以前、拙記事「騎士道精神のもと」に、たまうきさんからこの言葉をいただいた。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. by Hatabo(???)
レイモンド・チャンドラー著「プレイバック」に出て来る台詞で、
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」
と訳され名言になっているらしい。
中世の騎士のごと自らを強く律し、弱きものを守るハタボウにピッタリの言葉だなぁと、嬉しくなった。
だがしかし、この台詞どこにあったかな
チャンドラーのマーロウシリーズは学生時代に何冊か読んだが、
はて、この台詞はどこにあったか記憶にない。
再読したのは、村上春樹版だが、名言「タフでなければ~」とかなりニュアンスが違う。
昔読んだのは清水さん訳なので、そちらはさらに大人しめの訳、
だから印象に残っていなかったのかも知れない。
1959年に翻訳を手掛けた清水俊二さんは
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」と訳していて、
2016年に翻訳を手掛けた村上春樹さんは
「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」となっている。
「タフでなければ~」は、誰の訳なのか
Wikipediaには、このようにある。
その後、生島治郎がハードボイルドとは何かを語る際にしばしばこの一節を引き合いに出し、1978年の角川映画『野性の証明』で生島の訳を元に「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」としてキャッチコピーに使われたことで、一気に世間に広まることになった。
村上春樹さんも「プレイバック」のあとがきで、このように触れている。
僕がレイモンド・チャンドラーの『プレイバック』を翻訳しているというと、大抵の人は同じ質問をした。「それで、あの部分はどう訳すんですか?」と。まるでそれ以外に、この小説に関する話題は存在しないかのように・・・。
「あの部分」というのは、もちろんあのきめの文句のことだ。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」
この訳は生島治郎さんの訳するところの「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」 ( 『傷痕の街』講談社、1964年3月・あとがき ) がもとになっているみたいだ。
~中略~
ちなみに原文は「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」。
どなたの訳もそれぞれの思いがあるわけで、さあ、僕はどう訳せばいいんだろうと腕組みしていまうことになる。なにしろ絵に描いたような仮定法の文章で、そのへんを英文和訳的にごく正確にストレートに翻訳すれば、
「冷徹な心なくしては生きてこれなかっただろう。 ( しかし時に応じて ) 優しくなれないようなら、生きるには値しない」
となるわけだが、これではちょっと長すぎて、「決めの台詞」 ( アメリカ風に言えば「パンチライン」) 、あるいはキャッチコピーになりにくい。「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」みたいなシンプルなインパクトにはまずかなわない。
2016年12月10日初版 早川書房のあとがき 村上春樹 p.305
清水俊二 訳
件の台詞は、
相手の女性 ( ベティー・メイフィールド ) がマーロウに向って
「あなたみたいなハードな人がどうしてそんなに優しくなれるのかしら?」と質問し、
それに対してマーロウが返す場面に使われている。
物語の経緯や、前後の文脈からみてもさほど重要な台詞とは思わなかった。
再び、村上さんのあとがきから
日本人の読者がこの「優しくなければ ⵈⵈ 」に夢中になっているほどには、英米人の一般読者や研究者はこの一言にとくに注目しているわけではないようだ。僕の知り合いのアメリカ人に訊いてみたのだが、誰もそんな台詞のことは知らなかった。どうしてそこまで差が生じるのか、その理由まではよくわからないけれど。
やはり原文には日本人が夢中になるほどのインパクトはないらしく、
角川映画の宣伝コピーとしての効果が大きかったということなのではないだろうか。
本日の昼ごはん
本日の軽食 ( 軽くはないね )
小腹が空いたので、ハムと卵で炒飯を作った
本日の夜ごはん
MOURI が仕事で帰宅が遅かったので、
ちくわぶとカレーを作っておいた。
カレーは、5㎜厚に切った豚肉と、にんじん、じゃがいも、たまねぎのシンプルなもの。
えのきを細かく切って加えてみた。