松本清張『海堂尊オリジナルセレクション~暗闇に嗤うドクター』読了。
今は、続けて『草の径』を半分まで読み進んでいる。
『暗闇に嗤うドクター』は、以前お話をした通り、
数多ある清張作品から、医療にまつわる作品を海堂尊がセレクトしたもの。
有名作家の名前を借りた感が否めない企画と思ったが、収録作品はすこぶる面白い。
私は、清張作品は『砂の器』『ゼロの焦点』くらいしか読んでこなかった。
《原作を読む》よりも《ドラマを観る》方が多かった。
しかし私の見てきた清張もののドラマは、残念ながら琴線に触れなかった。
若い頃のものは特にだ。重いテーマのものもあるにはあったが、大半が2時間ドラマの「チャンチャンチャラーーー」という印象の方が多かった。
今回、松本清張について触れるにあたり調べたところ、
清張さんが事務所を設立していたことを知った。
1983年には19作品、24回の新作ドラマが放送されるなど、視聴率を確保できるとされた清張作品のドラマ化は過熱気味となっていたが、原作のテーマから逸脱した不本意な映像化を防ぐ目的もあり、霧プロダクション解散後の1985年に「霧企画事務所」が設立され、清張は監査役を務めた(2000年に解散)。
ドラマの清張作品がチープに感じたのは私だけではなかったのかも知れない。
松本清張という冠をつければ、ドラマ作品がヒットするという風潮の元、
「原作のテーマから逸脱した映像化」がテレビ界に氾濫した時代があったようだ。
今回、何気なく図書館で手に取った本書の6本の短編を読み、
松本清張が扱うテーマの多様さと、医学に関する知識の深さに驚いた。
特に『死者の網膜犯人像』と『皿倉学説』は素晴らしい。
かなり深く医療の分野の情報を集めないと書けない作品であることに感心した。
松本清張と医学、医療の接点が戦時中にあることを香山さんの解題でわかった。
以下、冒頭の部分を転記する⤵
松本清張が最初に軍隊に入ったのは1943年 ( 昭和18年 ) 10月のことである。その13年前、二十歳のときに受けた徴兵検査では第二乙種の補充兵とされ入隊を免れたが、このときの乙種補充兵のための教育召集では三ヵ月の兵営生活を余儀なくされた。
階級は、衛生二等兵。
松本清張と医学、医療との接点というと、まず思い起こされるのはこのことである。
翌44年6月、二度目の召集令状を受けた清張は朝鮮半島に渡り、最初は京城、その後終戦までは全羅北道の井邑という街で過ごした。衛生兵としては、医務室勤務のときは診断室係として「診察する軍医の傍で診断簿を描いたり、薬室に回す薬品の名前を書き入れたりした」 ( 『朝鮮での風景』/『半生の記』新潮文庫 ) が、井邑での生活になると、「私は最後まで飯炊きや、食器洗い、洗濯などの雑用に終始した」 ( 同前 ) という。
サブジャンルを形成するまでには至っていないが、清張作品の中で医学や医療を扱った作品は独特の存在感を持っている。権力的な組織という点では、医科大学や病院、研究所等はまさに恰好の題材であっただろうし、トリックや謎解きに医学知識を援用したものも少なくない。『点と線』的な代表作に恵まれなかったのは惜しまれるところであるが、衛生兵時代の経験から始まった清張と医学、医療のかかわりは創作活動に確実に影響を及ぼしてきた。その成果についても、今改めて光を当てておく必要があろう。
新潮社 海堂尊オリジナルセレクション松本清張傑作選 暗闇に嗤うドクター
解題 香山二三郎 p.274
本日のひとりご飯
冷凍してあったカレーとご飯で簡単に。
あら? 朝と夜食は何食べたんだったかしら。。。