幸田文 著『闘』を読了。
『闘』とは、闘病のことだった。
簡単な内容
病院の待合室で酷い喀血をした嘉助は、次男に連れられてやってきた老人だ。
左官職工の嘉助が物語の主役かと思って読み始めたが、彼はあっけなく死んでしまう。
第12章からなるこの作品には、各章でそれぞれの患者の闘病が綴られている。
唯一、別呂省吾という10年も入院している重篤患者が各章をまたいで登場する。
彼を通して、またそれぞれの患者を通して、時には医者や看護婦、患者の家族を通して、
様々なエピソードが積み重なり、結核とは何か生きるとは何かが深く鋭く紡がれていく。
本紙の裏表紙にこんな言葉があった
東京近郊の結核病棟の四季を通して、病苦にふみあらされた人間の<生>と<死>の壮絶なせめぎ合いを、繊細な眼と鋭い感性で見据え、美しい日本語で描いた長編小説。
確かに幸田文の日本語は美しい。
私は彼女の独特なオノマトペに魅了される。
<ぎりり>という表現も何かの本にあり印象的だったが、
この本に中にも「ぴんと悟った」「病人がすっと寂しい表情をする」といった表現が散りばめられている。
美しいといえば、この絶版文庫の活字も美しい。
心もち平べったく丸くて優しい活字が、
重い話で暗くなりがちな気分を和ませてくれた。
幸田文が、結核に関する沢山のエピソードを有しているのには、身内の事情もある。
弟の成豊さんを結核で失くしていて、これは自伝的小説「おとうと」になっているが、
離婚した夫の三橋幾之助さんも結核で死去。
また、長女の玉さんが結婚したお相手-青木正和さんは、結核の研究者だったらしい。
https://www.nhk-fdn.or.jp/radio/_misc/data/datas/kokoro_2_no53.html
ラジオ宅急便 ⤴ の記事によると、「幸田文さんは生前、青木さんの話を参考に『闘』を発表」とある。
結核関係者が身内にいれば小説になるわけではない。
幸田文は自分の体験したことや触れ合った人間を鋭く観察、吸収、表現できる人だ。
そしてまた、人間の持つ「意地の悪い」部分を見逃さないところがある。
底意地の悪い見方しか出来ずにそれを題材に物を書くという意味では決してない。
例えば「飼い犬に噛まれた気分」と言い世間を震撼させた脚本家は、作品中に底意地の悪いシーンが散りばめられていて何故かそれがウケていたようだが、<底意地が悪い>と<意地が悪い>とではまったく違うと私は思う。
話は変な方向に行ってしまったけれど、幸田文の場合は、窮鼠猫を噛むような状況の、どんずまりに陥った時の人間の心理を救い上げて書いているように思える。
だから後味が悪くない。
作家の本性、つまり根っ子の部分の品性が下劣でないから、少々辛辣なところまで踏み込んでも、嫌な気分で終わらせないのではないかと思う。
以下、3人の患者の話をピックアップしたが、長いし、これから読まれる方にはネタバレになるだろうから、どうぞ飛ばしてください。
私の備忘録です
重荷に小付けということがある。大きい負担の上に更に負担を付け加えられるというのだが、喜助のほかにもう一人、面倒な人を谷先生は背負わされた。
患者ではなくて、患者の母親だった。
患者はこの病棟から外科へまわされ、手術を受けたのだが、その術後が思わしくなかった。明朗な高校生で、青年らしく「外科で治るならその方が早くて時間が助かる」といって進んで手術をうけたくらいで、いまも当人はさして心配していない。
それを母親がどうにもしつこく谷先生へからむ。外科の先生は有名な怒鳴り屋だから歯が立たず、おだやかな谷先生へまつわる。ある時はヒステリックに強面に時には恨みなげきでねちねちする。病状をきいているのかと思えば文句をつけているみたいな、そのうちなにかベタベタと甘えた調子になる。医者にとっては大弱りの人物だ。
今日もしたたかに悩まされ、おだまりなさい、といいたいのをこらえ無言無抵抗で切り抜けた。しまいには婦長がスクリーンのかげから聞こえよがしに「先生も自分の亭主も見境ないような口きくなんて、いやあね」といったほどである。
だが、考えようによっては、こうしつこく咎め立てる家族縁者がいるほうがましかも知れないと谷先生は考える。別呂省吾のように、どんなに危険に陥ろうと、誰一人たずねて来る肉親がなく、医者と患者と二人きりが向き合って、それぞれに闘病の苦悩を抱えているあの寂寥に比べれば、少なくとも患者が孤独でないだけでも、医師は気が楽かもしれないのである。しかし、要点なしに口説きたてる女親につきあうのは、決して疲れている先生のはげましにはならなかった。
幸田文 著『闘』新潮文庫 p.30より
別呂省吾は、誰かが亡くなってその報告がいくとき、ふんというだけで依怙地なほど無感情だった。
~中略~
しかし彼は、聞いた限りの遼友の死には、人にそれと気付かせぬ、自分だけのやり方で、一花を捧げて冥福を祈ることにしていた。嘉助へも同じである。寝たまま手を伸ばして、まず枕許のサイドテーブルの薬瓶を片よせ、スペースをつくる。つぎに抽出しをあける。
~中略~
奥に白い小皿があった。それから目あての、人のいい看護婦が廊下を通るのを、気長に待っていて、呼ぶ。
「すまないけど、そこのコップへ水一杯くんでくれないか。水道からジャアジャア汲みたてのが欲しいんだ。」
水がくると、彼女が出ていってしまうまで、なにもしない。それからその水を白い小皿に少し取りわける。散薬を一包だす。薬包紙のはしを指でさきとる。裂きとった紙を丹念に折る。枕の下の
シース から小鋏をとって、折った紙を花弁形にきざむ。屑は屑かごへ。折り目を広げれば、晩秋の小菊のつもりの、こまかい花弁が切りこまれている。小皿の水にうかし、手を蒲団の下に引きこめ、指を組み、瞑目して祈念する。終わると、菊の切り紙をつまんで、まるめて、屑かごへ入れてしまう。
いつからともなく付いた癖だが、春は桜、夏はききょう秋は菊、冬は雪の六角形を刻んで、彼ははなむけにした。人知れず死へは敬虔だった。
幸田文 著『闘』新潮文庫 p.47より
患者は中年の主婦。
つねに猜疑心をもって夫を責め、嫉妬で自分と夫を苦しめていた。機嫌買いだった。
夫の来かたが間遠になったり、小づかい銭がなくなったり、同室の患者が新しいネグリジェを着たりすると、ご機嫌がまがって、立腹するのである。そのついでに病気が悪くなる。頭痛だ、胸が苦しい、眠れないと訴える。悪くなるというのではなくて、悪くするみたいに見えた。先生は、またかと、正直いってうんざりさせられ、それでも薬を処方する。
~中略~
あまりうるさいので、ある時先生は、たしなめる意味を含め、また腹も立ったのでいった。
「そう何もかも思いのままにしようとしても、無理ですよ。なにしろあなたは肺活量が普通よりだいぶ少ない、それはあなたもよく知っている筈だ。あまり勝手なことをいって威張るとひっくり返って目をまわしちまいますよ、ま、これは⸺」
冗談だがといわないうちに患者は、うむ、と声をあげて目をつるしあげ、棒のようにそっくり返った。先生の言葉が気にくわなくて、かっと腹をたて、意識無意識のふしぎなバランスのうちに、とりつめてみせたのである。劇的な、一種の威嚇である。おまえの無礼な言葉にたえられば、こちらはこのようなショックを受け、このように発作を起こしたのだぞ、という威嚇である。咄嗟に、とたんに棒のように硬直するから、本当のショックかと見間違えるが、実は任意の演技であることが多い。しかし、度々やって入神の技になっている。
けれども丹後先生はおどろかない。何度もやられて呑みこめている。こういう時はかまってやらずに、放っておくにかぎる。驚いて介抱をするのは、思う壺にはまることで、患者は次々といろんな芸当を見せて、手古摺らせてくる。
歯をならす、震える、蝦のようにかがまったりのけぞったり、派手である。だがこんなふうに次々と派手にしてみせるところが、この種演技の弱点をあらわしている。なぜならそのようにいろんな芸当を切替えなければ、息をつく場がない。いつまでもそっくり返って石膏になっていては、嘘をもつきれるものではない。そこでどうしても、切り替えを利用して息をつく必要があるのだが、それには相手が慌てていれば、仕事がしやすいということになる。
だからこちらは、じいっと見つめていればいいのだった。冷静に見られているのは、演技者には嫌な感じだろう。彼女は自分から硬直を解き、目も元に戻さないわけにはいかない。このへんが最高の演技のいるところである。嘘は後始末がつらい。先生にとっても困りものだが、彼女にとっても先生は苦手だ。それなのに懲りることなく、すぐさま衝動的に演技をする、これがヒステリー症の軽蔑されるもとである。
「らくになって、よかったね」
先生はそれだけしかいわない。無関心な様子でさっさと足をかえす先生を、彼女は憎々しげに見送る。本来なら失敗した一幕に、恥を感じていいわけなのに、怒りが先行するものだから恥が消えてしまうのである。
十六病棟難波邦子の名は知れ渡っていた。
幸田文 著『闘』新潮文庫 p.51より
長くなってしまったが、この本は4月に鎌倉で購入したもので、
ずっと寝かせてあったものを、何故いま読み始めたのか理由はない。
しかし読了した日 ( 8月17日 ) が、期せずして島木健作さんが結核で亡くなられた日であったことに、はっとさせられた次第。
本日の昼ごはん
ざるそば
本日の夕ごはん?
MOURI のお土産カツ丼