ダイダラボッチについて調べていたら、
かつて読んだ「昔の代田」に貴重な記述があることがわかった。
代田の古老・故 今津博さんがこう書いていらっしゃる。
守山小学校北側に出頭山という立派な杉林があり、その中に「ダイダラボッチの足跡」と言われている窪地があり、噴き出す湧水で池ができ、その中央に弁天様が祀られていた。昭和の初めごろまでは、遊びに疲れた子供達がその湧水で喉を潤していた。
『昔の代田』2007年刊 代田の古老・故 今津博さん著
件の本には「ダイダラボッチの足跡」とされる出頭山がわかる地図が四枚掲載されていた。
年代別の地図を比べるとその土地の発展や変遷がみられて面白い ←趣味の問題ネ
地図① 昭和4年
⤴「出頭山」と書かれているのが、「ダイダラボッチの足跡」と言われる場所。
⤵ その南側に「文」が出来ている。
地図② 昭和14年
⤵ 上記と同じ年の地図だが、こちらには「守山小学校」と書かれている。
地図③ 昭和14年
⤵ 小学校の左に大きな太い道路が出来ている、現在の環状七号線である。
地図④ 昭和30年
今津さんが本に書かれている「出頭山」という杉林も、「守山小学校」も今はない。
窪地にあったという弁天様も池ももちろん今はなく宅地化されているが、
高低差のある特徴的な地形なので、何か名残がないものか探してみたくなった。
こちらが「守山小学校」があった場所。( 以下、写真は4月16日撮影 )
現在は「まもりやまテラス」という多目的の施設になっている。
正門を過ぎると、急な下り坂になっている。
坂を下りきったところから今来た道を振り返えると、かなりの勾配だとわかる。
坂下の道は、右も左もクネクネしている。
ここが昔、川だったことの名残だろう。
坂を下り左折し、川だった道を北方向 ( 出頭山があった方向 ) に進むと、左手に空き地があった。
⤴ 空き地の奥の建物は「代田の切通し」という名前のマンション。
その奥に見える木は、旧守山小学校の木かな。
二軒先に、もっと大きな空き地があった。
一段高くなっている場所に建つ白い建物が、旧守山小学校の校舎。
位置的にこの、工事中の空き地が「ダイダラボッチの足跡」と言われる窪地の一画だ。
たまたま訪れたのが、建物が取り壊されて空き地になっていた時だったので、
窪地の地形が確かめられた。
なんという偶然だろう。
「思い立って来てみて良かったぁ」と思った。
参考に
この絵は、きむらけん著「巨人伝説読本 代田のダイダラボッチ」に掲載されていたもので、守山小学校と東側の窪地を描いたもの⤵
「開校当時の風景は校舎の位置が正確ではない点がありますが、ダイダラボッチのあった弁天池が具体的に描かれていて貴重であることから掲載した。」とのことだが、
この絵を見ると、件の工事現場の場所が丁度池だったとわかる。
本日 ( 17日 ) の昼ごはん
本日 ( 17日 ) の夜ごはん
三品盛りのきんぴらの量たるや、ほどを越している w
三品盛りは、きんぴら、根三つ葉と牛肉炒め、くらかけ豆
もつ煮込み、いんげんとトマトとオリーブのサラダ、新わかめとどんことカリフラワーの炒め物
〆はペペロンチーノ