永井龍男さんの短編集を読み始めました。
まずひとつめ 「一個」
「柱時計の振り子の音で、けさ四時まで、
完全に眠れなかったんだからな」
冒頭の独白にざわつく感覚を覚え読み進めます。
主人公の男が置かれている鬱屈した状況が少しずつ語られていくと、
見事なその描写に、まるでそこにいるような錯覚になりました。
舞台は男が乗る電車の中。
しかし車内での出来事が彼の妄想であることがわかり、
二転三転と裏切られることで、物語の世界に入り込んでいた私はいきなり本の外に放り出されます。
やがて男が置かれた立場がかなり不安定で、
彼が かなり病んでいることが段々とわかってきます。
舞台が帰宅した家のシーンになると、
再び私は物語の世界に入り込みました。
柱時計の音を男と一緒に聞きながら、
私の心理は彼と一体化していくのでした。
永井さんは、巧みな筆の力を以って現実と物語との間を浮遊させてくれました。
これほどまで豊かな構成力と描写力に出会えるとは、ただただ感動。
ざっくりあらすじのようなものと、好きなシーン
定年を目前にした男は、今日も再就職先を求め奔走するが徒労に終わる。
『夜の十時に近く、車内灯が明々とついている。
こちらの車輛に、無抵抗に引っ張り廻されているような、大きな揺れ方だった。』
重い足をひきずり帰り着いた家は、ひっそりと静まり返っている。
佐伯の妻は、昨日から嫁ぎ先の娘の処に、電報で呼び寄せられている。
娘が病気だというのに、就職活動を優先せざるを得ないところからも、ひっ迫した状況が伝わってくる。
「この家は、つぶされる、かも、知れません。しかし、つぶされる、までは、私が、こうして、支えて、います、この家は」
柱時計は、正確な調子でそういっていた。
呼吸にも、動悸にもぴったりテンポを合わせて、もう佐伯から離れはしなかった。
「ええ? そうです、たった、二か月。あとは、二か月、どうします、たった、二か月、たった・・・」
と、佐伯を追いかけてくる。それは妻の声色にも似ていた。
「明けなさい、止めなさい、明けなさい、止めなさい」
人間の頭の中で、一番もろい処を、絶え間なく小突いてくる音であった。
( 中略 )
「そうだ。あの振り子を止めけばいいのだ。」
どうですか。
柱時計の音がこんな風に聞こえてきたら、、、。
かなり重いですよね。でも、この鬱屈した世界、何故か妙に魅力的ではないかしら。
最後にもうひとつ、電車の中で見た嬰児の描写も素晴らしかったので少しご紹介します。
嬰児は、さっきから静かに抱かれているのではなかったらしい。
おくるみの両袖が上を向き、くびれた手首がそこから宙に伸びた。
何かの花が、日光を求めて茎を伸ばしたように見えたのは、両手だけでなく、柔らかな全身ごと力を籠めて伸び上がったからに相違なかった。
その指先は、ついそこにある乗客用の白い吊り手の一つを、つかもうとしているのだった。