さて。
はじまりました。
開口一番は、来年5月に2つ目の昇進が決まったという三遊亭わん丈さんがつとめます。
わん丈さんは、一之輔さんの落語会によくついているので、今回で3回目。
可愛がられているんでしょうね。
口開けですから、こんなことも云っていました。
「特上のお客の皆さまにおかれましては、携帯電話、ラッパ、シンバルなど音の出るものの使用はお控え下さい。またポケットベルをお使いの方も、そろそろ携帯に代えることをおススメいたします。
噺の途中で携帯の着信などが鳴りますと、噺家の諸先輩はプロでございますから、お客様に嫌な顔はいたしません。その代わり楽屋で機嫌が悪くなる。そうなると可哀想なのはワタクシひとり。どうか私のために皆さん携帯を鳴らさないでいただきたい」
そんな話でワッと笑いを取り、噺の題はわからないんだけど、
兄貴と5~6人の若い衆が酒盛りをやろうっていうことになり、それぞれ酒の肴を調達に走るんだけど、全員が角の乾物屋のおやじがうたた寝している間に、かつぶし・味噌・干したらなんかを失敬してきちゃうお話しをしてました。
へぇぇぇ。わん丈さん、どんどんうまくなるものですねぇ。
いい噺家さんに付人をして高座に上がっていると芸も磨かれるっていうことなんですね。
「芝浜」 春風亭一之輔
続いて、一之輔さんの芝浜です。
芝浜という演目はトリでやるような大作。
それをのっけからやるなんて、しかも一之輔さんがどう料理するのだろうか。
一之輔さんたら「初天神」の悪ガキみたいにふて腐ったような顔をして登場。
ひとしきり恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションとバカップルをいじってから、
すんと本題に入っていきます。
途中までテンポよく、腕利きの魚屋が酒におぼれてしくじっていく様子を聞かせていましたが、50両という大金を拾い、浮かれた挙句、女房から「おまいさん、50両拾ったって何のことだよ」と言われ、財布を拾ったのが夢だったとガックリし、「俺はもう金輪際酒は飲まねぇ」と断酒宣言をするあたりでピタっと留まった。
「いくじのねえヤロウですね」
・・・むむむ何を云い出すやら。
「いやね。こんなどうしようもねぇ飲んだくれは、断酒をするんじゃなくて、酒を飲んで飲んで飲んで、体壊して死ねばいいんだ」
・・・・あれれれ、そうくるか。でもそんなこと言ったら話が続かないぞ。
会場が一之輔さんの次の句を期待する。
「でもねっ、勝はこれじゃあいけねぇと働くんですよ」
・・・やっと本題に入ったか。
その後は、割と軽めにさささっと改心した勝が一生懸命働いて借金を返しおわって3年目の暮れまで話が続き、割とあっさり、女房からの種明かしを聞き、褒美の酒を味わうか味あわないかの落ちになる。
何か乗ってないのかなぁ一之輔さん。こんなあっさりした「芝浜」は初めてです。
これが狙いなのかもの一之輔の「芝浜」でございました。
「富久」 三遊亭兼好
続いて登場するのは、三遊亭兼好さん。(初めて拝見します)
なんとまあ、華やかで陽気なお声じゃないですか。
富久もまた、暮れになるとよく掛かる演目だけど、兼好さんが演じる太鼓持ちが可愛い。
===「富久」のあらすじ==
年の暮れ。
幇間の久蔵は、酒でのしくじりで大得意の機嫌をそこね出入り禁止になります。
そんなある日、友人から富くじを買うことになりますが、福耳 恵比須顔の友人から買うのだから
「おまいさんから買うんだから、当たったも同然。これが当たりっていうのを選んでくれ」と言って
「松の1500番」という札を買います。
久蔵を後生大事にそのくじを神棚にそなえて願掛けをします。飲みながら。
「大神宮様、大神宮様、一番富 ( 千両 ) といわなくったっていい、二番 ( 500両 ) でいいから、どうかあたしのご利益を。(ごくりお神酒を飲む) そしたらねぇ、あたしは幇間やめますよ、ええ芸人やめたら結婚できましょう? そう200両で売りに出ている小間物屋を買う、大神宮様の神棚だって30両で立派なの作りますよ。へへん。嫁さんはね、芸者はいけませんや、一緒にさんざ仕事をしてましたでしょう? 玄人は駄目。やっぱり素人ですよ、お松ちゃんなんかいいねぇ。決まり、お松ちゃん。ってお松ちゃんの方でどうなんだかは知らないけど」
お神酒を飲みながらですから、次第にべろんべろん、やがて寝てしまいます。
夜が更け、芝で火事が出たという知らせが住人から届きます。
「芝っていえば、確かおめぇがしくじった旦那、あの辺じゃなかったかい?
見舞に駈けつけて機嫌を取ったらどうだい」
久蔵が旦那の大店に駆けつけると期待通り旦那は喜び 、出禁もとけます。
旦那のところで火事場見舞の手伝いをしている内に、今度は久蔵の住い浅草あたりが出火したという知らせが届き、とって返しますが、長屋は跡形もなく灰になっていました。
幸い旦那の計らいで大店の居候となった久蔵でしたが、湯島天神を通りかかると、ちょうどあの富くじの抽選会が行われています。
「で1番くじは?」「松の1500番」
「あたーっ、たたたた」
ただちに賞金を貰おうとしますが、当たりくじはとっくに火事で焼かれて灰になっている。当たり札がなければ換金できないと言われどん底に突き落とされます。
意気消沈の中、鳶の頭とバッタリ。
「布団と釜は出しといたから心配するな。それて大神宮様のお宮もな」
神棚から富くじを探し出した久蔵。
「これで方々に「はらい」が出来ます」というお話しでした。
今日の「富久」
兼好さんの「富久」でおかしかったのが、酒にだらしのない久蔵の描写。
かけつけたはいいが非力で役に立たない久蔵は、見舞客の対応と、客と品の記帳を請け負う。
ところが見舞の熱燗が気になって仕方がない。再三旦那に「熱燗が冷めますよ」と進言するが、相手にして貰えないので仕事も手につかず、やっと飲んで良しの許可が下りると、「一杯だけ」が、「今のは (喉に詰まった) がんもを飲み込むためだから一杯に入らない」とか色んな言い訳をしながら、お酒を飲み始める。
その様子が楽しくて、旦那もこんなバカ野郎だから仕方あんめいということになるという始末で、幇間と旦那の関係性がよくあらわされたエピソードになっていました。
「井戸の茶碗」桃月庵白酒
==「井戸の茶碗」あらすじ==
正直者のくず屋の清兵衛が、16~7の器量は良いがつぎはぎの着物を着た娘に呼ばれ くずを貰いに行くと、待っていたのはその父親で、千代田卜斉という浪人ものでした。
もとはしかるべき所で士官をしていたが、今は昼間は子供の手習い、夜は売卜 ( ばいぼく=易者 ) をして生計をたてているとのこと。
あらかたくずを集めた後、卜斉がすすけた仏像を200文で買ってくれという話になりました。
清兵衛は「自分は目利きでないから、くずしか扱わない」と辞退をします。
しかし結局卜斉の押しに負け、200文で預かることになります。
仏像を竹籠に入れて流し歩いていると、細川様の屋敷の高窓から声がかかります。
若い侍が「仏像を300文で売ってくれ」と言います。
侍は、名を高木佐太夫といい独身だそうです。
高木がすすけた仏像を洗い清めていると、中で音がする。「これは腹籠りの仏か」見て取ったものの、裾紙がやぶれると、中から50両が出てきました。
高木はくず屋の清兵衛を探し出し、「仏像は買ったが、中の金子を買った覚えはない、持主に返してくれ」と言い付けます。
清兵衛は、卜斎の家に行き金を渡そうとしますが、
「わが祖先の大切な仏像を売り払ってしまうような私に、この金を貰う資格はない」と突っぱねます。
高木は金を渡せといい、卜斎は金は受け取れないという。
2人の律儀なお侍さんの間に入って困った清兵衛さんは大家さんに相談します。
「よし私が仲を取り持ってあげよう」
大家さんは、
「50両を高木様、卜斎様で20両ずつ受け取り、10両は2人の間で四苦八苦の、商売もあがったりの清兵衛にやっていただきたい。卜斎殿が受け取りがたいというのなら、何かお金の代わりに高木さんに品をお渡ししたらいかがでしょう」と提案します。
ようやく話がまとまり、卜斎は、自分が使っていた湯飲茶碗を進ぜることに。
ところが今度はその湯呑茶碗が、細川の殿さまの目にとまります。
何でも「井戸の茶碗」という名品で世に二つとないものだとわかり、殿さまは茶碗の代金として高木に三百両つかわすのでした。
高木は、またもこの半分を卜斎に届けさせますが、卜斎は高木の誠実さに打たれ、娘をもらってくれるよう、 清兵衛を介して申し入れます。
これには高木も「卜斎殿の娘ごなら願ったりのお話」と承知します。
みごと話がまとまり、清兵衛が高木にこんなことを言いました。
「あの娘をご新造にして磨いてご覧なさい。大した美人になります」
「いや、磨くのはよそう。また小判が出るといけない」
今日の「井戸の茶碗」
桃月庵白酒さんの井戸の茶碗は、今回で2回目でした。
前見た時よりも、卜斎の娘と高木が、ひとめ見た時から好感を持ちあっていたようになっています。
志ん朝さんの「井戸の茶碗」は、卜斎の娘は武家の娘として楚々として慎み深い女性でしたが、白酒さん演じる娘は、2才ばかり年若に設定され「そういえば家に帰ってからも高木さまの話ばかりしておった」と父親に言われるほど、ホの字の様子に描かれています。ふとっちょの白酒さんが、短い ( 失礼 ) 両腕を袂に入れ、身をよじって恥ずかしがる様子は、なんとも可愛らしい娘子になっていて、笑みがこぼれてしまいました。
白酒さんは、大きな体格から出る声も立派な美声。
オペラでも歌えそうな調子です。可愛い顔をしていながら、毒舌な一面もあり、
枕では、恵比寿ガーデンホールのことも「歩く歩道っていうんですか、あれに惑わされますが、とにかく遠い。それにホールは敷地の中でも一番遠い。ということで、はるばるこんなところまで。」とけなします(笑)
とにかくあの風体で言えば、かなりきつい毒をはいても救われるんですから、面白いキャラクターだなあというも思います。
「子別れ」橘家文左衛門
落語好きの方なら、ここまで触れずとも、このラインナップに「ギョギョッ」と思われたことでしょう。
どれも大作で、本来は落語会のトリに大御所がやるような作品。
中でも「芝浜」は大トリ中の大トリとでもいう作品だもの。
圧巻の出し物に、お客は嬉しいやら、笑疲れるやら、感動し疲れるやら、
そんなことも承知の文左衛門さん、出てきた途端。
「えーっ、皆さま、お疲れさまでした。
大丈夫。ちゃっちゃと終わらして、電車のある内に帰してあげます」
これには会場からどっと笑いが起きる。
文左衛門さんは、ゆっくりと小さな声で噺をはじめます。
いやあ老獪だ。って悪い意味じゃなく、ニクイです。
こう小さな声で喋られると、集中して惹きつけられるもの。
===「子別れ」あらすじ===
物語は、大工・熊五郎が大店の依頼で、番頭さんと木場に木材を見に行くところから始まります。
番頭さんは道すがら、熊五郎の現の女房の話や、別れた先 ( せん ) の女房の話をはじめます。
「先のおかみさん ( お徳さん ) は素晴らしかった。
確か亀ちゃんとかいう、あの子はホントに可愛かったねぇ」
2人の会話から、熊五郎の二番目の女房は吉原から連れ込んだ女で、家では縦の物も横にせず、昼から酒を飲みだらしない女であること。離縁を言い渡そう思う矢先に、その女は自分の方から家を出ていったことがわかってきます。
熊五郎f腕はいいが大酒飲みで遊び人で、それが元でお徳は息子の亀吉を連れて家を出たようです。
今ではすっかり改心し、酒も断ち、大工として真面目に暮らしている熊五郎ですが、気がかりなのは九つになる亀坊のこと、会いたい気持ちはありますが、どこにどうして暮らしているかもわかりませんでした。
すると偶然、亀坊が前から歩いてきました。
番頭さんには後から追っかけることにして、しばしの再会。
「元気でいたか」「うん」
「この近所に住んでいるのか」「その先を曲がったとこ」
「で、新しいおとっつぁんは優しくしてくれているのか」
「やだなぁ、親は子の後に出来るもんじゃないだろ?
おとっつぁんはここにいるおとっつぁん1人だい」
亀坊の言葉から、別れたお徳がまだ独り身でいることがわかります。
ふと見ると亀坊の額に傷が、遊んでいて生意気だと打たれたというのです。
母親はどうしたと聞けば「男親がいないとバカにして、どこの子だよ」と怒ってくれた。
しかし相手がお得意先のぼっちゃんと知ると「痛いだろうが辛抱しておくれ。いつもおさがりや仕事も貰っている先だ、気まずくなったら明日のおまんまも食べられないからね」と泣いたというのです。
熊五郎もその辛さを感じ、悲嘆にくれます。
小遣いに50銭を渡し「何に使うんだ」と聞けば 「鉛筆を買いたい」といいます。
母親は「お前のおとっつぁんは、それは腕がいい大工だけど、悲しいかな学が足りなかった。お前は一生懸命勉強をするんだよ」と手間賃仕事で質素に育てていたのだそうです。
「亀坊、うなぎが好きだったよな。よし、明日この時間に待っているからここに来い、鰻をご馳走してやろう。その代わり、小遣いのことも、鰻のことも内緒だぞ。男同士の約束だ」
そういって分かれる熊五郎でした。
「だだいま~」
亀坊は帰るやいなや、母親の手伝いが待っています。
糸をほぐすため両手を出すと、50銭が帯から転げ落ちる。
「誰から貰ったの」「知らないおじさんから」
「いやだよ、この子は、まさか悪いことをしたんじゃないのかい? どうしても言わないなら、ここにおとっつぁんのゲンノウがあるから、これで叩くよ、これはおとっつぁんが叩くのと同じなんだからね」
ゲンノウを振り上げる母親の剣幕に押され、やっと口を割る亀坊。
久々の父親との再会にビックリするやら嬉しいやら。
「おとっつぁんお酒もやめたんだってよ。臭くなかったよ。
それから今は1人でちゃんと仕事してるんだって」
翌日、学校から帰った亀坊は、こざっぱりした着物に着替えさせられ家を出ました。
送り出したお徳の方も、気になって2~3回顔をはたいてから鰻屋の前を行ったり来たり。
階下の母親に気がついた亀坊でしたが、息子に手を取られて二階に上るお徳も、熊五郎も固くなって話になりません。
「おとっつぁん、お願いだから昔みたいに一緒に暮らそうって、そうおっかさんに頼んでおくれよ」
その言葉に熊五郎がうなづきます。
「お徳、ありがとうよ、亀坊をこんなに立派に育ててくれて。
俺が言うのも何だが、どうだろう、もういっぺん俺と一緒にやっていってくれないか、この通りだ」
こうして、子供のおかげでめでたく夫婦が元の鞘に納まるという、 「子は鎹(かすがい)」の一席でした。
今日の「子別れ」
子別れは、長いVersionでは、
(上) 大酒飲みで吉原通いをする熊五郎が、女房に愛想をつかされるお話し。
(中) 後から貰った吉原の女との、どうしようもないお話し。
と、今回のお話し ( 下 ) の三部構成になっているそうです。
今では、上と中を端折って、下が語られるのが一般的なようですが、今回の文左衛門さんも下のみの短いVersion。
端折られた経緯を知るためにも、番頭さんと道すがら語られるシーンが重要です。熊五郎も番頭さんも、落ち着いた大人の話しぶりで訥々と語られます。
元々、今回の演目はどのも、すごーく大爆笑という噺じゃないし、しんみり考えさせられる人情噺の中に、ふふっと笑わせるような内容です。
そんな意味でも真打が、トリを〆るような重い内容ですから、やりようで見る方が疲れてしまう。
泣かせようと思えば、どこまでも泣ける話だが、さじ加減をひとつ間違えると無粋な噺になる。
文左衛門さんは、その点をわきまえて、心にくいトーンと運びで大役を務めきりました。
4本きいて、あ~あ、落語って深いなぁと、つくづく思いました。
「井戸の茶碗」以外は、酒で身を持ち崩した男であり、全部お金にまつわるお話し。
本編で、実際に酒でのしくじりの場面が語られなくても、いい年をしたお客、そこは自身の経験や想像力でいくらでも補うことが出来る、金がない辛さ、身内の者の有難さが分かるようになってくれば尚更、芝浜の夫婦の気持ちや、子別れの父母子どもの心意気が胸を打つ。
年の瀬に、大いに笑い、深く胸を打たれた最高の落語を見ることとなりました。
いや~落語って、ほんとにいいですね。⇐どこかで聞いたようなセリフ