NHKの「サイエンスZERO」で、鳥についての興味深い研究を紹介していた。
長野県軽井沢の森にいる鳥たちに大発見が
なんと鳥たちが単語や文章をあやつり会話をしていることが明らかになったそうだ。
シジュウカラのメスが巣箱で卵を温めている時「チリリリリ」と発した。
これは「おなかが空いたよ」という鳴き声。
すると外にいるオスが「ツピー」と鳴いた。
これは「そばにいるよ」と答えているのだという。
そして間もなくオスが食べ物を持ってきた。
夫婦で盛んに会話をしてコミュニケーションをとっているらしい。
さらに森にいるシジュウカラを観察すると
「ヒーヒーヒー」
よく見ると、鳥たちが木の陰に隠れだした。
「ヒーヒーヒー」とは天敵のタカを表わす言葉なのだという。
カラスが来た時には「ピーツピ」
蛇が来た時には「ジャージャー」と
対象によって全く違う言葉を使い分けている。
この鳥の言葉の解明を手掛けているのが、動物行動学者の鈴木俊貴博士。
鳥が人間のような言葉を駆使しているのを初めて証明し、世界を驚かせた。
今やその話が、中学校の教科書にもなっているらしい。
鈴木博士は言う。
「今まではヒトだけが言葉を持っていると決めつけていたいただけで、
詳細にいろんな動物を調べていくと、たぶんもっと面白い共通点とか見つかってきて、
言葉はどうやって進化したのか、どこに僕たちの言葉の能力の起源があるのか、
迫ることにも直結すると考えています」
「童話とかには動物が喋ってるのとか、よくあると思うんですけれど、
実際科学者はどう考えていたかというと、単語とか文章を作れるとか、文法を持っているとか、そういった言葉の力は、人間だけに宿った特別な能力だと考えてきました。
犬はワンワンとかキャンキャンとかいろんな声を出すけれど、それは実は言葉になっていなくて、嬉しいとか怒ってるとかそういった感情の表れにすぎないと考えられてきたんです」
「でも、僕からすするとシジュウカラを見ていると、感情だけじゃ説明できないと思うところがあって、それが研究を始めたきっかけになっています」
鈴木さんが研究している鳴き声の種類がこちら
鈴木さんの研究で意味がわかってきたのは15個。
さらに16年にわたって確認されたパターンは、200以上あるという。
鈴木さんはそれを証明するために、こんなことを考えた
見せる 聞かせる マル秘の三段階の実験。
まずは《見せる》実験
ヘビのレプリカを巣箱の上に置いてみた。
ヘビを見つけたシジュウカラは、
けたたましい声で「ジャージャー」と鳴き、ヘビを威嚇しはじめた。
鈴木さんはほかの天敵、タカやテンなどでも実験を行ったが
「ジャージャー」とは鳴かなかった。
「ジャージャー」がヘビを指す言葉の可能性がありそうだ。
二つ目の《聞かせる》の実験
前もって録音しておいた「ジャージャー」の鳴き声をスピーカーで流す。
すると、シジュウカラたちが突然地面を見始めた。
天敵のヘビがいないかどうか、警戒しているように見える。
小島瑠璃子「これで完璧じゃないですか。見せてちゃんと反応してあの声で、他のシジュウカラに聞かせるとヘビを探すような行動がある。マル秘いります?」
鈴木博士「例えば、ジャージャーって声を聞いたときに反射的に地面を見るという行動が、ヘビっていう意味がわからない、ジャージャーが聞こえたら下を見ちゃう性質が シジュウカラにあっただけと考えることも出来ますよね」
小島「科学的に何か物事を解き明かすときにはやっぱり逆の説、素人でいういちゃもんを
鈴木「そのいちゃもんをすべてクレアしないと、本当に彼らが言葉を持っているか証明できないんです。人間の場合、単語とかを理解するとき何をしているかというと、頭に物を思い描いていますよね、たとえば《リンゴ》って言ったらリンゴのイメージできますよね、リンゴの絵を描くことができる。《バナナ》って言ったら、バナナのイメージが思い浮かぶ」
それが三つ目のマル秘、サーチイメージの実験だ
小島「鳥が頭の中に何を思い浮かべているかを研究で明らかにするってことですか」
鈴木「そこで使ったのが、この棒と紐なんです」
まずこの棒を木の幹に紐でつるす。
そしてシジュウカラにスピーカーで「ジャージャー」という声を聞かせながら
棒を幹をはうヘビかのように引き上げる。
人間の場合、言葉を聞くことで物の見方が変わってしまい、
見間違いを起こしてしまうことがある。
もしシジュウカラにとって「ジャージャー」がヘビを指す言葉なら、
棒をヘビに見間違えて何らかのアクションを起こすはず。
鈴木さんはそれを実験で確かめようとした。
この矢印の下に引っ張り上げる棒がついている。
スピーカーから「ジャージャー」を流す。
木を引っぱると、シジュウカラが棒に注意をむけて近づいてきた。
本物なのか確かめに来たような状況なんだとか。
観察した12羽のうち11羽が、木の下近づいて観察している様子が確認できた。
鈴木「でもこれだけでも不十分なんですよ」
小島「まだいちゃもんつけるんですか?( ´艸`) 自分で自分の研究にいちゃもんつける作業ですね」
鈴木「そうそう。それは何かっていうと、どんな声を聞いていても木の枝を見るだけで、それを確認しに行くのではないの?
イメージなんかなくても、木の幹を這い上る枝って変なものだから、それを見たら近づいちゃうんじゃないの?って」
小島「まあ、言われてみればそうとも」
鈴木「そこでやったのは、今度は別の鳴き声をシジュウカラに聞かせて同じように枝を見せる」
小島「あっそうですね、そうするとタカの時にはあのヘビは
鈴木「見間違えないはずですよね
小島「そうだ
こちらがその映像。「ヘビ」ではなく「集まれ」を聞かせて棒を引き上げています。
その結果、12羽中たった2羽しか棒に近づいては来なかった。
鈴木さんはこのようにして、否定される可能性をひとつひとつつぶし、
「ジャージャー」が「ヘビ」を意味するいわば名詞だと証明したのだった。
単語だけではない! 文章もあやつっている!
実験に使うのは天敵であるモズのはく製。
モズはタカほど大きくないため、鳥たちは仲間を集めて威嚇する行動をとる。
この時あげた鳴き声は「ピーツピ・ヂヂヂヂ」
実はこれが二つの単語を組み合わせた文章だという。
一つ目の「ピーツピ」は「警戒しろ」という意味。
「ヂヂヂヂ」は「集まれ」という意味だ。
聞きつけた仲間の鳥たちは、確かにキョロキョロと警戒しながら集まってきた。
そして羽を素早く動かし威嚇を繰り返した。
実はこうした行動は単語ではなく、文章で伝えないと出来ないという。
「集まれ」だけのときは、無防備に移動し天敵にやられてしまう可能性がある。
「警戒しろ」だけだと、そこから動かず団結することは出来ない。
文章を使い「警戒」と「集合」を同時に促すことで、ひとりでは敵わない敵にも立ち向かうことが出来るというワケだ。
小島「単語だけじゃなくて、文章まであやつれるんですか」
鈴木「そもそも言葉を組み合わせる能力って、人間の特権と考えられてたんですけれども、実際はそうじゃなくて、シジュウカラでも2つの言葉を組み合わせてるんじゃないかと、そういうことに気づいて、これもいろんな実験で証明することにしました」
小島「これもまた証明の難易度がぐっと上がりそうです」
浅井アナウンサー「 ( 文章ではなくただ ) 2つの言葉を別々に理解している可能性はないんですか?」
鈴木「その可能性もあるんで何やったかっていうと語順をひっくり返す実験をしました」
小島「ヂヂヂヂ・ピーツピ」
鈴木「シジュウカラは面白くて、ピーツピ=警戒、ヂヂヂヂ=集まれを組み合わせる時、
絶対「ピーツピ ( 警戒 ) 」「ヂヂヂヂ ( 集まれ ) 」の語順でしか組み合わせないんですよ。それをひっくり返して「ヂヂヂヂ ( 集まれ ) 」「ピーツピ ( 警戒 ) 」にして聞かせる実験をしたんですね。そうしたら警戒行動も示さないし、寄ってこないんです」
小島「えっ。どっちもしないんですか」
鈴木「どっちもしない。要するに彼らは、語順を理解して鳴き声の意味を解読している」
小島「そうなると文法まであるわけですね」
鈴木「そうなんです語順があるってことは文法があるんじゃないか。でもこれ、本当に文法になってるかっていう疑問が新しく生じて、それも実験することにしたんです。
人間の場合、文法能力っていうものかっていうと、文法のルールを使って、初めて聞いた文章でも正しく理解することができるんですね」
小島「ああ、文法ってしういうものだったんですか」
鈴木「初めて読む本でも、ルールにのっとって読めば
小島「内容が理解できる
鈴木「できますよね。でもこれ難しいんですよ、実験するのに。
小島さんだったらどうやって、新しい文章をシジュウカラが理解していることを示すことが出来ると思いますか?」
小島「ええでも、単語の置き換えかな。どっちかだけ変えてみる。そうすると、でも、
語順入れ替えただけで通じないんですものね」
鈴木「そうなんですよ、シジュウカラの声を組み合わせて聞かせてみる実験が思いつくかと思うんですけども、それってなんでシジュウカラがそもそも ( その組み合わせを ) 使ってないかというと、彼らの語順文法ルールに反するから使ってない可能性もあるじゃないですか。
だから新しい文章ってどうやって作ろうかなって
小島「ほんとそうですね
鈴木「それでヒントになったのが、ルー大柴さんなんです」
鈴木「ルー大柴さんって、ルー語で有名ですけれど、ルー語って何かなというと、日本語の文章の一部を英語に置き換えることで面白い、新しい人が初めて聞いたような文章を作る。逆鱗にタッチっていったら、わかるでしょ?」
小島「わかる(笑)」
鈴木「藪からステックもわかりますね」
小島「そうですね」
鈴木「そういった意味を理解できるのは、タッチが触れるっていう意味だって分かってるから、逆鱗にタッチ=逆鱗に触れるっていうふうに分かる。それは日本語の文法を使って理解してるんですね。だからシジュウカラでも同じような実験ができるんじゃないかなと考えたんです」
小島「ああ。でもどうやって、シジュウカラの言葉で「藪から棒」を「藪からステック」にするんですか」
鈴木「そこで僕の調査地の長野県ではシジュウカラって他の種類の鳥と一緒に群れをつくるんですね。
山に住むシジュウカラは、コガラやヤマガラなどと一緒に群れを作ります。
そしてなんと、種類の違う鳥同志でも鳴き声を理解しあっているのです。
仲間に集まれという時、
シジュウカラは「ヂヂヂヂ」
コガラは「ディーディーディー」と鳴く。
餌を見つけたコガラが「ディーディーディー」と鳴く。
するとシジュウカラや他の種類の鳥たちも集まってきた。
このように群れの鳥たちは、異音同義語、いわば外国語を理解しているのだ。
鈴木「この同義性を使えば「ピーツピ ( 警戒 ) 」「ヂヂヂヂ ( 集まれ ) 」の集まれの部分を、コガラ語に置き換えるとこで、「ピーツピ ( 警戒 ) 」「ディーディーディー ( 集まれ ) 」という自然界ではありえない新しい言葉、ルー語を作ることができる」
小島瑠「すごい。で、聞かせてみたんですか」
鈴木「聞かせてみると、ちゃんと理解できるんですよ。同じ意味だとわかっているようで、シジュウカラは警戒しながらスピーカーに近づいてきて、あたかも天敵を探して追い払うかのような行動を示したんです。しかも語順をひっくり返すとまた意味が通じなくなったんです」
鈴木博士は、こういった動物の言語行動学をすすめていくことで、人間の言葉の進化の普遍原理にせまることも出来るのではないかと考えている。
小島さんが、動物言語学が広がってその先のことを考えると、動物と人間が一緒に話す言語が新しく作れるかも知れないと言った。
すると博士が、《すでに動物とヒトが会話をしている実例がある》と紹介した。
ミツオシエとヒトの会話
モザンビークでは人間と鳥が会話をしているのがわかっている。
ミツオシエという鳥と人間の話。
ミツオシエは人のところに近づいてきて「ギギギギギ」と鳴く。
すると人間は「蜂蜜の場所を教えてる」と解釈し、その鳥を追いかける。
そうするとちゃんと蜂の巣がある。
鳥にとっても蜂は怖いのだが、人間は火をたいてその煙で蜂をやっつけて巣を落として蜂蜜を食べる、そのおこぼれをミツオシエにあげるとまた教えに来てくれる。
しかも、ミツオシエを見失ってしまった時に、人間が「ブルルルル」という声を出すと、ミツオシエが寄ってくる。
そのように双方向で会話が成り立っているというようなところもある。
それは協力関係が成り立っているということである。
鈴木博士の説明はとても丁寧でわかりやすく、
小島瑠璃子さんの質問も明快でした。
鳥の言葉の話は全編通して興味深かったけれど、
特に印象に残ったのはシジュウカラの言葉に森が関係しているという推論でした。
鈴木「僕も今 気になっているのが、なんでシジュウカラって文法の力を進化させたんだろうな。ひょっとしたら文法の力っていうのは森の中で進化したんじゃないかな」
小島「森の中」
鈴木「シジュウカラを観察していると、お互いに鬱蒼とした森の中で群れているんですけれども、群れの中の鳥と鳥の距離が結構離れているんです。
10m 20m離れている、だからお互いに目で見えないんです。
目で追えないような間隔で情報を伝え合うには、ただ『来て』とかだけじゃなくて、
『天敵がいるから警戒しながら近づいて』とか『ちょっとこっち見て』とか、複雑な情報を同時に伝える必要がある。
単純な声でも開けた場所だったら、お互いに目で見ることができるから、『こっち見て』みたいな声であればそれでみんなそっち見たら、天敵がいるから見てほしいのか、餌があるから見て欲しいのか分かる」
小島「そうか、やっぱり森の中で仲間との距離がある程度あいていて、天敵のバリエーションがものすごく豊富
鈴木「で、何をして欲しいのかっていうのを一言じゃ表わせない。
ただ『来て』だけだったらダメ。『天敵がいるから来て』みたいな複数の情報を同時に発信する必要がある、そういう環境で言葉っていうのは進化した、文法は進化したんじゃないかと僕は考えています」
これは私もよく感じることだ。
にゃんこの集会場にも、色々な鳥が集まってくる。
カラスを観察していると、色々な鳴き方をして仲間と交信している。
「グアーッコ、グアーッコ」「グルルルルルル」「カアカア」など。
これも枝や葉で視界を遮られているカラスだから、目視できない仲間のカラスに何かを言っているのだと思う。
カラスのキョーちゃんとハタボウ。
このふたりも、異音 同義語で会話しているのだと思う
一方、地面の猫は、仲間同士には声を発しない。
喧嘩の時や、仔猫を呼ぶ時には声を発するが、普段の猫同士は音なしで交信している。
あっ、今、ハタボウがコタヌに
「お前はこっちの子じゃないだろ? 自分のテリトリーに帰れよ」みたいなこと言ったな。
コタヌは
「そんなこと言ったって、お腹空いたんだもん」みたいに反論している。
お互いに一切、無音であった。
テレパシーというか、気のようなもので交信しているとしか思えなかった。
もうひとつ、わすれられない状況があった。
以前、ハタボウに病気のツキグロさんの居場所を教えてと頼んだ時も、無音だった。
ハタボウはトコトコ歩いていって、茂みの中に目をやっただけで一言も鳴き声を発しない。
にもかかわらず、茂みの中からツキグロさんがゴソゴソと現れた時、
この子たちは無音で交信しているのだと思ったのだ。
番組の冒頭で鈴木博士や小島瑠璃子さんがおっしゃっていたように、
《言葉をあやつるのは人間だけではない》と私も思っている。
言葉をあやつるのが人間だけだと思っているのは、人間のおごりであり、
シジュウカラにはシジュウカラの、カラスにはカラスの、猫には猫の、
それぞれが必要にせまられて生み出し進化させていった言葉があるはずである。
そういったことを何十年もかけて取り組んで立証したひとりの研究者の偉業を、
とても興味深く、尊敬の念をもって観た番組であった。
本日の昼ごはん
本日の夜ごはん
昨夜の残り物2品で、鍋が出来るのを待つ。
できた!
キムチ鍋
最近、モランボンと叙々苑の鍋の素を交互に使っている。
甲乙つけがたい出汁である。
本日は叙々苑のキムチ鍋