サリンジャーの『九つの物語』に難航している。
J・D・サリンジャーは、『ライ麦畑でつかまえて』などで知られるアメリカの小説家で、『九つの物語』の、特に最初の短編『バナナフィッシュに最適の日』は、サリンジャーが注目される切っ掛けとなったものらしい。
だが私はその良さ、、、というか話の筋すらさっぱり理解できなかった。
続けて6作品を読み進んだが、4作目『笑い男』が多少普通に読めた以外、作者がいわんとするところに触れられないでいる。
今までも内容が頭に入らず苦労した本はいくらでもあるし、《降りた》ものも いくつかある。
しかし今回は降りてしまうのも なんだか癪で、どうしたもんかと思っている。
サリンジャー作品は好き嫌いも激しいというが、注目が集まり《面白い》と評価しているバナナフィッシュの良さの片りんもつかめないままなのは癪でならない。
私の頭がカチンコチンになってきているのだろうか。
もう一度最初から読み直してみようかしら。
そう、こういう時には他の翻訳で読み直してみるのも良いかもしれない。
例えば最初につまずいた文章
私が読んだ集英社版では、こう訳されている。
「
もっと鏡を見て 」母親と一緒にホテルに泊まっているシビル・カーペンターがいった。「ねえ、
もっと鏡を見た ?」「さあ、おちびさん、そんなことをいうのはやめてちょうだいな。ママ本当に頭に来ちゃうんだから、黙っててよ」
『バナナフィッシュに最適の日』集英社文庫版 翻訳:中川敏 より
初見では、グラス夫人とその母との電話が終わったあとの、いきなりのセリフで何がなんだかさっぱりわからず、そのまま読んだ。
全部読み終えて、やはり意味がわからずネットで調べてみると、シビル・カーターという女の子が主人公のシーモア・グラスのことを言っているらしいとわかった。
インターネットで試し読みできたグーテンベルク21版ではこのような訳になっている。
「シーモアグラス」〔主人公の青年 Seymour Glass がこの少女には See more glass と思いこまれている。〕母親とそのホテルに滞在しているシビル・カーペンターがいった。
「シーモアグラスどこ?」
「おちびさん、そういうのやめて。マミーはそれを聞くとすっかり頭にきちゃうのよ。お願いだからだまってて」
『バナナフィッシュに最良の日』グーテンベルク21版 翻訳:繁尾久、武田勝彦 より
こちらの方は、キチンと少女が主人公の名前を音だけ聞いて勘違いしているということはわかるが、
やはり母親との会話としては意味不明。
海外 短編小説 解題 さんによると、サリンジャー及び彼のエージェントは翻訳の規制がかなり厳しいという。
サリンジャーのエージェントは翻訳に対してかなり厳しいらしく、原題に忠実な邦題を付けさせ、序文など書き加えもNGとしているそうだ。そもそもサリンジャーがザ・ニューヨーカー誌と契約を結んだのも、著者の同意抜きに作品に手を加えない雑誌であったかららしい。
とすれば、グーテンベルク21版の注釈は、エージェントにとってはギリギリのところなのかも知れない。
他の翻訳者は、どう訳しているのだろうか。
またまた翻訳の違いが気になってしまった。
本日の昼ごはん
金ちゃんラーメン きのこマシマシ
本日の軽食
皿うどん⤵大皿のこれは二人前
本日の夜食
ずっくり汁の浸み込んだ大根、でもこれ全然しょっぱくない
今年もほたて産直購入しました!
皿うどんの餡が少し残っていたので、春雨と豆苗を足して一品に