Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

万世橋と昌平橋について

 

過去記事を整理していたら、

神田川に架かる「昌平橋」「万世橋」に奇妙な変遷があることがわかった。

上流にあったはずの「昌平橋」と、下流にあったはずの「万世橋」の名が、

時代によって反対に記されていたりするのだ。

 

 

右上の記事の中にアップしてある案内板。

これがまた、とてもややこしい。

f:id:garadanikki:20220216130858j:plain

万世橋

この橋を万世橋といいます。はじめはこの場所には橋がなく、約150m上流に筋違橋門に附属する橋がありました。明治5年 ( 1872 ) に門が解体されたとき、不要になった枡形石垣を転用して、門の跡に東京最初の石橋が架けられ、時の東京府知事 大久保一翁により万世橋と命名されました。しかし一般には、半円形の二つの通線路の川面に映るさまが目鏡のようなので、目鏡橋の愛称で呼ばれました。


明治36年 ( 1903 ) 元万世橋と改称しましたが、明治39年 ( 1906 ) に撤去されました。橋名を刻んだ石の親柱は神田神社の境内に保存されています。


この場所に初めて橋が架けられたのは、明治17年 ( 1884 ) のことで、上流の昌平橋が流失したため代用としてして昌平橋が架けられました。上流の昌平橋が復旧すると、この橋は新万世橋と改称し、明治36年 ( 1903 ) には鉄橋に改架されて万世橋と再度改称しました。


現在の橋は、関東大震災の後の昭和5年 ( 1930 ) に架け替えられました。

 

上の文章を読んで、一発で理解した方は凄いと思う。

私は何度読んでもダメだった。

 

何故「昌平橋」「万世橋」の名や位置がテレコになったのか?

それを知りたくて、古地図を年代順に並べてみたら《理解する》どころか《大混乱》に陥った。

 

上流の「昌平橋」だけだったものが、

上流の「昌平橋」がなくなり中流に「ヨロズ橋」が出現したかと思うと、

上流から名前が「万世橋」「昌平橋」となり、

もうひとつ橋を作り、名前が「新昌平橋」「万世橋」「昌平橋」になり、

その名前が「昌平橋」「元万世橋」「新万世橋」と代わり、

中流の「元万世橋」が無くなり、現在は上流に「昌平橋」下流に「万世橋」がある。

 

整理しようと思ってかえってわからなくなる。

読まれた方はもっと大迷惑でしょ、すみません。

乱暴な説明だが、下の方が分かりやすいかも知れません。←じゃ最初からそっちにせいや!

       f:id:garadanikki:20211120105332j:plain f:id:garadanikki:20211120105332j:plain f:id:garadanikki:20211120105332j:plain



こうなった理由のひとつは、橋が洪水や劣化で無くなってしまった時の対応にある

前あった所に、橋を作り直して同じ名をつけるのならこんな混乱は起こらない。

しかし、新橋を元の場所ではないもっと下流に作り、それに元の橋の名前をつけたのいけなかった。

 

元あった場所に、もひとつ橋をかける段になって、名前どうしようということになった。

「しょうがない別の名前にすっか」 

とまあ、二つの名を定着させれは良かった。

 

だが。

後年また、橋の架け替えやら、真ん中に橋を増やしたりする際に、

「新」だの「元」だのつけだして、

「えーいやっぱり、前に戻すか」と、橋の名前をさかさまにした。

それが現在の、上流「昌平橋」下流「万世橋」になりました。

 

 

案内板もそれでゴチャゴチャになってしまったものと思われる。

更に当時の人は、万世橋を「萬世橋」「万代橋」と書いて《よろずよばし》と読んだり、「眼鏡橋」という愛称で呼んだり、むかーしあった「筋違橋」という名前を持ち出したりしたから、余計ゴチャゴチャになった。

 

古地図を年代順に並べて、わからなくなったのはそんな風に違った名前が書かれていたからもあります。

そういう時、私は論文に頼ることにしています。Wikipediaが必ずしも正確とはいえないからね。

 

私が読んだのはこちら⤵

第8回日本土木史研究発表会論文集 1988年6月 「絵地図にみる万世橋と橋詰広場の歴史的変遷」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1981/8/0/8_0_264/_pdf

読みにくかったらこちらを⤵

garadanikki.hatenablog.jp

 

 

しかし。

こちらも新説を打ち出したりして、新しい疑問を呈している。

私が収集して並べた地図と違うものをよりどころにしていたからである。

かくして、「昌平橋」「万世橋」の数奇な変遷は。。。。

もう少し悶々としそうです。

 

 

 

 

本日の昼ごはん

f:id:garadanikki:20220212081024j:plain

我が家の定番率 第三位 釜玉うどーーん

f:id:garadanikki:20220212081125j:plain

 

 

本日の夜ごはん

つまみ三品盛り、べったら漬け、鶏皮ポン酢としし唐の炒め物、塩辛

f:id:garadanikki:20220212183809j:plain

常備品 鶏皮ポン酢を使ってしし唐を炒めたら、あらまあ別物の一品になりました。

 

トマトがあるだけで、食卓かわるなぁ。

f:id:garadanikki:20220212183803j:plain

 

ワンタンスープを作るはずだったのが、

煮ている内にワンタンが全部破裂してひき肉とワンタンの皮がバラバラになった。

どうにでもなれと、舞茸と生マロニーちゃんをぶち込んで別物に仕立てた。

f:id:garadanikki:20220212183813j:plain

どうにでもなれが、意外に美味しかったのは、、、、なぜ?

 

ささみとトマトと三つ葉のサラダ

f:id:garadanikki:20220212183817j:plain

 

ニラ玉

f:id:garadanikki:20220212184221j:plain

 

ブロッコリーのツナマヨ和え

f:id:garadanikki:20220212184653j:plain

インスタで見て作ってみたもの。

わざとブロッコリーを柔らかめにしてつぶすようにツナマヨに混ぜるというもの。

インスタの先生は、これをパスタに混ぜていました。

 

料理にはある意味、大胆さと投げやりに気持ちも大事かと悟りました。

f:id:garadanikki:20220212184649j:plain

 

とじ込みは、集めに集めた万世橋と昌平橋の古地図 ( ´艸`)

スマホで見る方、スクロールするだけでも大変だっていうの、すみません_(_^_)_

 

1859年 ( 安政6年 ) 

f:id:garadanikki:20220216143727j:plain

拡大画像|安政江戸圖

 

1876年 ( 明治9 ) 

f:id:garadanikki:20220216155337j:plain

新撰區分東亰明細圖|所蔵地図データベース

 

1881年 ( 明治14年 ) 

f:id:garadanikki:20220216144839j:plain

拡大画像|繪入東京御繪圖 : 全

 

1883-4年 ( 明治16-7年 ) 

f:id:garadanikki:20220216151034j:plain

拡大画像|五千分一東京図測量原図 : 東京府武蔵国神田区駿河台及本郷区湯嶋近傍

五千分一東京図測量原図 : 東京府武蔵国神田区佐久間町及下谷区仲御徒町近傍|所蔵地図データベース

 

1891年 ( 明治24年 ) 

f:id:garadanikki:20220216153403j:plain

改正東亰測量里程新圖|所蔵地図データベース

 

1897年 ( 明治30年 ) 

f:id:garadanikki:20220216152410j:plain

東京一目新圖|所蔵地図データベース

 

1900年 ( 明治33年 ) 

f:id:garadanikki:20220216163419j:plain

改正東亰全圖 = Map of Tōkyō|所蔵地図データベース

 

1907年 ( 明治40年 ) 

f:id:garadanikki:20220216151912j:plain

明治四十年一月調査東京市神田區全圖|所蔵地図データベース

 

 

参考資料

万世橋 

万世橋 | 東京とりっぷ

wako226.exblog.jp

万世橋 - 神田川のページ

blog.livedoor.jp