Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

北村 薫 著『空飛ぶ馬』から「赤頭巾」

 

北村 薫さんの「円紫さんと私」シリーズを知ってから、大事に大事に、楽しんで読んでいます。

読む速度は、牛が歩くごと。

 

理由は、寄り道です

文庫本はね、4冊買ってしまったんで、いつでも何度でも読める。

f:id:garadanikki:20201219165807j:plain

でもまだ私は、最初の巻を「赤頭巾」を読み終えたところ。

ヘンリージェイムスの『ロデリック・ハドソン』が出てきたので、私も借りてきた。

f:id:garadanikki:20201218150628j:plain

「私」曰く

分からないのは例えばヘンリー・ジェイムズ。他では手に入らないからということで買った古い文学全集版で『ロデリック・ハドソン』をやはりこの冬読んだ。

正直これにはまいった。

三段組の細かい活字を殆ど意地になって読み通し、いい筈の目がしばらく仮性近視気味になった。

これじゃこれじゃ。

f:id:garadanikki:20201218150607j:plain

ほんとだ、三段組。

f:id:garadanikki:20201218150705j:plain

三段組の本は読んだこともあるが、これは私も参りました。

「私」は意地になって読み通したとありますが、私は下りました。

 

もうひとつ気になったのがリラダン。

「私」は下の歯が浮くような感じがして、歯医者さんに行こうとしているんですが、

そのシーンでこんなことを言っています。

天井まである大きな硝子窓を通して、右から左へ流れる人の流れをぼんやり眺める。目には映っているのだが神経は歯に行っている。舌で探ると余計にしみる。それでいて、ぽっかりと空いた穴をさぐらないわけにいかないのは、我ながら真に不思議である。

ヴィリエ・ド・リラダンの傑作、『殘酷物語』中の貴公子ポートランド公爵リチャードのことが頭に浮かんだ。猛悪な伝染病の病を伝えるこの世で最後の患者に会い、思わず手を触れずにいられなかた美貌の青年である。

《思わず手を触れずにいられなかった》とは、一体どんなことなのか、

気になりだしたら止められず、借りてきました。

f:id:garadanikki:20201219125608j:plain

いやぁ、こっちは面白い。

件の話は短篇でさくさく読めてしまいました。

リラダンの文章は、さすがに詩人だけあって美しい。

訳はかなり古いものですが、気品に満ち溢れていて、二度読んでしまいました。

f:id:garadanikki:20201219125543j:plain

 

・・・・・と。

一章読むごとにこんなことをしているのだから、時間がかかるわけです。

そんでやっと読み終えました 本文を。

 

今日は、その中の「赤頭巾」から、気になった部分のお話を少し。

円紫さんと私が「赤頭巾」の童話について語り合うシーンがあります。

そこで円紫さんが目をつけたのは、

狼はどうして最初に赤頭巾に会った時に食べてしまわなかったのか問題》です。

円紫さんは言います。

森の中で狼の側に食べてはいけない必然性はないのですよ。すぐにおばあさんの家に行って<開けてちょうだい、赤頭巾よ>と声色を使って戸を開けさせています。しかし、二人とも食べたいのなら、まずおもむろに ( 森で ) 子供を食べ、それからおばあさんの家に行けばいい。それだけのことです。

円紫さんは同じ問題として落語の「鼠穴」も例にあげました。

 《3文から増やしていく間の生活費はどうしていたか問題》です。

※ 「鼠穴」という話は、亡くなった父の遺した田畑を二等分した百姓の兄弟かいる。

  兄はそれを元手に江戸へ出て成功し大店を持つようになるが、弟は遊びで全てを使い

  果たした挙句、江戸の兄のもとを頼って来る。

  兄はそんな弟に、元手を貸すから自分で商売を始めてみろと薦めて帰す。

  喜んだ弟が、外に出て中をあらためると、たったの3文しか入っていない。

  ケチな兄のやり方に怒った弟は、身を粉にして働き、3文を6文、6文を12文にと増やして

  成功していく。 ( というのが話の半分ほどのところ )

 

そしてここが重要!

円紫さんは言います。 

「物語の途中で一旦、気付いてしまったからには、もうそこに理屈をつけないと先には進めないのです。

知で情を抑えることは出来るのに、その逆は出来ないのです。そこが知で動く人間の哀しさではありませんか。そういう意味で、知は永遠に情を嫉妬せざるをえないのでしょうね」

前半の部分はわかりますが、 

うーん、中盤から ちょっと意味深な話になってきました。

この言葉に19歳の「私」はちょっと動揺するのです。

 

私はこのシーンを読んで「実にうまい」と感嘆しました。

うまいというのは、キャラクターづくりが実に丁寧である点です。

《一旦気づいてしまったら》問題はひとまず置いておき、北村さんのお話。

北村さんが一巻目で「円紫さんと私」をシリーズ化するつもりかどうか わかりませんが、19歳の女子大生というキャラクターをブレずに丁寧に作り上げていることに感心しました。

 

読書家で知識は豊富だが、まだ頭でっかちなところのある「私」に対して円紫さんは、これから恋愛を経験していくと「知」では片付けられない「情」というものがあるんだということを暗に示しているのではないかと思ったのです。

円紫さんの「私」を見る視点の確かさを見た時、「作者は『私』という少女をどんどん成長させていくつもりだな」と直感してしまいました。

一人の女の成長期のふり幅を予感させるような文章に、染み入ってしまったのです。

 

この本の魅力は沢山ありすぎます。

謎解きだったり、出て来る本や落語の豊富な情報だったり。

更には、円紫さんと「私」の距離感がこれからどう変化していくのも楽しみです。

なわけで、これからも時間がかかってしまう気がするなぁ、この本を読むのには。

 

 

因みに。

原作の「赤頭巾」は、時代によって、編者によって、読ませる相手によって、内容がどんどん変化していったそうです。残虐な部分やエロチックな部分が削除されたり、猟師を登場させたり、森で会う狼との会話も変わっているようです。

そんなことも踏まえた上で北村さんは、登場人物に「赤頭巾」を描かせてるのでしょう。

北村薫さんは、本当にニクい人です。

 

 

 

原作「赤頭巾」が、

民話、ペロー、グリムでどのように違うかは、下のサイトで詳細に説明されています。

f:id:garadanikki:20201220171239j:plain

興味のある方は、Wikiwandをご覧ください。⤵

www.wikiwand.com

 

 

本日の朝ごはん

釜玉うどーーーん らんらん

f:id:garadanikki:20201218091833j:plain

温かいうちに、卵を混ぜて

f:id:garadanikki:20201218091905j:plain

天かすと塩昆布を乗せ

f:id:garadanikki:20201218092019j:plain

きざみのりを加えて

f:id:garadanikki:20201218092045j:plain

まぜまぜ

f:id:garadanikki:20201218092202j:plain

いっただっきまーーす

f:id:garadanikki:20201218092204j:plain

 

 

 

本日の夜ごはん

f:id:garadanikki:20201218192041j:plain

焼き鳥の日ってことは、にゃんこの集会場で遅くなった証 (;'∀')

f:id:garadanikki:20201218192057j:plain

でも、美味しいから許すとさ。

f:id:garadanikki:20201218192456j:plain

 

ちびまるぽてと

f:id:garadanikki:20201218192104j:plain

 

コウケンテツさんのキュウリ

f:id:garadanikki:20201218192100j:plain

ちょっと酢、効きすぎました。

 

最近、焼きどうふにハマっています。

f:id:garadanikki:20201218192051j:plain

今日は豚肉で。

この味が、我が家の味。