Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

スティーヴンソン『ジキルとハイド』

 

『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』につづき、原典の『ジキルとハイド』を読了。

小学生の時に児童書で読んだような気もするが、記憶からごっそり抜け落ちている。

こんなに面白い本だったのか

ジキルとハイドの名前は、二重人格の代名詞として使われているから有名だけれど、

どんなストーリーかを知ってる人は案外少ないかもしれない。

私が意外に思ったのは、主人公 ( ジキルとハイド ) より、友人アタスンの出番が多かったことだ。

 

 

長いですが、あらすじのようなもの

物語は、弁護士アタスンの人となりの描写から始まる。

アタスンは、いかつい顔で人と話す時には淡々と言葉少なく、陰気で風采があがらず、

質素な印象、だがしかし、どこか人好きのするところがあって好人物。

と、こんなアスタンの描写が1~2ページ続く。

 

アタスンは、親戚のエンフィールドと日曜日の散歩中を習慣としている。

ある日、薄汚れた裏通りを通ると、エンフィールドがここで起きた出来事の話をし始める。

この十字路で、不快な感情を呼び起こす醜悪な男が、少女と鉢合わせをした。

男は転んだ少女を平然と踏みつけて立ち去ろうとした。

あまりの非道な行為に集まってきた人々も怒りだし、医者を呼ぶ騒ぎとなった。

エンフィールドが男に詰め寄ると、男は「金額を言え」と路地奥の建物に入り小切手を持って来た。

男の名はハイドといい、彼が持参した小切手の署名はジキル博士のものだった。

 

 

話を聞いたアタスンは憂鬱な気分になる。

ジキルはアタスンの古くからの友人で、アタスンはジキルの弁護人として奇妙な遺言状を預かっていた。

「ヘンリー・ジキル 死亡もしくは失踪した際には、

 財産はすべて“友人であり恩人であるエドワード・ハイド”に贈られる」

アタスンは、ハイドがジキルの財産を狙って恐喝しているのではないかと危惧し、ハイドを探し始める。

と、ここまでの流れが、物語全体の1/5を占める。

 

アタスンはハイドと会い、エンフィールドが言う通り、不愉快きまわりない人物である実感する。

アタスンは、ジキルと自分の共通の親友ラニヨン博士を訪ね、最近のジキルの様子を聞く。

 

そうして物語の1/4を経過したところでやっとジキル博士が登場。

ジキルはこう描写されている。

ジキル博士は長身で、均整のとれた体つきをした、人あたりのいい五十代の男。

すこしばかりの狡猾さはうかがえるものの、寛容とやさしさがそれをはるかに凌いでいる。

アタスンは、ジキルが久々に開いた夕食会に行って遺言状のことを切り出す。

すると今まで温和だったジキルは途端に顔色を変え、ハイドの話題は避けたがる。

 

一年が過ぎたある夜、老紳士がステッキで撲殺されるという事件が起きた。

被害者はアタスンの依頼人のカルー卿、犯人は目撃者の証言でハイドと判明。

凶器として使用されたステッキはアタスンがジキルに贈ったものだった。

アタスンは再びジキルを訪ねる。

ジキルはハイドとの関係を完全に断ったと言い、ハイドが書いたというトラブルについての謝罪と別れを告げるメモを見せられる。

※ アタスンの主任書記はジキルとハイドの筆跡が類似点を持っていると指摘。

 

ハイドが忽然と姿を消す。

ジキルは以前の親しみやすい社交的な態度に戻ったが、その後、唐突に訪問者を拒み始めた。

心配したアタスンは、再び共通の友人ラニヨン博士のもとに相談に行く。

ラニヨンは憔悴し今にも死にそうな状態で、ジキルの話はもうしたくないと拒絶。

それからひと月足らずでラニヨンは病死。アタスン宛てに手紙を残したが、

手紙には、ジキルが死ぬか失踪するまで開いてはならないという遺言がそえられていた。

 

ある夜、アタスンのもとにジキルの執事のプールが訪ねてくる。

ジキルが書斎に閉じ篭ったままで、様子がおかしいので一緒に来てほしいと懇願され屋敷に向かう。

書斎から聞こえてくる声はジキルではなく、足音も奇妙に軽くジキルとは思えない。

プールは書斎にいるのはハイドで博士は殺されたと推測、二人はジキルの書斎に入ることにする。

 

二人が斧で扉を破壊し書斎に入ると、中には自殺したハイドの遺体が横たわっていた。

ハイドはジキルのものと思われるサイズの合わない服を着ており、ジキルの遺体は見つからなかった。

 

 

事務机の上にアタスン宛ての封筒が残されていた。

中には相続人をアタスンとするジキルの遺言状、アタスンに向けた謝罪と詳細を記したジキルの分厚い手記が入っていた。

アタスンはまずラニョンの手紙を読んでから、ジキルの手記を読み始めることにした。 

 

 

こうして手記により、ジキルとハイドの関係がつまびらかになっていくという話。

 

感想

この本でまず感じるのは、研究に没頭するあまり倫理を逸脱してしまう科学者の性 ( マッド・サイエンスぶり ) と、老年にさしかかり名士となったものの、はめられた枠からはみ出してみたいという男の性の痛ましさだ。

しかしそれより深く感銘を受けたのは、男同士の友情に対してだった。

 

主人公ジキルとアタスンとラニヨンの三人は、かなり古くからの友だちだったようで、

特にアタスンとラニヨンは幼馴染と書かれている。

( ラニヨンは ) アタスンを認めると、椅子から勢いよく立ち上がり、両手を広げて歓迎の意を示した。今のその心情は嘘偽りのないのだった。というのにも、ふたりは昔からの友人だったからだ。小学校から大学までともに学び、ふたりとも自尊心は強かったが、相手に対する敬意を忘れたことはなく、同級生という間柄が必ずしもそうなるわけではないものの、気の置けない仲だった。

『ジキルとハイド』p.23より

 

功成り名遂げ、お互いに大きな屋敷を構えていても三人の交友は深かった。

家を訪ねて、まず執事の取次がないと会えないような暮らしになっても、三人の心のつながりは深かった。

アタスンが、ラニヨンとジキルとが疎遠になっているという話を聞き、残念に思うところも、こう記されている。

「ラニヨン、ヘンリー・ジキルにとっては、きみと私のふたりが最も古い友人だろうね」「古い友人ではなく、若い友人であればと思うがね」とラニヨン博士は言って、ひとり可笑しそうに笑った。「そう、確かにそのとおりだ。でも、それがどうしたというんだね? このところ私はあまり彼に会っていないんだ」

~中略~

「ヘンリー・ジキルがあまりに奇抜な存在になってもう十年以上になる。彼はおかしな方向に進み、おかしな考え方をするようになった。もちろん、いわゆる昔のよしみで、彼のことが気にならないわけではない。それでも、今はもうほとんど会っていない。あんな非科学的なたわごとを聞かされては⸺」とラニヨンは言い、やにわに顔を紅潮させて続けた。「⸺無二の親友が疎遠になってもしかたがないよ」

 

アタスンはラニヨンが垣間見せた癇癪にむしろ安堵して思った⸺「ふたりはただ単に学問上のことで考えが合わないだけなんだ」と。科学に対する情熱などいっさい持ち合わせていないアタスンはさらにこう思った⸺「ただそれだけのことだ!」と。

『ジキルとハイド』p.25より

 

 

私は、脇役のアタスンやラニヨンを通して、ジキルがどんな人物であるかを想像して楽しんだ。

ジキルが実際に登場する場面が少なくても、彼が付き合ってきた無二の親友二人が好人物とわかることにより、主役の印象が良くなった。

アタスンのような友だち思いで誠実な男や、ラニヨンのような人を裏切らない男を友人に持っていることで、《ジキルの善》が深く印象づけられた。

 

この《友情》については、翻訳者の田口俊樹さんもこのように書いていらっしゃる。

さまざまに読める一例としてもうひとつ、訳者の率直な感想をつけ加えさせてもらうと、本書は男の友情物語としても読めはしないだろうか。初めからこれが怪奇小説であることを知っていたせいもあろうかと思うが、急に不可欠な行動をとり始めたジキル博士を案じる弁護士アタスンの健気なほどの思いが、訳者には読後強く印象に残った。

 

当時と現代の平均寿命を考えると、今の自分がちょうどジキルやアタスンと同じ年恰好になることもあるかもしれない。また、つまるところ、これが時代性⸺古きよき時代⸺ということなのかもしれないが、このヴィクトリア朝時代の中上流階級の男同士、旧友同士のつきあいのおだやかで上品な距離感。互いに信頼しつつも節度を保った自立した関係。男子たるものかくありたし、と思った次第。

 

『ジキルとハイド』は、実に多くの方が翻訳を手掛けているが、

今回、田口俊樹さんの翻訳で読んだことでこの本のツボにはまったのだと思う。

 

 

 

本日の昼ごはん

和定食、鮭のカマが食べたいという人のリクエストで

 

 

本日の夜ごはん

まずこの二品 どちらも箸でちびちび食べるものなのでつまみには最適

そんなことをしてもらってる内に、ラム肉のおかずとタコのおかず

 

タコはニンニクと甘辛の炒め煮

 

ラム肉は、乱切りの茄子とピーマン、しめじと一緒に炒めて塩と味覇で味付け

 

明日、朝食にハンバーガーにしようと買ったバンズのはずだったが、

食べてみたら甘くてふかふかのロールパンだった。