夏目漱石「坑夫」 を読了しました。
恥ずかしながら漱石は「それから」「三四郎」「門」「こころ」くらいしか読んではおらず、
「吾輩は猫である」「坊ちゃん」あたりは斜め読みぐらいの程度でした。
順当に読むなら、他にも名作は沢山ありますが、
今回「坑夫」とじっくり向き合いたかったのには、それなりの理由からです。
少し前 徳冨蘆花「寄生木」を読み、主人公のキャラクターから満島真之介さんに発想が飛び、満島真之介さんがNHKで演じた元坑夫と「寄生木」の主人公のキャラクターとが重なり、そういえば「坑夫」は読んでいなかったという流れだったのです。
読了してまず思ったのは、
やはり「寄生木」の篠原良平と、「坑夫」の荒井伴男は似ているということでした。
蘆花や漱石が、突然訪ねてきた若い男の話を面白がり作品にした共通点も興味深いことでした。
この作品は、夏目漱石にとって初のルポルタージュです
この作品は、漱石には珍しい経緯を経て完成しました。
顛末はこんなことです。
※ 漱石の文章から、ザックリまとめてみました⤵
ある日、私の所へ一人の若い男がヒョックリやって来て、自分の身の上にこういう材料があるが小説に書いて下さらんか。その報酬をいただいて実は信州に行きたいのです という。
ともかく来てその材料という奴を話してくれというと、三時間ばかり話を聞かせた。
それは新聞に書いたのと違って、主に坑夫になる前の話だったが、私は
個人の情報 は書きたくない。こりゃ信州へ行ってから君自身で書いちゃどうか、出来たものが面白かったら、雑誌へ乗せるのの尽力はしてやるから、と言って帰した。
そうこうする間に朝日新聞に小説が切れて、島崎君のが出来るまで、私が合いの
楔 に書かなきゃらなんことになった。
早速思い出したのが例の話で、本人に、坑夫の生活の所だけを材料に貰いたいが差し使いあるまいかと念を押すと、一向差し使いないという許しを得たから、それで書いたのが「坑夫」である。
明治41年4月号『文章世界』に掲載された漱石の談話筆記『「坑夫」の作意と自然派伝奇派の交渉』から
どおりで「坑夫」が、他の作品と違う印象なワケです。
【あらすじ】
相当な地位を有つ家の子である19歳の青年は、恋愛のもつれから出奔。
行くあてもなく松林をさまよううちに、ポン引きの長蔵と出会い、鉱山で坑夫として働かないかと誘われる。
自暴自棄になっていた青年は誘われるまま、半ば自殺するつもりで働くことを承諾し、鉱山へと向かう。
道すがら長蔵が勧誘した
鉱山に到着した三人は長蔵の采配で別々の飯場に送られる。
青年が配属された飯場頭の原は「お前には務まらん、汽車賃はやるから帰れ」という。
青年は食い下がりどうにか飯場に居残るが、荒くれの坑夫たちに絡まれ、不味い南京米に閉口し、不潔な布団に湧いた南京虫に刺されて夜も眠れない。
翌日、案内の初に連れられ、深い坑内へと降りてゆく。
坑内で、深い闇・水浸しの地面・狭い穴に苦労し、死に損なったりする内に、とうとう案内の初の機嫌をそこねて置き去りにされてしまう。
迷子になった青年が出会ったのは、坑夫には珍しいインテリの安だった。
「俺のようになるな。汽車賃は俺がこしらえてやるから東京に帰れ」という安の忠告に、
青年は感謝しつつも、改めて坑夫になる決意を固める。
帰るなら、自分で金を工面して帰ろうと思ったのだった。
ところが、坑夫になるための健康診断で管支炎と診断され、坑夫になれないことが分かる。
それでも青年は飯場頭に頼み込み、飯場の帳簿附の職を得る。
帳附になった途端に、坑夫たちの態度は一変、世辞を言うようになった。
結局、青年は帳附を5か月勤めあげ、東京へ帰ることになる。
「坑夫」というタイトルですから、青年が炭坑夫としてどんな苦労をするのだろう、
と思っていましたが、意外な展開、尻切れトンボの結末でした。
ポン引きの長蔵や
鉱山についたら、坑内を一回案内されただけで、結局青年は坑夫にならず仕舞いです。
それで「なんで『坑夫』というタイトルなの?」と突っ込みたくなりましたが、
百戦錬磨の大人の男たちの様子が描かれているからなのですかね。
それでも、そんなとんでもない世界で揉まれる19歳の葛藤が、それなりに楽しめました。
返事の次第でとっちめられるか可愛がられるかわからない、といった弱者の立場である青年の奮闘ぶりが面白い。
坑内で虐めに合うということ自体 死に直結するんですから《面白い》なんて言っては気の毒ですが仕方ない、許していただこう。
ピンチな状況なのに、漱石の描きようは実に淡々としていて地味です。
しかし、その地味さ加減がねらいなのか、逆に想像を掻き立ててくれました。
青年と安さんのシーンに引き込まれました
青年の坊ちゃん然としたところを、安さんは直感的に見抜き、自分と重ね合わたのでしょうが、
安さんが「旅費は俺が拵える」というと、青年は「旅費は頂きません」とキッパリ断ります。
その時の安さんの「こりゃ失敬した」と言う返答がまたカッコいい。
投げやりだった青年が、自分の居場所も死に場所も、自分で決めると腹をくくるようになったのは、安さんのそういう接し方のお蔭かも知れません。
ボンボン育ちが、過酷な仕事場の男たちに囲まれて、短期間にググッっと成長する様が痛快でした。
巻末に付帯する小宮豊隆さんの解説によると、
小説の素材となる断片や日記をまとめた本があるとのこと。
その1919年発行の漱石全集の第11巻を国会図書館デジタル版で見てみました。
明治40年頃の「断片」には、
「坑夫」に関するメモ書きが14頁ありました。
初めの方はメモ書きに近いもので、
図などもありましたが、
安さんとの絡みは、作者自身も面白がったのか、
既に小説のように出来上がっています。
小説「坑夫」で漱石が書きたかったこと
荒井伴男との3時間ばかりの聞き取りで、当初は小説にする気もなかった漱石が、
朝日新聞の連載の穴を埋めるために急きょ思い出したのが、「坑夫」の部分の話でした。
構想期間もなく、取材も薄かったであろうに、漱石がこの小説を90回の連載に仕立てたのは、何故か。
漱石は、この作品で何を伝えたかったのか考えてみました。
まだ一読目ですから、思いつきにすぎませんが、
漱石は、若者が持つアイデンティティーのあり方を切り取ったのではないかと感じました。
人間が育った環境で持ち得たアイデンティティーのようなものは、
若い内は潜在意識の中に、無自覚に近いものとして封じ込められている。
それが環境が一変したり、試練や窮地に会った時に、奥底から一気に沸き上がるのではないでしょうか。
大人たちが「お前には無理だ」と言うのは、青年の体つきや態度から見定めているのではなく、
青年が醸し出す匂いのようなものを、経験から感じ取ったのではないでしょうか。
漱石は、高等教育を受けた荒井伴男という男が、180度違うどん底の世界に落ち込んだ時に
何を考えたかに興味を抱いたのではないでしょうか。
だから青年を面白がり、小説にしてみようと考えたように私は思いました。
以下は、疲れ切った青年が坑内で何を考えたかが書かれた文章です。
坑内での疲労困憊の様子を、試験勉強の疲労と同じ具合とした話が、
印象的だったので、書きだしておきます。
しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外しかねぬ。けれども下りるだけは下りなければ、のめって逆さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を降り切る力が、どっかから出て来る。
あの力の出どころは到底分からない。
しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足に滲み出すように来たから、自分でもちゃんと自覚していた。
丁度試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚めると、また五六頁は読めると同じ具合だと思う。
こういう勉強に限って、何を読んだかわからない癖に、とにかく読むことは読み通すものだが、それと同じく自分も確かに降りたとは断言しにくいが、なにしろ降りた事は確かである。
下読みをする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えている如く、梯子段の数だけは明らかに記憶していた。
P.153
本日の朝ごはん
味噌汁はじゃがいもとオクラのスプラウト
昨日の残りの枝豆をコーンと一緒にバタ焼き
本日の夜ごはん
本日のメインはこれです スペアリブ
これ最近のマストです コウケンテツさんのキュウリの生姜醤油漬け
今年のキュウリと酢の消費量は凄いものです