Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

タモリさん いいなあ

 

昨日、watto さんから、こんなメッセージを頂戴した。

watto さん ありがとうございます。

 

早速、番組を見たら懐かしい町と、先月出かけた町が紹介されていた。

懐かしい町とは、20代前半に住んでいた桜新町、

そして先月出かけた町とは、世田谷上町界隈のことだ。

 

世田谷上町の話では、大場家の16代当主・大場信綱さんが出演されていたし、

 

豪徳寺や世田谷城址公園や世田谷線もぶらタモリされていて、

「あらまあ、(私の) ぶらMarcoと同じコースだ」と興奮してしまった。

 

しかし同じ《ぶら》でも違うことが二つ。

本家《ブラタモリ》は、優秀なガイドさんが同行されていることと、

一般人が入れない特別な場所に立ち入りできることだ。

 

いいなあ

NHKだし、ブラタモリだし、タモリさんだし、、、

「特別な許可を得て」というテレビでよく見るあのセリフ。

 

今回は、世田谷城が廓があった場所に建つ団地の敷地から、

今でも残る土塁を見学されていた。

 

いいなあ

私が見られるのは、せいぜい柵の外からの、こんな風景

右手に見える白い建物が、廓に建っているという団地 ( 東京住宅供給公社豪徳寺住宅4号棟 ) 

 

地図でいうとこんな感じ (´;ω;`)ウッ…

 



それにしてもこの団地、なんと贅沢な立地でしょうか。

遺跡の場所に、しかもこんなにゆったりと建てられている。

タモリさんも言ってました「強固な守りに囲まれた、難攻不落の団地

 

 

さて、憧れてばかりではいけません。

私は私。

今回は、世田谷城址公園を訪ねます。

うへー読みにくいけど、頑張る

世田ヶ谷城ハ室町時代足利 管領ノ摩下ニテ權政勢関東ニ 響キシ吉良治部大輔氏家ノ居城ナリ

世田ヶ谷吉良氏ハ 三河吉良 氏ヨリ岐シ 奥州二居リシガ 治家ニ至リ上州飽聞二移リ

以テ戦功二依リ世田ヶ谷ノ 地ヲ賜ハリ世襲?シテ世田ヶ 谷御所ト唱エシト傳フ後天

正十八年 小田原ノ役ニ吉良 氏朝ハ北条氏二興セシ為ノ 其所領ヲ除カシ世田ヶ谷城

モ亦廃セラル

此ノ公園地ハ世田ヶ谷城址 ノ一部ニシテ往古ノ遺構尚 存シ史蹟トシテ保存宣揚サ

ルベキモノナヲ以テ昭和 十五年一月東京横濱電鐵株 式會社ヨリ千六拾九坪餘ノ

提供ヲ受ケ史蹟保存ノ公園 ノ開設スルコトトセリ故?二 由来ヲ記シ併セテ土地提供

者ノ芳情ヲ後世二傳フ

東京市

ところどころ読めない文字があったが、要約するとこんなこと?

「世田谷城は、室町時代 吉良氏家の居城でした。

 世田谷吉良は、三河吉良から岐れ奥州にいましたが、

 治家の時に戦争で功をなし世田谷の地を賜ったと伝えられています。

 その後、天正18年の小田原の役で、吉良氏朝は北条氏に味方して敗れ、

 世田谷城を廃し、この地を去りました。

 この公園は世田谷城址の一部で昔の遺構が残まだあり史蹟として保存すべきもの、

 ということで、昭和十五年一月東京横浜電鉄 ( 東急電鉄の前身 ) 1,069坪の寄付により

 史蹟保存の公園にすることとなり、その由来と合わせて土地を提供者の芳情を後に伝えます。」

 

 

がーーん 現在版の案内があった!

世田谷城跡 都指定旧跡

世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。十四世紀後半に吉良氏家が居住したのに始まると伝える。

吉良氏は清和源氏・足利氏の士族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、十五世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、十六世紀には北条氏と結んだ。北条市と上杉氏との勢力争いで、享禄3年 ( 1530年 ) には世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。

この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正18年 ( 1590年 ) 、豊臣氏の小田原城攻略により、世田谷城も廃城となった。

世田谷城の濠・土塁の構造は天文6年 ( 1537年 ) の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、十六世紀前半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。

平成14年11月

世田谷教員委員会

少し違うが、まあだいたい同じようなことが書いてあった。

 

階段を上って高い所に上ってみる。

紅葉が綺麗

この石垣は昔からあったものなのだろうか・・・

今度は下りの階段 子供たちがいる場所は空堀

空堀の少し向こうはフェンスになっていて立ち入り禁止区域。

それで思い出したけれど、タモリさんブラタモリで前に来てると思う。

もう大夫前の映像を見た覚えがあるけれど、あれは、、、違う番組だったかな。

その時も、一般の人が入れない所を散策していたような記憶が・・・

 

まあいいか、私は私。

空堀が道路の所で暗渠のようななっている。

 

橋を渡ると、もうひと山あった。

それで、ぞろぞろ歩いてる団体がいます。

実は公園に到着した時に、この団体さんが石碑の所にいて、

ガイドさんが説明していたので、お話を一緒聞けないものかとすすっと近寄ったんですが、移動してしまったのです。

 

また追いついたので、今度こそ、と思ったら最後尾にいたスタッフの女性に、

「どうぞお先にお進みください」と言われてしまった。

会員?さん以外に聞かせたくないのだろうか、なんとなくそんな気がしたので、

そのスタッフさんに聞いてみた。

「あの、何かの有料のツァーなんでしょうか」

 

名刺をくださって説明されるところでは、

「まいまいツアー」という団体で、タモリ倶楽部とかブラタモリとか、そういう所にも出演されたような専門のガイドさんを招いて、色々なツアーを企画してるのだそうな。

名刺には、こう書いてある。

  • 気楽な2~3時間ツアー
  • 参加費3,500円~
  • 定員15~20名

なるほど、お客さんからそれだけのお金をとっているならば、

チャッカリ背後で盗み聞きなんて、まずいのだろう。

 

www.maimai-tokyo.jp

まいまいツアーの過去ログを見てみたら、

この日私が歩いた逆コースを、荻窪圭さんという古道研究家の方がガイドされていたようです。

 

と、長くなってきたので、この話はまた明日

 

 

タモリさん、タモリ倶楽部でも来てました

 

 

 

 

 

本日の昼ごはん

明太パスタ