図書館から借りてきて読んでいたのは、三浦一族に関する本です。
昨年の暮、荒崎に行った時に見た看板が気になって、荒崎の居城は誰が住んでいたのかをずっと調べていたんです。別段どうってことない話なのに、気になり始めると駄目なんですわたし。
ですんで思いっきし備忘録 ⤵
三浦一族は、頼朝が鎌倉幕府を作る時に、その中心になって活躍した人たち。
一人一人が個性的で面白い。
三浦一族の総帥で89歳の義明じいちゃんは、
平家側の畠山一族の軍勢に城攻めに遭うんだけど、
もう駄目だという時に「犬死にするな、逃げろ」と言う。
しかし。
そう言いながら、自分だけ残るといって息子たちを困らせる。
息子たちは父親の言いつけをきき、泣く泣く逃げる。
義明じいちゃんは城に残って自害する。
ところが その城攻めは、孫の和田義茂の勘違いが原因でした。
義茂は一族と別行動で杉本城を守ってました。
そもそも畠山重忠と三浦一族は姻戚の仲で、立場上は敵ながら適当に話し合いがついていたらしく、しいて鉾先を交えずに三浦は本拠に戻り畠山はそれを追尾する形で、一応帰国を見届けて去る、ということになっていた。
「これは一族の一大事!」とばかり事情も確認せず、由比ヶ浜まで重忠勢めがめて、わっ、とばかり突撃した。
不意をうたれた重忠側は手負いを多数出して逆上した。
「さては三浦め、謀ったな!」
これがキッカケで、衝突しないハズだった三浦勢と畠山勢が衝突したんだそうです。
孫の早飲み込みでのせいで、じいちゃんが討ち死にしてしまったのです。
当時の武士団は本当にワイルドです。
調べてみたらこんな話はいくらでもある。
大体、争ってるAとBは親戚だったりのはよくある話。
しかしやっかいなのが、人の名前です。
例えば三浦一族は、
じいちゃんが三浦義明で、跡継ぎは三浦義澄なんだけど、それ以外の庶子は全部名前が違うんです。
さっき話をした孫は「和田」だし、義明じいちゃんの息子たちも、跡継ぎ義澄以外は、「大多和」「多々良」「長井」「杜」「佐原」と全部が違う姓です。
これは三浦半島の各地を子供たちに統治させる際、その地名を姓にしているからです。
最初は、資料を何回も読み直して、頭にたたきこまないと飲み込めないことや、
見過ごしてしまうことばかりでした。
あの人も面白い この人も魅力的と、範囲が広がりがちのところを、ぐっと我慢しないと、
収集がつかなくなります。
「系図を作っていかないとわからなくなるぞ」と思って、源義朝の系図(妻と子)を作ってみたりして。
「うん、よく出来た。今度は、義明じいちゃんとその家族の系図を作ろう」と、ペイントで作っていたんですが慣れないソフトだったので、3時間作ったものを最後の操作ミスで無に帰してしまいました。
今日は、もう立ち直れない。
そろそろ、MOURIが帰ってくる時間だし今日はおしまい。
鍋でも作って、一杯飲んで、はよ寝ます。