この作品は、
「藤沢在住の太田千三、その妻-ひで、千三ひで夫婦の養女-春枝、ひでの実姉-ゆきが自宅で一家心中」という新聞記事から始まり、結末も新聞記事で締めくくられています。
読み手は既に主人公がこの世の者ではないところを知り、物語を読み始めます。
本文は、服毒自殺を決意した4人の中年男女が静かに死を迎える一日が描かれているのですが、その静けさがなんとも印象的でした。
夫と妻、妻と姉、養女と義母の会話が優しくて切なくて健気で心にしみました。
事業の失敗、生活苦、病苦など家族が抱える山ほどの苦悩は今はなく、
最後の日は、穏やかな語らいや思いやりのある言葉に満ちています。
家族のそんな様子を見せられれば見せられるほど、身につまされる思いになりました。
「話の展開をテレコにする」
永井さんは度々こういった手法で読み手を翻弄します。
術中にまんまとはまった読者は、ドキドキさせられたり、しんみり読ませられたりと、作者の意のままの形に「読まされて」しまうのです。
舞台は大好きな鎌倉
いえ違います、正確には、藤沢駅から2駅の「柳小路」が舞台。
青梅雨は、梅雨の異称の一つ
青梅雨というのは、
梅雨前にたっぷりと陽を浴びはつらつとした樹木が、梅雨を迎え葉の色を濃くし、
その葉に降る雨を指す言葉だそうです。
天から降る雨と、木の葉の上で一呼吸分溜まった雨粒があるということを気づかせてくれる言葉なんだとか。
※ 参考資料 【青梅雨】(あおつゆ)
なるほど。
鎌倉に住む永井さんは、鎌倉の谷 ( やつ ) を見て、青梅雨を使っていたのでしょうか。
本文の雨の描写が見事でした
青葉若葉の茂みに、処々外灯が点っている。そういう細い道を幾間借りかして、千三は一番奥の家へ戻った。
闇と雨気を存分に吸い込んだ重さで、門の脇のくぐり戸まできしんでいるような住居 ( すまい ) だった。それに、もうずいぶん長く、植木屋も入っていない。
くぐり戸のねじ鍵を締めながら、千三は外灯を見上げて、しばらくぬか雨に顔を濡らした。今年伸びた竹の細枝が、千三の行く手を半分さえぎって垂れていた。
最後にこんな文章がありました。
マスコミに対する苦言を呈したものなのか。。。
長年、本の作り手をしていた作者らしい一節に、クスリとしてしまいました。
検死に立ち会った ( 第一発見者で親戚の ) 梅本貞吉は、
「親類といっても、直接血のつながりはありません。私の父親が、十年ばかり前にこの家を世話しました。春枝という養女は、ここの小母が肺を患って、東京の病院へ入院した時の看護婦で、それが縁で養女にしたそうです。
睡眠薬は春枝が集めたものでしょうが、ここの主人と肉体的な関係があったかどうか、その辺のことは私は知りません」と、語っている。
肉体的関係云々の個所は、新聞記者側の質問に応じて云ったものであろう。
質問と応答を一連にして記事にするのは、このごろの新聞の悪い習慣である。