トーマス・ハーディの『テス』を、岩波文庫版 ( 井上宗次・石田英二 共訳 ) で読んでいます。
この版は、今最も手に入りやすいといえるもので、1960年発行です。
今 、上巻を読み終えたところですが、
下巻を待たずして感想文を書きたくなったのは、沸き上がる感動のためです。
とにかくハーディの描写力が素晴らしい。
後程、好きなシーンをいくつか抜粋しますが、その前に本の概要を。
『テス』の正式なタイトル
『テス』の正式タイトルは『ダーバヴィル家のテス⸺清純な女性⸺』
" Tess of the D'Urbervilles, A Pure Woman," といいます。
「清純な女性」という副題をあえて掲げている点でもわかるように、
ハーディは主人公が処女性を失いながらも、いかに純粋な魂で一途に生きたかを 書きたかったようです。
当時のヴィクトリア朝時代の女性の地位や待遇は酷いものでした。
また、貴族、聖職者、農民など職業別の階級も今では考えられないほど厳しいものでした。
階級により言葉遣いも違うから、会話しただけで「お里が知れる」ということだった。
ハーディはこの本の中で、貧しい家に生まれ、過酷な運命に翻弄される主人公テスを、
魅力的に実に生き生きと描いています。
【あらすじ】はこんなこと
19世紀末のイングランド、ドーセット地方のマーロット村。
貧しく子だくさんのジョン・ダービフィールドは、ひょんなことから名家の末裔であることを知り、
美しい娘のテスを、裕福なダーバヴィル家に奉公に出した。
※ ちなみに奉公先のダーバヴィル家は《ダーバヴィル》の名前を借りた新興成金。
テスの家 ( ダービフィールド ) は、正式には《ダーバヴィル》で、
血筋をたどると正真正銘の名家《ダーバヴィル》の末裔。
しかしテスは、ダーバヴィル家の息子アレックに犯されて妊娠。
実家に戻り子供を産むが、その子を病気で亡くしてしまう。
テスは家族と離れ、自分のことを知らない酪農場で乳搾りの職を得ることにした。
酪農場で同年代の少女たちと暮らすテスは、牧師の息子クレアと仲良くなる。
クレアは牧師の三男坊だが長兄たちとは違い、大農場主になるべく酪農の修行に来ていたのだった。
クレアは、テスの美貌としとやかさ、貧しい家の娘には珍しい知性に魅かれ求婚する。
テスもクレアに好意は持つものの、自分の操が汚されていることから求婚を受け入れられないでいた。
しかし、度重なるクレアの熱意に負け、テスは結婚を承諾。
ハネムーンの途中、クレアが過去の淫行を告白したことから、テスも自分の暗い過去を告白する。
上巻はここまで。
この後、クレアが絶望してテスを捨てるらしいことは知ってしまいましたが、
結末は知りたくないので耳をふさいでいます。
でですね。
ここまでのストーリーをざっくりまとめれば、
強姦された主人公が、素敵な男性と巡り合い求婚されるが、自分の過去を考え求婚を受け入れらないでいる。何度も過去を告白し、辞退しようとするも、その度に色々あって告白に至らず結婚式の当日までもつれ込む。
という流れ。
昼メロか? ハーレクインロマンスか? と言われたらそれまでですが、
それをもたせるのが、筆者の筆力。
とにかく描写が凄い!
テスの心情、酪農場の状況、自然の情景など、ハーディの筆が冴えわたってます。
「ずっとずっとハーディさんの描写する世界に浸って酔いしれたい」と思うほど。
例えばこんなシーン
テスが、奉公に出る朝の風景描写です。
出発ときめられていた朝、テスは夜明け前に目をさました⸺
昼と夜とを分かつ闇の一時で、森はまだ静まり返り、ただ預言者きどりの小鳥が一羽、自分だけが夜明けの正確な時間を知っているという自信ありげな澄んだ声でさえずっていたが、他の小鳥たちは、あいつは間違っているんだと、これまた確信をもっているかのように沈黙を守っていた。
岩波文庫 井上宗次・石田英二訳『テス』p.77より
一方、こちらは酪農場の風景描写。
雨期がすぎて、高地は乾燥していた。
市場からいそいで帰ってくる親方の馬車の車輪は、ほこりだらけの街道の表面をなめつくして、そのあとに、まるで細い導火線に火をつけでもしたように、白いリボン状のほこりが舞い上がっていた。
岩波文庫 井上宗次・石田英二訳『テス』p.244より
上の二つを読んで、私は里見弴さんの『俄あれ』という短編を思い出しました。
唐突ですね。
どういうことかというと、自然の描写 (たとえ方 ) が、大好きな里見さんと同じだったんです。
里見弴は、友人の志賀直哉に「小説家の小さん」と言わしめた作家。
特に私は『俄あれ』の自然描写でたちまちファンになっちゃったんです。
※ 詳しくは私のHPのコラム GARADANIIKI のHP 『俄あれ』にありますが、
里見さんは本文で、ジリジリと太陽が照りつける夏の風景を、空と大地を擬人化し、
「お互いの強情」とか「殴り合いを始める」という表現をされていたのです。
おおっと、また脱線するところでした、テスの話に戻ります。
テスの両親は、金に目が眩んでしまってました。
両親は、テスを奉公に出す先の成金ん
※ 奉公先のダーバヴィル家は、テスの家がホントの名家の末裔なのに対し、
ただ《ターバヴィル》の名前を借りただけの新興成金の家でした。
下は、その描写ですが、両親の人間性と小っちゃさが笑えるでしょう?
「千ポンド以下じゃ、だめだよ!」と、ダービフィールドの奥方が大きな声で言った。
「そう言ってくれ⸺千ポンドで売るとな。そうだ、まあ考えてみると、それ以下でもいいや。わしみてえなつまらねえもんより、先さまのほうが、肩書も栄えるってもんだ。百でゆずると言ってくれ。が、わしたけちけちしたこたぁ言いたくねえ⸺五十でゆずる⸺いや、二十でいい! そうだ、二十ポンドだ⸺それがギリギリ決着のとこだ。畜生、家門の誉にかけて、ビタ一文切れたって、受けとるこっちゃねえぞ!」
テスの目には涙があふれ、声はつまって、心中の思いを述べることはできなかった。
岩波文庫 井上宗次・石田英二訳『テス』p.81より
この文章も好きです。
正直な『美』、『無邪気』が侍り、素朴な『虚栄』が付き添っている、って凄い表現じゃないですか。
こうして、娘たちと母親は、連れ立って歩いて行った。子供は一人ずつテスの両側に並んで姉の手を取り、まるでこれから大事業をしようとする人を眺めるように、時々物思いにふけって姉を見るのだった。
母親は末の子を連れて、すぐその後ろにつづいた。
この一団は、正直な『美』を真ん中に、両側には『無邪気』が侍り、後ろには素朴な『虚栄』が付き添っている一幅の絵をなしていた。
岩波文庫 井上宗次・石田英二訳『テス』p.81より
テスが酪農場で暮らした月日は、彼女にとって幸せな一時だったと思います。
そんな生活をハーディはこう書いています。
クリック親方一家の乳搾りの男女は、気楽に、おだやかに、そのうえ朗らかにさえ暮らしていた。
彼らの地位は、おそらく、社会の階級のあらゆる地位のうちで一番幸福なものであっただろう。
貧窮という線よりは上であり、礼儀作法のために自然の感情が拘束されはじめ、また、くだらない流行を追うために足ることを知らなくなる線よりは下であった。
岩波文庫 井上宗次・石田英二訳『テス』p.211より
ハーディは、ロンドンで建築事務所で働いていましたが健康を害し、
故郷の村に戻り、そこで執筆活動をした人です。
彼の作品には、都会 ( 社会 ) の人間関係の醜さと、田舎の自然の豊かさがモティーフになっています。
上巻の半分以上を占める酪農場の描写が素晴らしいのは、著者の根底に溢れる郷土愛から来るものと思われます。
岩波文庫版は共訳
この本の翻訳は、「井上宗次・石田英二」とあります。
両氏の略歴 は、以下 ( Wikipedia ) のように簡単なものでした。
井上 宗次(いのうえ そうじ、1909年 - 1997年10月9日)は、英文学者、大阪府立大学名誉教授。 和歌山大学教授を経て大阪府立大学教授、定年により名誉教授、神戸学院大学教授。ユージン・オニールなどを訳した。
石田 英二(いしだ えいじ、1908年 - 1980年)は、英文学者、翻訳家。 1932年京都帝国大学文学部卒業。西京大学教授、1960年頃京都府立大学教授、1970年頃ノートルダム女子大学教授。英米文学の翻訳を多く行った。
お二人の接点がどこにあり、どういう経緯から多数の作品を共訳するようになったのか興味深いところですが、ネットではわかりませんでした。←これは宿題
他の訳でも読んでみたい
下巻を読んでもない内に、悪い癖がまたふつふつ。。。。
他の訳 でも読んでみたくなりました。
気になるところは、ちくま書店から出ている二版です。
ちくま文庫は、紙も印刷もレイアウトも好みで、是非手にとってみたいところですが、
これは絶版の上、希少なもののようです。
テス 上下巻揃 ちくま文庫 トマス・ハーディ著 井出弘之訳 | 古本よみた屋 おじいさんの本、買います。
もうひとつ。
震えるほど気になるのが、フランクリンライブラリーという幻の全集。
発売当時一冊18,000円という豪華本なんですが、なかなか出回らず、
市場に出た途端に買い手がつくという大変な本らしい。
全部は要らない 買えないが、テス一冊だけでも欲しいなぁと、ゾクゾクしています。
本日の朝ごはん
牛乳が切れてたのでミューズリーはやめて、味噌ラーメン
おいしぃ
本日の夜ごはん
大根・にんじん・豚バラ肉の鍋
シンプルなんですが、この組み合わせは神です。
冷ややっこ 青唐辛子の醤油漬けをのせて