Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

掃雲院は誰の娘?

 

たまうきさんからの情報で気になったので調べたことがある。

たまうきさんのコメント

亀姫(掃雲院)と亀姫生母(春光院)は鉄眼禅師に帰依し、1671年に本所牛島に「海蔵庵」を開基、1680年に弟 直澄の養子直興の側室と娘により青山に移転し「青山海蔵寺」となったとあります。

 

このお話を聞き、

亀姫と生母の春光院が開基した本所の「海蔵菴」を、

9年後に、亀姫の甥である直興の側室と娘が青山に移転させたのだと知り、

「2人の女性は亀姫に影響をうけたのかな、どんな人たちなんだろう」と興味を持った。

 

まず、

海蔵寺 (東京都港区) - Wikipedia を見ると、このような記述があった。

1680年(延宝元年)、鉄眼道光によって開山された。禅僧「卓峰」が住んでいた草庵(現在の東京都墨田区にあった)を鉄眼道光が譲り受け、彦根藩の藩主井伊直興の側室と娘の協力により、現在地に移転したのが当寺の起源である[1]。

 〔1〕引用元は東京市赤坂区 編『赤坂区史』東京市赤坂区、1942年、792-794p とある。

 

そこで、『赤坂區史』の792頁を読むと、こう書いてあった。

當寺の開基は、彦根候 井伊直興の室 法號 春光院殿華岑儋月大姉 ( 天和元年 正月八日卒)、 及び同直興の息女 法號 掃雲院殿無染心大姉 ( 元禄六年五月十八日卒 ) で、ともに鉄眼に帰依し、その蔵經版行の事業を補助した人である。

https://adeac.jp/minato-city/viewer/mp000010-100040/akasakaku_09/30

 

間違ってる!

赤坂區史ともあろうものが、こんな間違いをしていいのでしょうか!

赤坂區史の編纂者は、この話をどこから引用したのだろう。

確かに、亀姫は 『井伊年譜』など公な史料には書かれていない人物で不明な点も多い。

しかし春光院の方は、三代藩主 直澄の生母としてきちんと記録がある。

《直澄の生母》ということは二代藩主 直孝の側室だ。

それなのに、どこでどう間違って四代藩主 直興の側室になってしまったのだろう。

 

直興と直澄の関係

直澄と直興とは、叔父・甥の関係で、後に直純は甥の直興を養子にして後継ぎにしている。

ちょっとややこしいが、こんな経緯⤵

二代藩主・直孝には5人の男子がいて、長男の直滋が世嗣だった。

直滋は徳川家光から可愛がられていたが、父親との折り合いは悪く、遁世。

廃嫡となった長男・直滋の代わりに嫡子とされたのが四男の直縄 ( 直時ともいう ) だった。

ところが直縄は、藩主になろうとする同年に死んでしまったため、五男の直純が三代藩主となった。

 

直純は「子供が生まれても後継ぎにしてはならない」という父・直孝の遺言を守り、

正室をもたず、側室との間に生まれた男子をすべて養子に出し、

兄・直縄の子で、甥にあたる直興を養子にして家督を継がせた。

 

 

因みに、井伊家の藩主については、

ウィキペディアは、廃嫡になった長男の直滋を二代藩主としてカウントし、

①直政 ②直孝 ③直滋 ④直澄 ⑤直興としているが、

直滋を抜かし

①直政 ②直孝 ③直澄 ④直興とする史料があり混在している。

 

 

 

さて

話は春光院と掃雲院 ( 亀姫 ) に戻り、2人は《誰の側室と娘か問題》

答は『井伊年譜』にある。

前にも言ったように、井伊年譜には、亀姫の記載はない。

だが春光院のことは、《直澄の生母》としての記載がある。

この部分⤵

拡大してみると、

寛永二年七月十五日のところに、

「石居」「母はお安ノ方と云」「春光院」という文字がある。

全部読めればもっと詳しいことも書かれているのだろうが、

私の能力ではここまでしかわかりません。

 

春光院の生年は不明だが、没年は1681年。

娘の掃雲院も生年は不明だが、没年は1693年。

直孝は1590年生まれ、1659年没。

直興は1656年生まれ、1717年没で、第四代藩主になったのは、1676年20歳の時。

 

直興の年齢からみても、20歳で側室をもち、娘をもうけるには掃雲院の没年は苦しい。

 

 

「海蔵寺」のホームページがないようだが、

海蔵寺については『赤坂區史』のほかに『江戸名所図会』にも記載がある。

 

青山海蔵寺

同所一町ばかりを隔てていぬい ( 北西 ) の横町、右側にあり。黄檗派おうばくはの禅宗にして、始めは海蔵菴と号して、寛文十一年〔1671〕井伊候夫人掃雲院殿そううんいんでん営建えんこんなり。その頃 鉄眼てつげん禅師〔1630-82〕をして、この草庵にをらしむ。つひに正徳三年〔1713〕に至り公許をこうむり、一宇いちう蘭若らんにゃとす ( 菊岡沾涼きくおかせんりょう 〔1680-1747。俳人〕いふ、開山宝州和尚ほうしゅうおしょうと云々)。当寺より唐板とうはんの一切経を出だす。

こちらは掃雲院 ( 亀姫 ) のことを《井伊候夫人》にしているな、やれやれ💦

 

 

 

寺社仏閣のことを知りたいとき、私がよく拝読するサイトに「猫の足あと」がある。

そちらでは、海蔵寺についてはこう書いていらっしゃる。

海蔵寺の概要

黄檗宗寺院の海蔵寺は、青山と号します。海蔵寺は、井伊候夫人(掃雲院殿無染了心大姉)が海蔵庵として寛文11年(1671)本所牛島に創建、隠元禅師の法孫鐡眼道光禅師が開山したといいます。延宝8年(1680)当地へ移転、正徳3年(1714)公許を得て一宇となったといいます。

tesshow.jp

「猫の足あと」さんは、引用元も明らかにされていてとても信頼のおけるサイトさん。

海蔵寺の縁起についても、出どころを「赤坂區史」と「江戸名所図会」ときちんと明記し全文記事を転載されているところが素晴らしい。

 

 

 

本日の昼ごはん

オムライス 

ケチャップのメーカーを変えたら随分酸っぱい。

やはりケチャップはカゴメだな 💦

 

 

本日の夜ごはん

キムチ鍋

白菜が美味しくなりはじめたので、キムチ鍋

おいし

 

 

續府内備考からこんな記事

港区の文化財 第12集 (赤坂・青山 その2) - 国立国会図書館デジタルコレクション

こちらは赤坂區史の件の部分をキチンと修正し「井伊直孝」となっている。

 

  アイキャッチ画像