Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

徳田秋聲集の解説を読んで

 

 

日本近代文学大系 21 徳田秋聲集の解説を読んで、 徳田一穂さんに関心を持ちました。

一穂さんは、徳田秋聲の実子です。

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どうして一穂氏に関心を寄せたかというと、ものの見方が違う人だからです。

《違う》というのは良い悪いの問題ではなく、《不思議に思う》ということ。

同じ文章を読んだり、同じ物事を考察するときに、全く違うところにひっかかったり、

違う発想をする人は、誠に気になるものです。

 

とにかく一穂氏は興味深い

例えば、こんな文章について、一穂氏はどんな解釈をしているか  ⤵

笹村は新たに入った社の方の懸賞俳句の投稿などが、山のように机の上に積んであるのを見受けた。今まで道楽であった句選 ※1 が、この頃先生の大切な職務の一つとなったのが、※2 痛ましいアイロニーのように笹村の目にきらめいた。

角川書店 日本近代文学大系 第21巻 徳田秋聲集『黴』p.102より

 

上は「黴」の中盤で、主人公の笹村 ( 秋聲 ) が恩師の尾崎紅葉のもとを訪ねるシーンです。

尾崎紅葉は、胃癌のため自宅療養をしているのですが、

作者 ( 秋聲 ) はその場面を「痛ましいアイロニー」と表現しています。

 

 

これについて、一穂氏は下記のような解説を加えています。

※1  今まで道楽であった句選………

生活のために句選をしなければならなくなるほどに、手許がつまってきていることを伝えている。

※2  痛ましいアイロニーのように…

全盛期を過ぎ、病に倒れた紅葉が、道楽でしていた句選を、むしろ大きな収入源としなければならなくなったのが、いたましい人生の皮肉として見受けられたのである。

 

更に、一穂氏は巻末の《補注》でもこう付け足しています。

↑↑ 訂正 巻末の《補注》は一穂氏ではなく、榎本隆司さんが書かれたもののようです。

榎本さんは徳田秋聲研究の第一人者とのこと。

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以下、文字起こし⤵

三十九 明治三十年代に入るとすでに紅葉は新しい文学世代に伍して生きるためにいろいろ苦しみはじめている。「金色夜叉」の連載 ( 明治30 1.1⸺ ) が、しばしば中断することになっているのも、その一端を物語る証左といえる。文壇の覇者として君臨していたことに変わりはなかったが、これまでとて決して余裕のある生活ではなく、その「経済的生活が引き締まっていた」ことで「大家の体面を保ち、人の世話をし」てきたというわけで、病を得たかれが、前提で触れたように、やがて永年その拠点としていた読売新聞社を退かねばならなくなると、手許はさらに苦しくなっていった。やがて癌という診断が出て自宅に帰った時、仲人である実業家の久我氏が「早速金を百円おいて行ったと言って、先生は病気になってから思わず手許が楽になったといって、悦んでいた」 ( 「思い出るまま」 ) というような状態でもあったのである。

 

四十 「黴」において秋声が、師の紅葉をかなりきびしくとらえていることが、鏡花の怒りを買い、有名な二人の不和の因になるのだが、鏡花にしてみれば、おそらく、この部分なども大いに気に入らぬところであったろう。しかし、秋聲の筆のきびしさは、その、師に対する思いが浅かったことを意味するものでは少しもなかった。鏡花の師匠思いはそれとして、作品の中の人物としてとらえる秋聲の眼のきびしさは、むしろ作家としての信念と、人間を見る眼のたしかさを伝えるものと読みとるべきである

※ 上記文中の下線は私が引きました。

 

この解説を読んで、私はある違和感を感じました。

作者 ( 秋聲 ) 本人が「痛ましい」と書いているのは自分の作品ですからいいでしょう。

しかし、息子の一穂氏が、輪をかけて言うことなのだろうか、と。

父を尊敬するのはわかります。

が。父の恩師に当たる人について、息子の分際で筆が過ぎるのではなかろうか、と。

この際《息子の分際》と、言わせていただきましたけれど、

やはり私には、立場が違うようにしかみえなかったのです。

解説者が、深く秋聲を信奉し研究している赤の他人なら、そんな風に感じなかったのでしょうが、

実子となると、やはり複雑な気分でした。

お父上と一心同体になっていらっしゃるのかなぁ。。 

 

 

追記 ) 

川端康成さんと徳田一穂さんが対談している記事を紹介していらっしゃるブログを見つけたので、リンクを貼らせていただきました。

やはり一穂さんは私にとって不思議なww キャラクターです (;'∀')

turugimitiko.hatenadiary.jp

 

追記2)  訂正

上記中盤の《補注》ですが、編集後記に

「《注釈》を担当されたのは、秋聲研究の第一人者榎本隆司先生。」

とありましたので、もしかしたら一穂氏ではなく榎本氏が書かれたものかも知れません。

解説は徳田一穂。注釈は榎本隆司。で、補注とは注釈のことなのかが不明です。

また、編集後記にこのような文章があり、笑ってしまいました。

「徳田一穂先生には、ユニークな解説をご執筆願いました。先生は秋聲のご長男にあたられ、今も都市化の波に吞みこまれようとしている本郷森川町の、記念すべき遺宅を守っておられます。」

※ 編集後記は、昭和48年 ( 1973 ) 、今から47年前の記事です。

  一穂氏は既に故人です。

 

 

今日の朝ごはん

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釜玉うどんです!

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熱いうちに卵を混ぜ混ぜして、、、

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九条ネギを乗せ、醤油を少しかけたら出来上がり!

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うまい!

 

 

今日の夜ごはん

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MOURI が3品1,000円と買ってきたのが、しらす&明太子&蒸海老

それから鯵のたたきだなんて、もうご飯が進んで仕方ない。

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さらにヒレカツですって。

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「帰りに好きなものをみつくろって買ってきて」といった私がいけない。

食べすぎですったら www