ランチは近江八幡でとりたいと思います。
昨日から決めていたことですが 近江牛ってのが食べたい
長浜から近江八幡に向かう道のりで、色々と検索をかけましたが
しゃぶしゃぶ、ステーキ、近江牛串カツ なんかがあるらしい。
昼間から、しゃぶしゃぶというのも何なのでステーキにしましょう。
今日 (8/24) はまた一段と日差しが強い。
舗装された道の照り返しはハンパじゃない。
あまりテクテク歩き回る気には、なれませんわ。
古道具屋さんの店先に「古地図」と 「和本」が
左側の柳ごおりに、京阪の古地図が沢山入っていて、一冊300円。
「琵琶湖の古い地図はないかな」とひっくり返してみましたが、
後頭部にお天道様の日差しがジリジリ襲い掛かり、気を失いそうになる。
書物の吟味には直射日光はダメです、断念しました。
吟味もダメだが、古い本や地図をこんな直射日光に当ててしまうのもダメよ~ん。
「あっ、ふとん屋さんだ」
「バカだね、西川っていや、ふとんって。近江牛って書いてあるじゃん」
確かに、近江牛と書いてある。
表に回ってみると、肉屋さんがやっているレストランでした。
向いには、また別のお店もあるが、どうしよう。
なんとなく最初に見た肉屋さんの看板にひかれ、「西川」さんに決めました。
近江牛ステーキ、120gで4,800円から。
ステーキじゃなければ、こんなお弁当もある。
じゃね 私は近江牛づくし弁当。MOURI は、サーロインステーキ 120g。
じゃじゃん
あら、色々入って美味しそう。
手前の三つは寿司。
近江牛たたき、牛たん、赤コンニャク
ローストビーフ
綺麗なさしが入ってる
近江牛焼肉
色々な調理法が試せていいかなと思いましたが、
やはり近江牛を堪能するならステーキの方が良かったかも。。。
でも。これはこれで美味しかったです。
近江牛って、とても柔らかくて甘味があるように思います。
MOURI のステーキ
残念、正面から撮れば良かった。
「120gじゃなくて、もう少し大きいのにすれば良いのに、男の子なんだから」
と言ったんですが、この位で良いのだそうです。
「男の子じゃなくて、おじさんだからな」
一切れ食べさせてもらいました。柔らかくて溶けそうなお肉でした。
それに、おイモが美味しい。
昨日も感じたんですよ、クラフトビールのお店のポテトが美味しかったと。
うなぎ、魚、肉とタンパク質中心だったので野菜に飢えてしまっていたのかな。
いや違う。
この辺のジャガイモが、美味しいんだと思います。
お会計を済ませて、お肉売り場の方に回ってみる。
このまま帰るなら、買っていきたいところ。
お肉は無理だけれど、赤こんにゃくが珍しかったので買って帰ることにします。
懐かしのコーナー ♬
このお店の正式名称は「まるたけ近江 西川」というそうです。
「まるたけ」は、20年余の修行を終えた創業者・西川竹次郎さんが昭和22年に蒲生郡八幡町鍛冶屋に間借りの小さな食肉店を構えたのが始まり。
一番左の上に飾っているのが、昭和30年当時の写真。
この頃には現在地に移転し、北之庄町に牧場を作り、本格的に牛を飼い始めたんですって。
以来、近江牛一筋に格子の生産繁殖・肉牛肥育から販売・加工、飲食と一貫してやってきた。
昭和22年からっていったら、もう70年も近江牛に携わってきた老舗でした。

〒:近江八幡市仲屋町中17
TEL:0748-32-2336
定休日:火曜日
営業時間:<平日> ランチ 11:00〜15:30
ディナー 17:00〜21:00
<土・日・祝日>11:00〜21:00
<オーダーストップ>20:00
因みに。
近江八幡・西川で検索したら「ふとんの西川」もヒットしました。
近江八幡には「西川」という名の方が沢山いらして、商売にしのぎを削っていたようです。
ふとんの西川の創始者も近江出身で、大正15年この地で蚊帳・畳表の商売から出発されたんですって。
「あっ西川、ふとん屋さんだ」と言ったのも、あながち頓珍漢なことではなかったのよ。
今回は「旧家をめぐる街歩き」はしませんが、
至る所に「旧西川〇〇家」があるみたい。いつか探索したいです。⤵
近江八幡の町でよく目につくのは「ヴォーリス」という外人さんの名前。
学校があったり、記念館があったりします。
「まるたけ西川」さんの斜向かいにもヴォーリスさんにまつわる建物があるというので
行ってみました。
古い建物。
「旧八幡郵便局」と書いてあります。
現在は予約で建物中を見られるようです。
旧八幡郵便局
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって1921年に竣工して以来、1960年まで郵便局の局舎として使用されていた。その後玄関部分が取り壊されたが、2004年2月に復元された。現在はギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されており、特定非営利活動法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会の事務所としても使用されている。
スパニッシュと和風の町屋造りを折衷したデザインは、個性がありながら町並みに溶け込んでおり、旧市街中心部のランドマーク的役割を果たしている。
なるほど「玄関部分が取り壊されたが復元」とあるように、
言われてみれば、入口の部分や看板だけ、ちょっと新しい感じがします。
近江八幡にはそんなに長く滞在できませんが、水郷だけは見てみたい。
八幡宮に行ってみます。
このお宅のエクステリア、すてき。
ガレージの上の囲いが一本一本竹で造られてる。
天の角度と家の屋根の角度が揃っている。
何気なく飾られたお花も美しい。こちらも器は竹を加工してあるみたいです。
店内から明るい声が聞こえてきます。
中は一切見えないけど、賑わいが響いてくる。
かなり繁盛しているお店みたいです。
地元の人はこういうお店を選ぶんでしょうね、きっと。
一見の身では入りにくいが、すごく気になる。
こういうお店で食べるのも良かったかも。
八幡宮の入口に到着。
鳥居の正面に洋館があります。
白雲館「旧八幡東学校」
明治10年 (1877 ) に八幡東学校として建築された白雲館は、八幡商人や地域住民の人々の熱意と協力で当時6千円 ( 米一俵が1円34銭 ) の費用をかけて建設されました。
明治 10年の児童数は男115人、女117人、計232人と記されています。
学校として使用された後は、役場、郡役所、信用金庫を経て、平成6年に建設当時の姿に復元されました。
白雲館という名称は、藤原不比等の和歌。
「天降(あまふり) の 神の誕生(みあれ) の 八幡(はちまん) かも 比牟礼(ひむれ ) の杜(もり) に なびく白雲(しらくも) 」
から名づけられた説や鎌倉時代の臨済宗の僧:白雲彗暁(えいぎょう) の徳を偲んだことによる説などがあります。
皆でお金を出し合って建てた学校でしたか。。。
そういえば、去年の夏旅行に「小浜の熊川宿」を見学した折に聞いた話ですが、
「熊川宿の子供は、近江八幡まで学校に通った」そうです。
学校は小浜にもありますが「商売は近江だ」と、熊川の人は近江の学校に通わせたんですって。
朝4時に起き、今津まで歩いて汽船に乗って、近江八幡の学校で勉強して、帰ってくるのは夜の9時。
「ここを出たら二度と帰る家はないと思え」という教育方針で、多くの子供は近江の商人として巣立っていったんだそうです。
先日テレビで
「昔は、地域で金を出しあって学校を建て、自分たちの子供の教育は自分たちで施した。
今や教育は国の仕事だとなっているが、昔 ( 明治や大正 ) の私学の方が水準も高く、子供の学力レベルも高かった。
教育は国まかせではなく、地方レベルで考えるべきだと思う。
文部省なんてワケわからんものが出来て、はばを利かすようになってから日本の学力レベルは低くなった」と嘆いているコメンテイターがいました。
私も昨今の文部省はどうかと思いますし、白雲館を見て、そのコメンテーターの言っていることに一理あると思いました。
教育の必要性を自分たちで考え、自分たちでお金を出しあって学校を作るという行為は、「学ぶ」ことの大切さを考える第一歩であり、気構えも違ってくるのかも知れません。
皆て建てた我が町の学び舎か。
学校としての役目を終え、役場や金融機関として使われた建物は、
今は展示室や売店となり、一般公開されています。
どれでも一個800円。
いつもじゃないそうですが、この日は、古い素敵な器を売っていました。
・・・・いくつか、買ってしまいました (;''∀'')
つづく。