Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

蔵前 浅草あたりをうろつく

 

久しぶりの台東区です。

目的は、磯村政次郎商店のごま油とペリカンのパンです。

磯村政次郎商店の棚にこんな記事を見つけました。

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「haru_mi」は、栗原はるみさんの雑誌。

そのvol.35で、はるみさんが磯村政次郎商店を訪れているじゃないですか。

そしてもうお一方。一緒に写っているのはコウケンテツさん。

いやは~❤ 大好きなお2人が大好きにお店にいらしてる。

Vol,35は、去年の春の号。ということは前来た時もその前もこの雑誌は飾られていたんでしょうね、気がつきませなんだ。

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大通りが嫌いだものだから、いつも一本横の道を歩きます。

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確かこの辺に、、、あれ? 

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蔵前小学校だ。

学校って何だかウキウキするの。こういう校章とか撮りためるのも楽しいかも。

学校の入口の脇に碑があります。

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なになに? えっ?

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夏目漱石さんが通ってたの?ここに?

この校章、さっきのと違う。

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精華と書いてある。

 

一昨年駿河台を歩いていた時に見つけた碑。

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そう、この碑。

漱石さんはここにある 錦華小学校(現・千代田区立お茶の水小学校)に通学していたんじゃなかったかしら。

 

錦華 ( 駿河台 ) と精華 ( 寿町 )  まぎらわしい。。。

年譜をよく見るとこういうことでした。

漱石さんは幼少期、2回も里子に出されたり戻されたり苦労を重ねていたらしい。

夏目家の五男として生まれた漱石さん、生家は牛込から高田馬場一体を治める名主としてかなり権力も持っていて、凄いお家だったらしいが、明治維新の混乱期で没落しかけて、生後すぐに里子に出される。その四谷の古道具屋で、夜中まで品物の隣に並んで寝ているのを見た姉が不憫に思い、実家に連れ戻った。

二回目は、塩原という家に貰われていったが義父と義母が不和になり離婚。それをキッカケにまた実家に戻ってくる。

 

そんなこんなで実の父母、義理の父母に挟まれて波乱の幼少期だったらしいが、その年譜の中に確かにありました、精華小学校と錦華小学校。

 

1874年(明治6年) - 養父・昌之助と養母・やすが不和になり、

          一時喜久井町の生家に引き取られた。

          浅草寿町戸田学校下等小学第八級

          (のち台東区立精華小学校。現・台東区立蔵前小学校)に入学。

 

 

1876年(明治9年) - 養母が塩原家を離縁され、

          塩原家在籍のまま養母とともに生家に移った。

          市ケ谷柳町市ケ谷学校(現・新宿区立愛日小学校)に転校。

 

1878年(明治11年) 2月 - 回覧雑誌に『正成論』を書く。

         10月 - 錦華小学校

          (現・千代田区立お茶の水小学校)・小学尋常科二級後期卒業。

しか~し。

よく碑を読むと、もっと紛らわしいことが。。。

漱石さん寿町の小学校に在学していた当時 ( 明治7~9年 ) は、この学校は第八番小学戸田学校という名前で場所もここではなかった。その戸田学校が「精華」という名前に代わったのは漱石在学から12年も後のこと。

しかも平成15年になって、精華小学校は、小島小学校、済美小学校と統合されて蔵前小学校になったという。

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うーん。

「漱石さんが通った学校じゃ」と碑を建てるのは、間違いではない。

だか、かなりいっぱいいっぱいの感がないですかねぇ。

 

まあね、学び舎として有名人が通ったとなれば、生徒たちのやる気にもつながるかも知れぬ。

 

精華小学校もとい、蔵前小学校の横を歩いていたら気になるのれん。

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motokurashi.com

お茶屋さんのようです。

入ってみたい気もするが、今度にとっとく。先を急ぎましょう。

 

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表通りに出てきました。

あそこに木が密生しいてる場所があるでしょう? あそこにこんな看板がありまして。

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この辺りに天文台があったそうです。

この地点から西側、通りを1本隔てた区画(浅草橋3丁目21・22・23・24の全域及び19・25・26番地の一部)には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていた。

     (中略)

正式の名を「頒暦所御用屋敷」という。

その名の通り、本来は暦を作る役所「天文方」の施設であり、正確な暦を作るために観測を行うところであった。

 

その規模は、「司天台の記」という史料によると、周囲約93.6m、高さ約9.3mの築山の上に、約5.5m四方の天文台が築かれ、43段の石段があった。

 

また、別の史料『寛政歴書』では、石段は二箇所に設けられ、各五十段あり、築山の高さは九メートルだったという。

 

幕末に活躍した浮世絵師、葛飾北斎の「富嶽百景」の内、「鳥越の不二」には、背景に富士山を、手前に天体の位置を測定する器具「渾天儀」を据えた浅草天文台が描かれている。

 

浅草橋3丁目21・22・23・24の全域及び19・25・26番地の一部か、

地図で見ると黒く囲ったあたりですね。

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当時の地図 東都淺草繪圖 ( 1857 ) を見てみると、、、

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昔は縦横に堀があったんですね。

上の地図は現在と同じ方位 (北が上)にしてありますが。

あら、西福寺っこんなに広かったんだ。

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読みにくいので天地をひっくり返してみます。

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天門ヤシキト云 「頒暦所御用屋敷」と案内板にある正式名称が書いてある。

 

寛政歴書? 探してみました。

これこれ。

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ダウンロード元  国立天文台 測量台 『寛政歴書』 より

全体の本が読みたければこちら(笑)

毎度お馴染み国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政歴書第35巻』  

 

 ついでだ。

葛飾北斎の「鳥越の不二」、じゃーん。

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凄い施設ですなぁ。

ここが当時の暦を司っていたとは。。。

でもこの天文台これだけではない。天文方の高橋至時 ( よしとき ) らが寛政の改暦に際して、観測した場所であり、至時の死後、父の跡を継いだ景保 ( かげやす ) の進言により、天文方内に「藩書和解御用」という外国語の翻訳局が置かれたんですって。

これが後に、洋学所、藩書調所、洋書調所、開成所、開成学校、大學南校と変遷を経て、現在の東京大学へとなったんだそうですから、いやまあ、知識の宝庫だったわけですな。

 

ない頭を使ったらお腹が空いた。

確かこの辺りに、横チンさんが紹介していらしたお店があったはず。

とことことこ

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あった大勝軒

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どれどれ ありましたチャーハン

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のれんをくぐるとお店のご主人と御内儀らしき方が、お友達と歓談中。

中村のお茶屋さんを泣く泣くスルーしたのはここに来たかったから、でももう準備中?

 

大丈夫ですって。ではチャーハンをください。

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おお、やった、昔ながらのこんな感じのチャーハンが食べたかったんです。

グリーンピースと海老がめり込んでいるところがいい❤

 

最近、パラパラチャーハンがもてはやされていますよね。

べちゃべちゃなチャーハンは論外ですが、ある程度しっとりした感じが私は好きです。

で感想。

正直いいますが、チャーハンもスープも、ちょっと薄味。

薄味志向が言うのだから、かなり薄いかも。。。

鶏ガラ出汁が少ないのかな、、、ちょっと残念だけれど、でもこういうの食べたかったからいいの。

 

お腹が一杯になったところで浅草橋から浅草に行きます。

このあと、浅草でいぶりがっこを買って、上野でどんこを買うというのが今日の目的。

浅草寺、工事してますね。

でも仲見世は外国人旅行者でかなり賑わっています。

一番聞こえてくる言語は、中国語。

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仲見世通りと交差する、伝法院通を入ってみよう。

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実は、ひょうたん池というのが見たかったんですが、伝法院の敷地には入れないんですね。

ぐすん。

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仕方がないから、伝法院をぐるっと回って、花やしきに行こう。

 

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おお、これがあの有名な花やしきか。

ジェットコースターが怖いというが、〔古くて大丈夫か〕ということと〔民家ギリギリ〕だからという別の意味で怖いのだそうですね。

 

何ともノスタルジックな呑み屋街

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大分歩き回ったので、喉が渇きました。

というより甘みを補給。

 

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美味しい。

とひ家という、まるごとにっぽん ( 1F入口入って左側 ) スタンドショップのアフォガード。

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奥にイートインスペースがあってひと休み。

さあ、上野に出てどんこを買って帰りますぞ。

今日は長い旅だった。