというから凄い。
麻生太郎並み。
その頃の敷地はこんな⤵
お父さんが当主の頃は、もっと広かった。
現在の居住敷地面積は、ほぼ1/3くらいの広さになっていますが、それでも広い。
2/3が広大な駐車場と都立の幼稚園になっているのを見ても滅茶苦茶広いことがわかります。
こんなだもの。
ひと区画が多きすぎて、道がクネクネするはずだ。
正三郎さんの家は、上から見ると大きいが間口はわりかし狭い⤵
家の門は、右側のクリーム色。
奥に広い敷地の割に、大邸宅を感じさせない門扉です。
一方、西側にある「中村健二郎」さんの家の敷地面積は昔からあまり変わりません。
父親から引き継いだ正三郎邸の門より、ハッキリいって立派。
健二郎さんはどんな人なんだろう。
中村健二郎氏、中村庸一郎氏の二男。
父親から桜護謨というゴムの大手会社を引き継がれたようです。
写真は、中村庸一郎さん。
健二郎氏が会長兼社長に就任したのは1986年。
(2003年に、健二郎氏の長男・浩士氏が社長に就任)
因みに、桜護謨の本社工場は、笹塚駅の現在笹塚ショッピングモールがある場所だそうな。
http://www.sakura-rubber.co.jp/100th/
現在の当主は、もしかしたら長男の浩士さんかもしれません。 ( 未確認 )
左が三男・正三郎邸、右が二男・健二郎邸。
健二郎邸の敷地は、長い塀に囲まれています。
裏側の塀だって、こんなだ。⤵
どうでもよい話ですが、
父親・庸一郎氏の政治関係の仕事と敷地は、三男・正三郎氏が継いで、
会社 ( 桜護謨 ) は、二男・健二郎氏が継いで、
長男はどうされたのかしら。
因みに長男・雄太郎さんの家はここらあたりに見当たらない。
どんな人物だったのかな?
↓ ↓ ↓
雄太郎氏は、2017年8月に94歳で亡くなられるまで、金陽社の代表取締役名誉会長をされていました。
この金陽社もゴム関係の会社で、
1944年 ( 昭和19 ) には、父・庸一郎氏が第二代社長を務めていました。
※ 雄太郎氏の長男・一雄氏は、代表取締役副社長兼代表取締役会長。
沿革 | 企業情報 | 株式会社 金陽社 ゴムロール・ゴムローラー・ゴムブランケット・ゴムシート・工業用ゴム製品
中村庸一郎さんは、多角経営だったんだな。
色々な才能と気質を三人の息子が引き継いでいる。
大きなお屋敷を見ると「どんな人が住んでいるのかな」と思うのですが、
調べてみると、政治家だったり大きな会社の社長さんだったりする。
やっぱりなあ、と思いながらも、
時代の変遷を見ると、敷地が小さくなっていくのを見ると、複雑な気分になりました。