むかーしむかし、しぶさわえいいちという偉い人がいました。
その人のことを、これまた偉い文豪が本にしました。
澁澤榮一傳 幸田露伴
タイトルの旧字でもわかっていただけるでしょうが、難解な書物です。
1ページ進むのに、何回辞書を引かなきゃいけないか・・・・
とにかく露伴先生の言葉は女子供には手ごわいのです。
たゞ一言に諸外國を夷狄とのみ擯斥して更に其事象を知らなかった當時の人士の眼を世界の實相に開かせたことは、我邦を世界の中に嚴立せしむるに至つた端緒を成したもので、俊敏の士は皆内外の比較と批判とから大に悟るところあって、そして奮起して我邦を進歩せしむるに力め且奏效したのである。
あはは、笑うしかない。
どうしてもわからない言葉がありました。
畚と書いて「もっこ」「ふご」と読むらしい。
意味は、竹・わら・縄などで網状に編み、四隅につりひもをつけ、物を入れて運ぶ用具。もっこ。釣った魚を入れるかご。びく。
「畚をかつぐ」
その下の「鍤」という字。
これは「すき」「そう」「しょう」「ちょう」と読むらしいが、意味は不明。
二つの字、畚鍤と書いて検索してもこんな単語は出てこないのです。
「畚鍤に従事する人夫等の甚だ多く行交ふを見て」という文面から見て、
農業漁業に従事する人ということでケリをつけようかと思います。
ああ、大変。
でも面白いのです。
今読んでいるところは、渋沢栄一さんが将軍徳川慶喜の弟・昭武に随行してパリ万博に行った時の記述です。
この写真でも有名ですよね⤵
その時の「航西日記」が書かれています。
それを読むと、渋沢さんが後に手掛けた色々な事業のキッカケが全部ここにあったんだとわかります。
例えば、ガス灯、電線、道路が完備されていることに驚いたり、造幣局が立派だったり、監獄で罪人がどのように扱われているかに感心したり。
フランス帝の催しで観た演劇、音楽会、舞踏が本国のそれより立派であったことが書いてあって、それを万人が観て喜ぶことが、国の発展にどんなに大事なことかと考えたと書いてあるんですね。
因みにこれが後の帝国劇場を作ることにつながっていったらしい。
とにかく渋沢栄一が帰国してからやってきた色んな事業に繋がっているということが、
具体的に書いてあるのでワクワクします。
だから辞書と首っ引きで読み解きたくなるんです、大変だけれども、ね。
本日の朝ごはん
ペペロンチーノ ( スモークオイルサーディン&フライドガーリックラー油 乗せ)
本日の夜ごはん
単独の写真を撮りそびれましたが、驚くほど美味しかったのは上の皿です。
「キャベツとイカ炒め」
イカをニンニクで炒めて、キャベツも加え、
鶏ガラスープの素と、オイスターソースで味付けしました。
こちらがオリジナルです⤵