林房雄 著「息子の青春」を読了。
主人公は流行作家-越智さん。
越智さんとその家族の話が、コミカルに爽やかに描かれている作品です。
家族構成は、47歳小説家の越智英夫さん、妻の千代子さん、長男の春彦君、次男秋彦君、お婆ちゃん。
舞台は、終戦後まもない鎌倉の越智さん宅と鎌倉界隈。
戦後復興の、まだまだ人々が暮しを立て直すのに精一杯の頃の、越智家の様子が描かれています。
親友のアメリカ人夫婦との付合いや、同じ年頃の息子を持つ知人男性の悩みの話や、
妻とお婆ちゃんの話や、長男のガールフレンドの話など、ハートフルなエピソード満載。
とにかく主人公-越智さんの親父っぷりがカッコいいのです。
昭和の、長男の、大黒柱の男には珍しいリベラルな考え方の越智さんは、
家族を養うため、日々悪戦苦闘を続けています。
目下の課題は家族の栄養失調を回復させること。そのために懸命に執筆作業を続けます。
何よりも緊急事態は食料問題であった。
親子三人の栄養失調の回復であるが、なにしろ、真珠湾以来四年かかって丹念に仕上げた栄養失調である。やはり四年間くらいはかけねばなおらないであろう。
毎日書斎にこもって、腰の痛くなるほど書きつづけているのだが、なかなか効果は現れない。
一本の筆はなかなか二本の箸には追い付けないものらしいが、いやしくも一家の家長である以上は、家族扶養の義務をおろそかにすることはできない。働いて働きぬくことが、敗戦日本の親父の義務であり責任であり宿命であろう。
序章 嵐のあと p.9より
越智さんの、こんな話にも胸が熱くなりました。
越智さんは、敗戦直後に発表した ある文章の中で、二人の息子に与える言葉を次のよように書いた。
「決して乞食根性を持つな。敗戦はお前たちの責任ではない。我々大人達の責任だ。
お父さんは戦争前の二倍だけ働いて、お前たちの現在の苦しさを少しでも和らげるつもりだ。
明るく遊べ。勉強しすぎて、からだをこわすな。
お前たちは、まだ五十年も生きなければならないのだ。
ゆっくりと歩け!」
これは親馬鹿の、そして敗戦日本人の感傷であったかもしれぬ。
だが、越智さんは「戦争前の二倍だけ働く」という約束だけは実行した。
三倍だったかも知れぬ。悪戦であり、苦闘であった。
~中略~
とてもとても、自分の芸術的「誇」だとか「節操」だとかをかえりみる余裕はなかった。
第一章 白い靴 p.27より
越智さんの、こんな持論も愉快です。
穴埋めの重労働四年、夫婦共に、忠実に服罪した。
どうやら、外の穴だけは埋まったようだと思った途端に、越智さん夫婦は、もっと大きな穴が自らのからだの中にあっいていることに気づいた。酒の穴であり、お洒落の穴であった。
酒は越智さんの穴。お洒落は千代子夫人の⸺いや夫人だけではない、春彦君も、秋彦君も、そして越智さん自身もこの穴の株主で投資者であった。
越智さんは青年の野心を埋めるように、人間のお洒落を肯定している。
~中略~
しようにも出来ない時には仕方がない。だが暮しに余裕ができたら、女はもちろん、子供も大人も老人も大いにお洒落をすべきである。
第一章 白い靴 p.28より
なんと、わかりやすく明るくやわらかい文体なのだろうと思いました。
だが待てよ。
以前読んだ林さんの文体とも、林さんご自身のイメージとも違う気がします。
『文学的回想』もしかり、未読ですが『大東亜戦争肯定論』という題材からしても、
もっと強面の固くて勇ましい題材のものを書く人だと勝手に思っていたのです。
林房雄さんについて
林さんの略歴をまとめてみました。
大分県出身の林は苦学の末東京帝国大学法科に入り、吉野作造のデモクラシー理論の影響下につくられた「新人会」という結社に入り、プロレタリア作家として出発。
1926 ( 大正15 ) 年、京大事件で検挙され2年の獄中生活を送り、出獄後『文学のために』『作家として』などの著作で文学の自立性を主張し、政治の優位性を指導方針とする ナップ (全日本無産者芸術連盟) を批判、1936年プロレタリア作家廃業を宣言する。
1940年代に入ると、右翼団体大東塾の客員になった後、三島由紀夫とも親交を深める。
思想的には、左翼から転向を経て右翼へと変わり、
文学に於ては、戦時中戦争協力により文筆家として公職追放され、流行作家へと転身するなど、波乱に満ちた人生をたどっている。
私が《林房雄という作家》を知ったのは、鎌倉の蒲原有明の旧居跡を通ったのがキッカケでした。
蒲原邸が川端康成の仮寓であったことから、川端さんと親交の深かった林房雄さんにたどり着きました。
川端さんの資料のひとつとして『文学的回想』を読み、林房雄さんに魅かれていきました。
そして、だいぶ経ってからこの『息子の青春』を読んだのですが、
二つの作品において《彼が書きたかったこと》に大きな違いがあると感じました。
読了後わかったことですが、『息子の青春』には、林さんの個人的なある事情があったのです。
その話 ( 事実 ) は、これから読んでみようと思われる方の妨げになるでしょうから、
ここではやめておきます。
ただ、理由を知らない一読者の私の心を明るくしてくれて、勇気を貰えたのは確かです。
林さんは、本の中にこう書いています。
「嘘と事実の真ん中の危うい一線⸺それが真実というものだ」
「半分の事実と半分の嘘をかけば、名作文ができる。嘘ばかりでもいけない。事実だけでもいけない。
この二つの物の真ん中あたりに、きれいに一線をひき得たら、すなわち名文ができる」
嘘と事実の真ん中に名文とは、目から鱗の言葉でした。
そしてまたこの言葉には、深い意味もあったのかと思うものでもありました。
因みにこの作品は、松竹で小林正樹監督初作品として映画化されています。
新派の公演として舞台化されたようですし、
宇野重吉・轟夕起子他でテレビ化もされたらしい。
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-4613
作者の意図とは別に、当時の日本人には励まされる内容だったのかも知れません。
本日の昼ごはん
久々のシリアルに、目玉焼きとパン。
パンは目下お気に入りの石窯ミニフランス。
本日の夜ごはん
冷蔵庫、野菜室にあるものを並べていったら、、、黄緑になりました。
じゃがいものチーズ焼きを添えても、
串カツを加えても事態はあまり変わらない (;^_^A
串カツはMOURI のお土産
鶏肉は、塩糀に漬けておいたものです。
きぬさやでも添えればいいものを、、、ははは。
見た目はなんですが、塩糀に漬けておいた鶏肉は柔らかくて旨味もあって美味です。
これを食卓にあげると「献立に詰まったな?」と笑われます。
苦肉の策でよく出る一品らしい。
続きを読むは、『息子の青春』で気に留めた一文。
個人的な備忘録として・・
越智さんの家に共産党の党員が寄付金を出してくれと訪ねてくるシーンです。
越智さんは、共産党に寄付をする気持ちなど毛頭もない。
しかし共産党員はしつこく食い下がる。
そんな時に思ったことが書いてありますが、作者である林さんの本音と思われました。
越智さんは転向を「心の傷」だとも「人民に対する裏切り」だとも思っていない。
共産主義は間違っていると信じて党から離れたのだから、最も自分に忠実な歩き方をしたのだと思っている。しかし、共産党員と議論をすることの馬鹿々々しさを知っているので、黙っていた。彼等と議論することは、拡声器と議論るようなものである。議論というものは、二つの意見をたたかわせて、第三の正しい意見に到達するためのものであり、相手が正しいと思ったら、その場で自分の意見取り消す率直さが必要なものだが、すべての狂信者には、この心の柔軟さがない、自分の意見を相手におっかずせることが議論だと思っているのだから、議論だけ無駄である。
第四章 息子の入学 p.122より