「新潮」に掲載されていた森山啓さんの追悼文によって、今まで知らなかった島木健作のことを色々知ることが出来た。
貴重な資料が手に入ったと喜んでいたが、更に思いがけない収穫に小躍りしてしまった。
森山さんは、島木健作と同年代の詩人・小説家である。
島木健作デビュー作「癩」が編集部に持ち込まれた時からの付き合いで、
島木が住む本郷の下宿にも訪ねていたり、鎌倉に住む前に世田谷の家を紹介したのも森山さんだった。
島木健作の喋り方、風貌、文学への取り組み方、読書家だということ、などなど、
友だちでなければわからない生きたエピソードが沢山つまった追悼文だった。
お時間と興味がある方、もしよろしければ読んでみてください。
※ 原文は旧字旧かな遣いだが、読みやすいように変換した。
因みに、森山さんが訪問した本郷の下宿は、私も探しに行った場所だ。
古地図を見ながら路地に入ったものの、建物は変ってしまっているし、どの家だったかまではわからなかった。
「たぶんこの辺りに住んでいたんだろうな」とほっつき歩くだけで嬉しかったのだが、
森山さんの追悼文には、実際にその家に入って、二階の居間で話をしたという記述がありワクワクした。
本当にこの雑誌を買うことが出来て良かったと思った。
本日の昼ごはん
冷やし中華
本日の夜ごはん
と、取り揃えてみたけれど、食欲がなく・・・
枝豆をついばんだだけで、三品盛りも夏野菜の白だし和えも全部手つかず
目は食べたいの、、、だからスペアリブも焼いたけど、、、
2個っきゃ食べられませんでした。
あとは全部、となりのしとのお腹に入った。
かと思えば、こーんなパンや
こーんなパンや、
こーんなパン、、、は半分ずつ食べた。
しまいに、水羊羹もペロリ
どうなってんだか (;^_^A