Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

向島 三囲神社

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f:id:garadanikki:20160401123953j:plainこのレトロな喫茶店。

ただの喫茶店ではないみたい。

パンも売っているようです。

 

興味深々。

パンか、買って帰りたいな。

でも今日は桜もちと言問だんごまで買ってしまったからなあ。

 

我慢します。

今度にします。

珈琲も飲んでいきたいし。季節の生ジュースも魅力的。

 

見番通り

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見番というのは料亭と芸者さんが籍を置く置屋とをつなぐ組合事務所のこと。

お客さんが料亭で芸者さんを頼むと、料亭は見番に連絡する、見番は置屋に連絡して芸者さんの手配をすると、そういう流れになります。見番はそれ以外にも、芸者さんの芸事 ( 踊・長唄・鳴物など ) の稽古場を提供したり、師匠も抱えていて芸者さんの育成を担っているんですって。昔は置屋置屋で芸者の稽古をしたりそれぞれ師匠のところに出稽古に行ったりしたようですが、システム化されているんですね。

 

さあ着いた

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下乗。

籠や馬から降りなさいという意味です。神聖な場所ですからね。

 

いい字だな。

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神社の額束というとカチっとした字が多い気がしますが、

こちらの額束は、なんて柔らかい筆づかいのものなんでしょう。

 

これが有名な狛犬さん。

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「三囲のコンコンさん」といって親しまれているようです。

目尻のさがった温和な表情を、ここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったんだそうです。

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享和2年 (1802) の奉納

 

ライオンさんもいる

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三越のライオンが何故ここに?

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このライオン、明治29年から昭和の初期まで実際に三越に置かれていたものなんですって。

 

ライオンのおけつ

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ライオンのお手々

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そうよね、三越の入口にあるライオン像。

待ち合わせの時に触るものねぇ。

ツルツルてかてかです。

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この三本柱の屋根も面白い。

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こちらも三角。

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三角に、ライオンに三囲、

勘の良い人ならおわかりでしょうが、三囲神社は三井家の氏神さまです。

ウィキぺディアに、こんなことが書いてある。

【三井家との関係】

三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。

理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。

 

社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。

三井グループ各社の総務部によって三囲会が組織されており、年に4回代表が一堂に会し祭典を催している。

閉店した池袋三越前にあったライオン像も寄贈されている。

三越各店に分社があるが、なぜか日本橋本店(屋上)ではなく銀座店(9階屋上)に社務所がある(日中のみの対応で諸業務のほかおみくじも引ける)。

 

なるほど。三井家と深いつながりがあったのはこういうワケなんですね。

でも、そもそも三井が進出する前から神社はあったようです。

元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。

 

このことからこの神社の名は広まり、松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、越後屋の本支店に分霊を奉祀した。

 

倉稲魂命(宇迦之御魂神)を祀る。

旧村社(現在はかつての小梅村にあたる地区にあるが、旧地は須崎村にあったと推測されている)。

元、田中稲荷と称した。創立年代は不詳。

 

伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。

その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。

このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。

 

キツネ? 老爺の神像?

もしかして・・・これと関係あるのかな。

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違うか。・・・読めない。

これは、前回「長命寺」の時にも参考にした『江戸名所図会 7巻19』の三囲神社の絵の上に書かれていたものです。

絵の方がこれ。 

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隅田川から随分離れているように思います。

どういうことかと思ったら、現在の三囲神社は昔の位置から南に移っているんだそうです。

またまたウィキペディア

本来は牛嶋神社の隣にあったが、洪水で一度流され、河岸に堤が築かれることになった際に南へ少し移動した。

その堤のために、対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。 

 

歌川国貞さんも三囲神社を描いていたんですね。

「背景に三囲神社の鳥居が覗く。歌川国貞画。1853」 

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「侍女まがき」三代目岩井粂三郎 「鳶の者小雀の吉」初代中村福助 「女太夫お松」二代目中村富十郎 1853

 

浮世絵から察するに、昔はこちらの隅田川の鳥居がメインだったのではないでしょうか。

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今は鍵が閉まっていて墨堤からは入れません。

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今回、三囲神社に来たのは、これが見たかったから。

「歌川国芳の碑」です。

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f:id:garadanikki:20160401124005j:plainこの碑は、文久元年 (1861)に没した国芳の十三回忌にあたる明治6年 (1873)に建立されました。
撰文は学者の東條琴台、篆額( てんがく=上部の篆字で書かれた題字 ) と書は萩原秋巌、碑刻は宮亀年が受け持ちました。

碑文には国芳の出自や経歴、建碑の経緯ながが刻まれています。裏面には、建立者であ弟子たちの名が刻まれており、その中には明治時代の浮世絵を代表する月岡芳年や新聞錦絵の落合芳幾、おもちゃ絵の歌川芳藤などがみられます。
芳年の画系は水野年方から鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎と近代日本画の流れと続きました。国芳は向島に居住した時期もあり、この碑は墨田区の浮世絵に関わる豊かな歴史を示す貴重な文化財といえます。

平成24年1月

 

残念ながら風化もあり、読み難い。・・・いや風化していなくても読むのは大変じゃ。

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先日、国芳・国貞の展覧会を見てきたばかり。

興味あるものがまたつながった。ああ、おもろ。

 

三囲神社、探求したらもっと色々出て来そうです。

コンコンさんの尻尾も可愛いし、うん、また来よう。

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凄く可愛いにゃんこもいたんですが、さっさとどこかに行ってしまいました。

次回は、もっとゆーっくりしたいと思います。

にゃんことの交流も図りたいし。。。

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※ 3月30日のまるさんぽでした。