コレット「さすらいの女」の挿絵画家について調べだしたものの、日本のネットでは全くヒットしない。
《1924年刊行》《ソシエテ・デュ・リーブル・ダール版》《画家はミシュ Mich》
これだけではヒントが少な過ぎる。
フランスのサイトを調べてみることにした
「さすらいの女」は邦題で、原題はなんというのかしら・・・
femme errante か? いやいや(;^ω^)
《Sidonie-Gabrielle Colette》 でフランス版ウィキに飛ぶ。
流石に母国のウィキは写真も豊富だ。
Romans ( 小説 ) の欄で「さすらいの女」らしきものを探すが見当たらない。
日本のサイトに戻り「さすらいの女」の原題を探すと『La Vagabond ( 放浪者 )』 と判明。
ここからはフランス版サイトでヒットするようにフランス語の単語で検索をする。
《La Vagabonde》《Roman》《Illustrations de Mich》で検索すると下がヒットした。
あった、あった、この絵だ!
上のサイトの「この本について」の部分を訳してみたら、こんなことがわかった。
P., Imprimé pour la Société du Livre d'Art, 1924, In-4, br., untrimmed, 233 pp. (縁に褐色あり) 本書は、ソサエティ会員であるベハーグ伯爵夫人の指示のもと、150部発行されたが、11部のみ販売された。Mich(J.M.M.Liebeauxのペンネーム)によるリトグラフは、巻頭に3点、オブラートに6点、本文中に18点のコンポジションとキュール・ド・ランペがE.デジョベールによって印刷された。書籍。販売者在庫番号 11527
Mich は、J.M.M.Liebeaux のペンネームだと判明、
ソシエテ・デュ・リーブル・ダール版はフランス語で、Société du Livre d'Art と判明。
もう一息よ、、、
じゃ、下記の単語で検索しよう
《COLETTE》《 LA VAGABONDE》《 Paris》《 La Société du Livre》《1924》
上のサイトの文章を翻訳したところ、
「風刺画家で広告デザイナーのミッヒ (1881-1923)による、31点の作品が描かれ」という文章があった。
広告デザイナーはフランス語で、dessinateur らしいので、
《dessinateur》《Mich》で検索。
ピンポーン!
この人ですわ、Jean-Marie Michel Liebeaux 、通称Mich
ミッシェル・リーボーは1881年にペリグーで生まれ、ナントで絵画を学びました。
馬が好きだった彼は騎兵隊で兵役に就いていました。
画家ショードロンの生徒である彼は、地元の小さな風刺作品を出版することから始めました。
1904 年に彼はパリに移り、そこで彼の絵は、彼と同じペリグー生まれのセムのスタイルに触発されましたが、それほど酸味がありませんでした。
ミッヒという名前でポスター デザイナーおよび広告デザイナーとなり、主にサイクルと自動車の世界に関連する多数のブランドにサービスを提供しました。
シャンテクレールの寄贈式 (1910 年) のポスターに加えて、彼はペンの父でもあります。オノトの場合は男性、ハッチンソンのタイヤの場合は犬を連れたグラインダーです。彼は、大手自動車メーカー、特にシトロエンのいくつかのポスターの原型を作りました。 1907 年に、彼はルイ・ヴィトンやカミーユ・ジェナツィなどの著名人のポートレートを収録した『自動車』というタイトルの新しいアルバムをリリースしました3。また、定期刊行物『L’Écho de Paris』、『Fantasio』、『La Vie parisienne』ともコラボレーションしています。 1912 年、彼は有名なスポーツ選手の素描 50 点をサロン デ ユミストに展示しました。 1918 年以降、彼は当時の主要なスポーツ日刊紙「L'Auto」の漫画家になりました。
リエボーは1923年にメーヌ・エ・ロワール県のラ・ジャイユ・イヴォンで亡くなりました。
彼は 1913 年 5 月 6 日にナントでマリー=アンヌ・ド・メセイと結婚しました。
国立スポーツ博物館には、Mich のポスターとモデルがいくつか所蔵されています。
ブルターニュ部門博物館 (カンペール) には、カンペール駅の旧レストランのためにMichがデザインしたステンドグラスの窓が展示されています。
彼はまた、ブランド「Taillan, grand vin au cinchona」のポスターも保管しています。
Mich が亡くなった年について
Michi が亡くなったのは、ウィキ本文では「1923年」とあり、見出しの方は「1924年」となっている。
「さすらいの女」ソシエテ・デュ・リーブル・ダール版が刊行されたのは1924年なので、彼は発売された本を見ないで亡くなった可能性もある。
もしかしたら遺作だったのかも知れない。
一冊の本から一枚の挿絵に魅かれ、調べたら100年も前に描かれたものだと知り感慨深い。
日本では全く知られていない一人の画家の挿絵やスケッチをこんなに沢山見られるとは、思いもしない感動だった。
本日の昼ごはん
味噌煮込みうどん
本日の夜ごはん
大根・にんじん・バラ肉の鍋
以下は、挿絵と本が紹介されているサイト