Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

大佛次郎記念館

 

記念館に入ると、市毛良枝さん似の品の良い女性に出迎えられました。

まだ息が上がっているあたし。

「谷土坂を登ってきて、まだ息が切れてるんです」

「あ~ら、それはきつかったですね。

 昔はあの坂を登って来るしかなかったんですけど、駅からエレベータで一気に昇ることが

 出来るようになったんですよ。お帰りはそちらがいいと思います。」

 

そう言うと彼女は、チケットの半券と一緒に地図を下さいました。

ええっそんな便利な道が?

それは耳よりな情報。

でも帰りは「港の見える丘公園」を下って行きたいし、そのエスカレーター? エレベーターは、次に来る時に是非使わせてもらおう。

 

館内は、資料を細かく撮るのはダメだけれど、景色として撮影する分にはOKとのこと。

「猫ちゃんのオブジェとか、色々ありますよ」との由。

早速

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ホールに入ると、あらまぁ。。。

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半円形のガラス窓からの光が、水色の天井に反映して、きれい。

何だか宝塚みたい ww

きれいなんだけど、大佛次郎さんのイメージなのかな、コレ。

 

順路は上から。

階段を登ったところに、スポット展示としてこんなコーナーがありました。

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暮しの手帖のコーナー。

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実は、大佛さんが作った苦楽社と暮らしの手帖社は、同じビルに同居していた時期があります。

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須貝正義さんは、戦前「モダン日本」の編集者だった人で、大佛次郎の眼鏡にかなって「苦楽」の編集に関わることになった人。

その苦楽。

もともとは関西のプラトン社で刊行されていたのを、大佛次郎が誌名の使用許可を譲り受けて再刊したのらしい。

( 第二期の ) 創刊当時は京橋にあった編集部が、銀座八丁目の日吉ビルに引っ越したのが昭和23年。

その日吉ビルに「暮しの手帖」の編集部があったんですって。

「お手洗いに行ったら、スカートをはいた、異様な男の人が」

そりゃぁ、吃驚しますわな。

しかもあの形相ですもの。

 

 

同じビルにあった縁なのだろうか、大佛次郎著「新樹」の装幀は花森さん。

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苦楽の創刊号には

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里見弴さんの小説も、、、

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鎌倉繋がりの大佛次郎、里見弴。

暮しの手帖にも里見さんの作品が数多く掲載されています。

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さっきのホールには、照明の上にもにゃんこたちがいた。

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色んな猫だけど、手前の子が一番目立つ。

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左の子たちはこんな

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ちょっと小っこいし、遠いからあんまりよくわからない。

受付の女性が言ってたのはこれかな? こういうのを探してみて下さいということだったんだな。

 

これは、大佛さんの愛蔵品

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にゃんこの置物、本当に猫好きだったんですね。

 

そういえば鎌倉の大佛邸の方にも、こういったものが沢山ありました。

以下は、鎌倉の大佛茶邸の展示物。

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原稿を押さえている文鎮も、、、猫

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蚊取り線香の香炉も猫

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床の間にも色々な猫の置物が。。。

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こんな景色を鎌倉の方で見ていたものですから、なじみ深いのです。

 

記念館の中には、大佛次郎さんが使っておられたベッドや机が置かれている部屋がありました。

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あちらこちらに、、、猫 ww

 

大佛さんといえば「鞍馬天狗」「赤穂浪士」など、時代物でも有名ですし、

「ドレフュス事件」「ブウランジャ将軍の悲劇」「パリ燃ゆ」といった西洋 ( フランス ) を題材にした作品も手がけてて、

戦後の日本を舞台にした大衆小説も沢山書いています。

 

「帰郷」

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これは苦楽社版だけど、私が読んだのは 六興出版社 でした。

 

「赤屋敷の女」

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これ、同じもの持ってます!!!

今、読んでる本なんですの。

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正方形の本って珍しいでしょう?

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文明開化の頃の、元旗本だった男が横浜に移り住んで頑張る話。

ははは。

ざっくりし過ぎの説明だわ。

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大衆小説ですから、さくさく読めてしまう。

 

大佛次郎さんといえば、このように他分野の作品を発表されているんですが、

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やはり鎌倉の開発においての日本トラスト運動の旗手として有名です。

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この人の筆の力がなかったら、古都鎌倉の景観は変っていたかも知れない。

 

話はあっちこっちに飛びますが、

大佛次郎さんって、若い時と晩年とお顔が全然変わりましたよね。

若い頃は、

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どこかイッセー緒方に似ている。

 

お年を召してからの写真がこれ

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ねっ、ぜーんぜん違うでしょう?

 

二階のラウンジにあった肖像

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これは中間くらいのお年かな。

どちらにしても二枚目だとは思う。

 

ラウンジも宝塚調。

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このロココ調の椅子の奥にある蔵書。

全部個人の寄贈本なんだそうです。

 

この記念館の中で私が一番好きだった場所がここ。

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入ってみたい。

窓の外の景色が気になる。

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位置関係からして、港の見える丘から見える景色と同じ港が見えるはず。

いいなぁ。

※ こちらは、申請すればお茶会などに利用できるようです。

 

一階に降りて、もう一度にゃんこを見あげてみる。

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うーん、やっぱり 一番手前のにゃんこしか見えません。

 

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そういえばパネルに、大好物の写真がありましたん

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鎌倉の文士、大佛次郎70歳、里見弴80歳を祝う野球大会の写真ですって。

お2人とも楽しそう。

 

鎌倉、里見弴、大佛次郎、興味あるものや好きなものって、

本当に繋がっていくから面白い。

 

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外に出ると、

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あれまあ、リボン結んでもらっちゃって。

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君、随分となでなでされたみたいだね。

おでこは鼻がテッカテカ ww

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大佛次郎記念館。

蔵書や展示物の入れ替えもあるようですし、また再訪したい。

 

・・・ただ。

これはあくまで個人的な話。

個人的な好みの問題ですが、この建物の雰囲気は大佛さんのイメージではない気がする。

室内のロココ調って、もしかしたら夫人のご趣味なのかしら。

 

実は、記念館を横浜に建立というのも、色々こじれた話もあったようです。

大佛さんにはお子さんがなく、兄の野尻抱影氏の娘さんを養女に迎えたのですが、

大佛さんが亡くなられたあと、遺産や記念館の設立に関して少しもめたとか。

 

夫人がある夫婦に関わって、結局、養女が相続し守るはずになっていた屋敷や愛蔵品も

その夫婦にかなり搾取されたとか、されなかったとかいう話。

実際、鎌倉にある大佛邸は今ある茶邸を残して、通りを隔てた住いの方は人手に渡ってしまった。

これは事実です。

 

しかし、これが全てその夫婦のせいかどうかはわかりません。

大佛さんを師をあおぐ1人の作家の本に書かれたものですから。

その本を書いた作家は、夫人を疎ましく思っているふしもあり、一方、夫人もその夫婦も反論の場はありません。

声の大きい (ノイジーマイノリティー) 者の話のみを鵜呑みにするのはいけない。

 

真実はさておき、この記念館の色合いが、私の思う大佛さんらしくないというのは正直な印象。

もっとシックな、出来れば和風なり、どっしりした建造物の方がいいのになぁ、

なんて勝手なことを言って。。。。

 

今度は大佛さんの生誕の地、黄金町、野毛あたりも探索してみようかと思います。

東福寺の赤門のあたりが大佛さんの生まれた場所だっていうし、

確かあのあたりに鐵温泉という割烹旅館があったのですが、跡地がどんなになっているか興味深い。

横浜、まだまだ興味深い所が山ほど。。これは日参かな。