Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

ローラーゲームのラルフィーおじさん

 

ローラーゲームのことを思い出したら、個性的なプレイヤーの面々が懐かしくなりました。

1972年10月から東京12チャンネルで放送されたスポーツ番組『日米対抗ローラーゲーム』。
放送にこぎつけた背景には、関係者の並々ならぬ苦労があったようてすが、当時は知るよしもない。
ただただ、金曜の夜のエキサイティングな放送を楽しみにしていた、ガキんちょだったから。

 

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番組の中で一際輝いて見えたのが、“助っ人”のお二人。
ラルフ・バラディアス ( Ralphie Valladares ) さんと、コリーン・ミュレル ( Colleen Murrell ) さんが、アメリカのスーパーチーム ロサンゼルス・サンダーバード(愛称 LA T-Birds)から、日本チームの応援に参加してくれてました。

 

f:id:garadanikki:20150411125812j:plainラルフさんのこと、子供心に「この人、別格」と思ってました。当時は、凄い“ おじさん ” だと思ってたけど、まだ彼は36歳だったんだね。(笑)
背の低いラルフィーおじさんが、屈強な男たちのアタックを巧みなスケーティングでひょいっひょいっと小気味よくかわす姿は、牛若丸みたい。彼が登場するたびに、アナウンスの土井まさるさんが「山椒は小粒でピリリと辛い」と言っていたっけ。

【ラルフ・バラディアス ( Ralphie Valladares ) 】
1936年7月31日グァテマラで生まれ、12歳の時に家族とともにロサンジェルスに移住。当初彼は、競馬のジョッキーになることを夢見ていたが、体重の問題で断念、ローラーゲームに目を向けた彼は、17歳で、ロサンジェルス スケートブレーブスの選手となる。マイアミ ウエスタンズに移籍すると、160㎝という身長にも関わらず、めきめきと頭角を現しスタープレイヤーになる。1960年にはロサンジェルス サンダーバードの創設メンバーとなり、30年に渡り、選手兼コーチとして活躍。1972年日本で「日米対抗ローラーゲーム」が放送されることになると、助っ人として東京ボンバーズに参加。1987年引退したが、テレビショー「RollerGames」に出演している。1998年11月13日カリフォルニアのピコリヴァー、肝臓がんで死去。
彼の死後2004年に、Roller Derby Hallの殿堂入りを果たす。


金髪の美人スケーター、コリーン・ミュレルも忘れられない。
アメリカチームの女性スケーターといえば、ごっつくて、アマゾネスって感じの人ばかりなのに、コリーン・ミュレルは、ひときわキュートで美しかった。男性ファンの人気は、佐々木ヨーコとコリーン・ミュレルが2分してたんじゃないかな。

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真中にいるのがコリーンミュレル

 

f:id:garadanikki:20150411125804j:plainダントツで好きだったのが、タイガー森 ( 森文雄 ) さん。
クリクリパーマで、大魔人みたいにでっかくて、頼もしい姿に釘づけになった。
ずっと応援していたのに、いつのまにかキャプテンじゃなくなって、テレビに姿が映らなくなってしまった。今みたいに情報が豊かじゃないから、事情も呑み込めず、凄く寂しかった。

今回、小泉博さんのブログで、「ラルフィーさんを悼んで、ボンバーズの創立メンバーが集まりました」という記事を見つけて、お元気そうなお姿拝見できました。40年ぶりの森さんは笑顔が素敵で、包容力たっぷりの雰囲気は昔と全然変わらなくて、やっぱり素敵。


小泉さんのブログには、

森さんはじめ、創立メンバーの方々の楽しそうな写真がアップされてて懐かしく拝見しました。

 

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出典元:wikipedia[東京ボンバーズ」から

初代東京ボンバーズ 左から佐々木陽子、タイガー森、堀井由美子、リキ遠藤、河野一男、綾部圭子、ミキ門田

 

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出典元:Los Angeles Thunderbirds 公式HPから

この時期、佐々木陽子さんとミキ角田(門田誠)さんは、渡米してサンダーバードの一員として試合に出てました。
前列 左から3人目の黒髪の女性は、佐々木陽子。その隣はコリーン・ミュレルですね。
後列右はミキ門田で、その隣8はラルフィーです。

 

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