Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「花森安治の仕事」世田谷美術館

 

「花森安治の仕事」を見に世田谷美術館に出かけました。

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花森安治 (1911~1978) さんは、生活家庭雑誌『美しい暮しの手帖』の初代編集長。

創業社長の大橋鎭子さんと共に作り上げた「暮しの手帖」は、「衣食住」を基本にすえ、

もののない時代にアイデアと工夫で暮しを豊かにする方法を提案する雑誌でした。

「日用品の商品テスト」は当時大きな評判になりました。

商品を公正にテストするため、30年間一切広告を入れずに発行したというのも話題になりました。

売上も1970年代には100万部を記録しました。

出版業界では昨今、漫画雑誌以外で100万部を超えるものはないといいます。

そんな雑誌のかじ取りをしてきた花森安治さんを、敏腕編集長というのは当然のことでしょう。

 

花森さんは「暮しの手帖」の表紙画から、カット、レイアウト、新聞広告、中吊り広告に取材や執筆すべてに携わっていたといいます。

編集長って何をする仕事?

今では上に書かれた仕事のどれも、編集長としての仕事ではないそうです。

表紙画やカットは画家やイラストレーター。

レイアウトはデザイナー。

新聞広告、中吊り広告は広告マン。

取材や執筆は記者やライターと、分業化されている。

それぞれの分野に、それぞれ才能ある人たちが集結してひとつの雑誌を作られています。

編集長というよりも、、、

そういうことから考えても花森さんは「編集長として有能」という表現より、

多彩な才能とバイタリティーを持ち合わせた人材だったといえるのではないかしら。

 

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以下ポスターのPDF⤵

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/images/sp00182_ad.pdf

 

その原動力が何かを知りたくて

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」では。

雑誌の創刊を目指す とと姉ちゃん ( 大橋鎭子 ) の誘いを、

花山伊佐次 ( 花森 ) は「もう俺は物を書く仕事はしない」と断り続けます。

戦時中、挿絵・標語作家をしていた彼は、戦争に扇動する役目を担っていたから。

そんな彼が重い腰をあげたのは、とと姉ちゃんの言う「暮しに役立つ、女の人が明るくなるような雑誌を作りたい」という思いに駆られてのことでした。

 

「暮しの手帖」にかけるパワーの源が、標語作家時代の反動にあったのではないかと思った私は、

今回の展示会 (大政翼賛会の資料) を楽しみにしていました。

 

多様な人々を楽しませる企画

会場には、暮しの手帖の表紙原画が数多く掲示され、圧巻でした。

原画の横面には、それを使った本誌も掲示されています。

原画も素晴らしいが「暮しの手帖」と字が入るだけで、魂が入ったようにイキイキする。

画家としても、デザイナーとしても才能あふれる人だったんですね。

 

反面、とてもかわいい一面ものぞかせます。

例えば中吊りの広告や雑誌の目次。

どのタイトルロールにも、そうそうたる作家・画家と並んで「花森安治」の名前が掲載されています。

「花森さんったら、かなり自意識強い系ね」とちょっと笑ってしまいました。 

壁に絵まで描く

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上の写真は、三越デパートで「暮しの手帖展」を設営している時のものです。

展示する壁の絵も、飾る小物のひとつひとつ花森さんが手掛けていたことがわかります。

驚くべきことはそれだけでなく、、、

ブースには、デパートで使った 案内表示の紙 ( 「紺かすりのれん」と書かれた紙 ) までありました。

展示物のタイトル書きの紙なんか、会場を片付ける時にベリッとはがしたら捨ててしまうでしょう?

そのベリッとはがして破れたような紙まで、「暮しの手帖社」はちゃんと保管していたんです。

 

感動することは沢山ありました。しかし。

原画や広告、美しいもの、丹精こめた作品の数々に大変感動しました。

しかもその出品量の多さには。

 

しかし。

私が最も楽しみにしていた第二章「戦時下の花森」については、期待外れの面もありました。

展示の仕方について、残念なことが重なったのです。

 

世田谷美術館は元より美術・工芸・絵画・彫刻を主とする美術館。

照明や採光も壁や展示台も「いかに美術品が見やすいか」で選ばれたものでしょう。

ところが今回、序盤のブースには、書籍や文献などの細かい文字の展示物が沢山ありました。

その中には、自筆の手帖類 ( コピー ) や手紙もありました。

花森安治を語る上で必要な品々です。

 

その中の、暮しの手帖に入る前の「大政翼賛会」時代の文献だったり、花森さんの手帖だったり、

花森さんにとって暗い時代に、彼が何を考え、何を貫こうと思っていたのか、

その辺に興味を持っていた者にとっては、それが読めないことが苦痛でした。

 

世田谷美術館の今回の企画展は、文書が非常に読みづらい、いえ解読困難だったのです。

これはいったい

どうして読みにくいのか考えました。

ひとつにはガラスケースの高さがあります。

書見台としての高さにしては低過ぎて、かがみこまなければならない。

挙句私は、係員?監視員の人に「ガラスに手をつかないでください」と叱られちゃいました(笑)

ベタっと手などついていないのよ、それくらいの常識は持ちあわせてます

コート越しに肘が、ガラスケースの角に少しあたっていただけなのにぃ。。。

まあ随分きびしいこと。

全体重をかけたわけでもなし、そんなに軟やなガラスケースなのかいと(笑)

ちょっと気分が覚めましたが、読みたいのでケースにかがんでのぞきます。

それでも、暗くて読めない

照明は壁全体をぼやっと照らす程度のものしかなく、

ガラスケースの中の手紙のたぐいが読める光源ではありませんでした。

 

もうひとつ残念だったのが 叱り声

会場は、細かくブースが分かれています。

各ブースを進む、どん突きの角にスピーカーがありまして、

そこから「花森さんの肉声テープ」が流れていました。

内容は、花森編集長が取材に行った先で部下を怒り続けているものでした。

 

「なんで人が食事をしているのを、おまえたちは立って、

    立ったままで写真を撮るんだ。」

 

説教は延々と20分、そのテープが繰り返し繰り返し、エンドレスで続きます。

肉声が聞けるのは嬉しい、、、でも

肉声が聞ける機会はめったにない。

喜ばしい資料です。

でも、、、二つ目のブースに入ったあたりから、その音声が聞こえはじめました。

内容は聞き取れませんが、人の怒ってる声というのは、気持ちを不愉快にさせるものですね。

美しい原画を見ながら聞かされる怒った声、、、いかがなものでしょう。

 

前の若い男性は「花森さんて、ヒステリックな人だったんだな」と眉をひそめて通り過ぎました。

怒った声のテンションだけで内容がわからなかったら、みんなそんな印象をいだくでしょう。

「部下に礼儀を教える」編集長として大切な役目でしょうし、花森さんの言い分に間違いはない。

おっかないが、こんな繊細なことにまで気がつく神経の人だったのだと、

花森さんの人となりがわかる重要な資料だと思いました。

だったら 視聴覚室で聞きたかったなあ 

前半のガラスケースで意気消沈、さらに叱られまじりの見学は、やはりどうもというところ。

 

世田谷美術館には、実は丸いドーム型のスペースがあります。

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普段は壁になりますが、そこを開ければ自然光も入るスペースです。

今回の文書の展示、そこでしてもらいたかったなぁ。

鎌倉文学館など、文書展示に長けた場所を見慣れているので、そんな願望を抱いてしまう。

世田谷美術館は、花森さんの原画なども沢山所蔵しているようです。

ならば余計に、残念な一面でした。

 

絵文字のおじいちゃん

ほほえましい展示のお話をひとつ。

最後のブースに、花森さんから孫娘さんに宛てた手紙がありました。

「おじいちゃんはね、しーちゃん?がくれたお菓子を美味しく食べました。」

ごめんなさい、うろ覚え <(_ _)>

このおじいちゃんの所や、しーちゃん?の所や、お菓子が、イラストになっているの。

今でいうメールの絵文字です。

いとしいお孫さんに、花森おじいちゃんは、どんな顔をしてこれを書いていたんだろう。

編集部にいる時とは、また違った顔があったのだろうと、想像しながら会場を後にしました。