昨日はフランス関連だったが、今日は昨日散歩した世田谷の話をつらつらと。
世田谷生まれ世田谷育ちで、世田谷城がある界隈はよく車で通る道だったが、
ちゃんと訪れることなく過ごしてきた。
そんな私が昨日行ったのは、豪徳寺・松陰神社など。
豪徳寺は安政の大獄をした井伊直弼の墓がある寺で、
松陰神社は安政の大獄で獄死した吉田松陰の墓がある神社。
ふたつは歩いて一駅ないほどの距離で、因縁深い位置にあるなとずっと思っていた。
見どころ満載なので、少しずつご紹介できたらと思っています。
まずは豪徳寺から。
小田急線に豪徳寺という駅があるが、駅から寺まではかなり歩く。
商店街を抜け、住宅地を通り豪徳寺の門前まで行くのに15分くらいあっただろう。
民家の塀に掲示板
昭和の香りが残る素敵なお家があった。
門前に到着
豪徳寺の参道 ( 石門から山門まで ) は立派な松並木になっている。
今日は快晴で日差しがきついから写真が綺麗に撮れない。
松並木の参道は真っ暗に写る、奥の明るいところが山門。
狛犬さんに挨拶をして参道に入る。
立派な山門があった。「壁雲関」と書かれているらしい。
大谿山 豪徳寺 ( 曹洞宗 )寛永10年 ( 1633年 ) にここ世田谷が彦根藩の所領地となり、既にそこにあった文明12年 ( 1480年 ) に建立された「弘徳院」を、彦根藩主 井伊家は江戸菩提寺と定めた。その後、万治2年 ( 1659年 ) 2大藩主 井伊直孝の法号「久昌院殿
豪徳 天英大居士」に因み豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現代に至る。
それは、江戸時代の大名墓所の形態をよく保存し、江戸周辺では最大規模の国指定史跡となっている。そこには仏殿、灯篭、鐘楼は創建当時のもので、広大な敷地内に法殿、開祖堂、書院、招福殿、三重の塔、地蔵堂、種月園 ( 枯山水 ) や井伊家歴代の墓があって、世田谷を代表する古刹でもある。
また、この寺には、2代藩主 井伊直孝が鷹狩りの折、住職の愛猫「たま」の招きで、落雷を免れたという伝説があって、豪徳寺の「招き猫」は幸運を招くとされ、家内安全、商売繁盛、心願成就を願う招福殿への参拝者が多い。
なお、豪徳寺の境内 ( 1万5千坪、約5万㎡ ) には四季折々の草木があり、梅・桜・牡丹・つつじ・アジサイや晩秋の紅葉などが楽しめる。そして石門から山門に至る参道の松並木、さらに野鳥が飛び交う奥深い森林もまた見所である。
豪徳寺の由緒書なので、やはり井伊家が主役に書かれている。
元々この地は吉良家が開いた土地で、この寺「弘徳院」も世田谷城主 吉良政忠が、文明12年 ( 1480年 ) に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建されたものと伝えられている。
その寺を宗旨替えされ、寺名も変えられて今に至るというのも世田谷人の私としては複雑な思いがする。
いきなり門前でストップしてしまったが、吉良家のことを調べたくなった。
続く
本日の昼ごはん
昨日の鍋のつゆで作ったおうどん