Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

松陰像の謎

これは2023年12月26日の記事です。

 

今年最後の自由研究。

吉田松陰は、どんな顔だったのだろうか

松陰神社に所蔵されている大熊氏廣さんの石膏彫刻が、松陰さんに似ていると聞き、探していたところ、一坂太郎著『吉田松陰とその家族』に写真が掲載されていることがわかった。

顔が黒ずんで見えるのは130年 ( 明治23年製造 ) も経っているからなのだろうか。

 

これは平成25年に設置されたブロンズ像で、説明書に、こうある。

「明治23年に 大熊氏廣氏によって製作された吉田松陰先生像 ( 石膏 松陰神社所蔵 ) から鋳造されたブロンズ像。松陰神社ご鎮座130周年 ( 平成24年 ) の記念事業として東京芸術大学に依頼し、ほぼ一年をかけ石膏像の調査修復及びブロンズ像の鋳造をおこなった。」

 

《 石膏から鋳造されたブロンズ像》というが、ブロンズ像と石膏とは全く似ていない。

鋳造とは、金属を熱でとかし鋳型いがたに流し込んで器物を作ることというが、「石膏から鋳造された」というなら、鋳型は石膏であるはずでこんなに別物になることは不可解だ。

いったいどういう経緯で東京芸術大学に託されたのかわからないが、鋳造する際、石膏の原型をとどめないほど大幅な修正を加えた代物を鋳型に使ったとしか考えられない。

説明書には《修復》とあるが、私は《意図的に修正した》と感じてしまった。

 

一坂さんは『吉田松陰とその家族』にこう記されている。

松陰の遺骸がいまも残る東京世田谷の松陰神社には、数体の肖像彫刻が安置されている。そのほとんどは、肖像画から抜け出たような姿だが、一体だけ異様なギラギラした雰囲気を醸し出す像がある。それは端座しているものの、凄まじい憤怒の形相で正面をにらみつけ、髪は逆立つ。見る者を圧倒せずにはおかない迫力がある。

 

この松陰像は明治のころ、彫刻家が作った銅像の試作品のようであるが、結局採用されなかったらしい。松陰をある一定のイメージで祭り上げようとする人々にとって、それはあまりにも規格外れだったのではないだろうか。

 

だが、もし何の先入観もなく松陰の遺文を読み、その生涯に触れたとしたら、こんなギラギラしたイメージが生まれても不思議はないと思う。いや、私はこれまで見たどの松陰像よりも、心に響いてくるものがあった。

 

全く同感。

今まで見てきた松陰の肖像画・銅像に違和感を持っていた私も、この石膏こそ松陰のイメージと感じた。

 

明治41年発行『日本乃日本人』で、こんなことがわかった。

 

この本には吉田松陰の家族の写真が載っているのだが、

弟の杉敏三郎さんの顔が「松陰先生に酷似している」という。

 

敏三郎さんの顔と、石膏像の顔を見比べてみた

  

似ている。目も鼻も口もソックリ。

大熊さんは「弟の敏三郎さんが松陰に似ている」という聞き、

この写真を参考にされたのではないだろうか。

 

 

だが、しかし。

大熊さんの石膏は、制作当時の関係者 ( 近親者や弟子など ) に気に入られず、

122年経った記念事業者 からも、原型をとどめられないほど修正を加えられている。

件の石膏が2度も不採用の憂き目にあってしまったのかと思うと、実に複雑な思いがする。

 

 

 

 

本日の昼ごはん

ちゃんぽん

これには、蒲鉾 ( ピンクの ) とアサリが欠かせない。

そうそう、イカも入っています!

S&Bのテーブルコショーも必須かな ( ´艸`)

 

 

本日の夜ごはん

残った蒲鉾もつまみにします。

本日の日本酒は来福、色の濃さが違うわね

 

ぶりの煮つけ

里芋にっころがし、白菜の漬物、蒲鉾だなんて、呑兵衛の食卓だな

さつまいもはこの位ペロリと食べてしまう人がいて、

常備菜として除けておかないとです。