Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

芥川龍之介の雑記を読む

 

先日アップした、両国「小泉町」の記事に、

たまうきさんから、次のコメントをいただきました。

此処ら辺り芥川が移転した13年後に震災により大火災が発生した所。で、ふと、芥川が大震雑記で「小泉町」のことについて何か書いてあるか、と思って読んでみましたが書いて無かったです。2021/10/07Add Stargaradanikkigaradanikkigaradanikki

 

たまうきさんは、いつも私の駄日記におつきあいくださり、気になることを調べてくださいますの。

博学な上に研究熱心で、手先は器用、猫をこよなく愛する素敵な御仁に感謝しております。

たまうきさん、いつもありがとうございます。

 

 

 

私は芥川龍之介の随筆はあまり読んできませんでした。

「大東京繁昌記」下町篇で、芥川龍之介が本所両国のことを書いていたのがあり読んだのですが、

続けて掲載されていた泉鏡花「深川浅景」が見事だったので、芥川の文章がかすんでしまい、それがきっかけか、私は芥川の雑文を読まなくなりました。

 

ずっと買おうかどうか迷っている二冊

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しかしそれは、たまたまのことで、

泉鏡花と並んでいなければ、そこそこ感じ入るものだったのかも知れず、

その時の私の気分だったかも知れません。

 

 

ということで、随筆集を借りてきました。

岩波書店 (精興社) 芥川龍之介全集 第十巻

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たまうきさんが読まれた「大震雑記」も、収録されていました。

そして、他にも関東大震災にまつわる雑記が何篇かありました。

 

その中の「鸚鵡(おうむ)」という作品が、両国界隈の震災時のエピソードでした。

因みにこの話は芥川龍之介の見聞きしたものではなく、人から聞いた話。

作中に出て来る《一中節の師匠》というのは、芥川家は家中が芸術・演芸を愛好し、皆で一中節を習っていたということで、その先生と思われます。

 

鸚鵡

⸺大震覚え書の一つ⸺

 

これはご覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕に乏しい為である。或いはその他にも気持ちの余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訳でもない。大正十二年九月十四日記。

 

本所横網町に住める一中節の師匠。名は鐘太夫。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。

 

家は地震にも潰れざりしかど、忽ち近隣に出火あり。孫娘と共に両国に走る。携へしものは鸚鵡の籠のみ。鸚鵡の名は五郎。背は鼠色。腹は桃色。芸は錺屋(かざりや)の槌の音と「ナアル」 ( 成程の略 ) という言葉とを真似るだけなり。

両国より人形町へ出づる間にいつか孫娘と離れ離れになる。心配なれども探してゐる暇なし。

往来の人波。荷物の山。カナリヤの籠を持ちし女を見る。待合の女将かと思はるる服装。「こちとらに似たものもいると思ひました」といふ。その位の余裕はあるものと見ゆ。

 

鎧橋に出づ。町の片側は火事なり。その側に面せる顔、焼くるかと思うほど熱かりし由。又何か落つると思へば、電線を被へる鉛管の火熱の為に溶け落つるなり。この辺より一層人に押され、度たび鸚鵡の籠も潰れずやと思ふ。鸚鵡は始終狂ひまはりて()まず。

 

丸の内に出づれば日比谷の空に火事の煙の揚がるを見る。警視庁、帝劇などの焼け居りしならん。やつと楠の銅像のほとりに至る。芝の上に坐りしかど、孫娘のことが気にかかりてならず。大声に孫娘の名を呼びつつ、避難民の間を捜しまはる。日暮。遂に沫のかげに横たはる。隣りは店員数人をつれたる株屋。空は火事の煙の為、どちらを見てもまつ赤なり。鸚鵡、突然「ナアル」といふ。

 

翌日も丸の内一帯より日比谷迄、孫娘を捜しまはる。「人形町なり両国なりへ引っ返さうといふ気はでませんでした。」といふ。午ごろより饑渇(きかつ)を覚ゆること切なり。やむを得ず日比谷の池の水を飲む。孫娘は遂に見つからず。夜は又丸の内の芝の上に横はる。鸚鵡の籠を枕べに置きつつ、人に盗まれはせぬかと思ふ。日比谷の池の家鴨を食らへる避難民をみたればなり。空にはなほ火事の明りを見る。

 

三日は孫娘を断念し、新宿の甥を尋ねんとす。桜田より半蔵門に出づるに、新宿も亦焼けたりと聞き、谷中の檀那寺を手頼(たよ)らばやと思ふ。饑渇(いよ)甚だし。「五郎を殺すのは厭ですが、おちたら食はうと思ひました」といふ。九段上へ出づり途中、役所の小使いらしきものにやつと玄米一合余りを貰ひ、生のまゝ噛み砕きて食す。又つらつら考へれば、鸚鵡の籠を掲げたるまま、檀那寺の世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段の上の壕端よりこれを放つ。薄暮、谷中の檀那寺に至る。和尚、親切に幾日でもゐろといふ。

 

五日の朝、僕の家に来る。未だ孫娘の行く方を知らずといふ。意気なる平生のお師匠さんとは思はれぬほど憔悴し居たり。

附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘はそこに避難し居りし由。

岩波書店 芥川龍之介全集 第十巻 『鸚鵡』p.157より

 

※ 注解

一中節  浄瑠璃の一派。初代太夫一中に由来する。

錺屋   金具などの細工職。

鎧橋   日本橋の兜町・茅場町と小網町を結ぶ橋。

警視庁  当時、皇居前丸の内にあり、この震災で崩壊した。

楠の銅像 楠正成の騎馬像。皇居前広場にある。

檀那寺  家が帰属して檀家となる寺。

おちたら 死んだら。鳥獣虫魚の死に用いる江戸ことば。

 

 

 

 

関東大震災が起きた1923 ( 大正12 ) 年は、芥川龍之介は31歳。

芥川一家は、両国→新宿→田端へと移転し、震災の年は北豊島郡滝野川町字田端四百三十五番地 ( 現・北区田端1丁目19-18 ) に住んでいました。

Google 芥川龍之介旧居跡

芥川龍之介と幽霊坂

両国というのは、洪水の被害も多かったので引っ越したらしい。

そういえば幸田露伴も向島が洪水と、飲み水の質の悪化が原因で引っ越した。

当時の大川端は色々と問題も多かったみたいです。

 

 

さて話は変わりますが、

全集にある「大震雑記」に、芥川龍之介の意外な一面を感じた記述がありました。

関東大震災の時に出回ったあのデマに関して、龍之介はこう書いています。

僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。

戒厳令に布かれた後、僕は巻煙草を(くわ)へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た(けつ)ではない。その内に僕は大火の原因は〇〇〇〇〇〇〇〇さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「譃(でたらめ・うそ)だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢゃ譃だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手にもう一度、何でも〇〇〇〇はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、「譃さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも譃か」と忽ち自説 ( ? ) を撤回した。

 

再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィツキと〇〇〇〇との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少なくとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬもである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしなし。これは完全に市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜しまざるを得ない。

 

尤も善良なる市民になることは、⸺兎に角苦心を要するものである。

岩波書店 芥川龍之介全集 第十巻 『大震雑記』p.145より

 

 

巻末の注解 ( 石井和夫 記 ) には、このように書かれています。

「〇〇〇〇〇〇〇〇 震災後、朝鮮人をめぐるデマを指す。

 リアリストの菊池は信用しないが、芥川は乗じている点、要注意。」

 

当時の日本人が在日朝鮮人に対して行った行為は《異常であった》と、今では認識されています。

しかし当時の多くの日本人は「善良なる市民」という名をかかげて、間違った思い込みをしていたのは、芥川龍之介の記述の通りでしょう。

石井氏は「芥川が乗じている点、要注意」と述べていますが、はたしてそうなのか。

もしかしたらブラックユーモアではなかったのかとも考えられます。

にしても、、、笑えない冗談ですけれど。

 

 

 

 

 

 

 

本日の昼ごはん

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久しぶりにご飯が食べたいというので、和定食です。

 

 

 

本日の夜ごはん

今日は待ちに待ったカキフライです。

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揚げ物は控えるつもりの私ですけれど、となりのしとまで我慢をさせるのは忍びない。

どのみち、揚げ物担当 ( の私 ) は油にあたってあまり食べられないから大丈夫。

それにしても凄い量だ。

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我が家は何人家族なのかと自分でも疑います。

やはり馬と鹿を飼っているのだろう。

 

分量が多いのにはもうひとつワケがある。

牡蛎を解凍したあとに「魚肉フライも食いたい」とリクエストが入った。

左が魚肉ソーセージのフライです。

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今日の肉じゃがはメイクイーンで作りました。

見た目がしっかりしとる。

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〆に作っておいたのり巻き

要らないというおじさんの言葉を無視して作った。

酢飯が好きなんだもの あたし

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