Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

夏旅Vol.7 長浜の街並み 大通寺参道から豊公園へ

 

初めにお話しておきまますが、今回はかなり中途半端です。

大通寺は、開門はしていたものの、本殿に入れる時間ではなかった為、正面広場を拝見したのみ。

長浜城も「城」といっても鉄筋コンクリートの博物館だというのでパスしました。

 

要するに、そこらあたりうろついた感じ。

開園時間までいて見たい気持ちもありましたが、次の場所への想いの方が強かったのです。

 

そんなワケで、前回の続き針屋橋からスタート

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橋の欄干が「きつねの形」になっているということでしたが、

「お花きつね」とは、やはりむかし話でした。

とてもかわいい話だったので抜粋しました。⤵ 

参照:滋賀の昔話⑤おはなぎつね(京都新聞社発行)

お花ぎつね

 近江の長浜の町に、御坊さんというえらい立派なお寺があった。

このお寺にはいつのころからやろか、きつねが住み着いておった。

きつねはお花というた。

子供もたくさんおった。

お花はなかなかかしこいきつねやった。

お寺の窓が開いていたり、閉まっていたりするので、町の人が坊さんに 「ごくろうさんやなあ」というたら「しりまへん」という。

ようみておったら、晴れる日は開き、雨になる日は閉まっとる。

つまりお花が、天気の具合を、知らせとったわけや。

町の人たちは、お寺の窓を見て、洗濯をしたり傘を持って外へ出かけたもんや。

 

 「ありがたいことや」 かしこいのもええけど、いたずらもしてくれる。

お正月前のことやった。

町の呉服屋に、きれいな娘がやってきて、「紅木綿一反くだされ」 番頭が「どちらさんです」と聞いたら「お寺のもんです。お花です」というた。

「御坊さんなら、安心や」番頭さんはすっかり信用して紅木綿を渡したのや。

ところが月末になって、お金をもらいにいったら坊さんが、 「買うた覚えはありまへん」というやないか。

「そ、そんな。確かにお花と言いました」番頭さんが口を尖らせる。

「さ、さては!」みんなでお堂の裏へ行ったら、お花にもろたのやろか、こぎつねたちが、 紅木綿を首に巻いたり、体にかけたりして、遊んでおった。

「しもうた。やられた」

 

 一番ひどかったのは、御坊さんの引っ越しの時やった。

御坊さんへは、毎日大勢お参りがあるので、 「こんな町はずれでは不便や。町の真ん中へお寺を移そう」ということになった。

皆でわいわいがやがやいうて京都の本山へ頼みに行くことになったのや。

それで、反対の人たちが急いで行ったら、途中に大きな川があった。

川は雨も降らんのに大水が出て渡れんかった。

「水が引くまでゆっくりなさいまし」茶店の娘が引きとめる。

かわいらしい娘やった。

お花、という名前の娘は、愛想もええし、世話もようしてくれる。

皆も気分がええので、何日も泊まってしもうた。

やっと水が引いたので、「えろう遅なったわい」川を渡って、京都へ走った。

ところが、本山へ着いてびっくりした。

一日前に、引っ越しを賛成する人達が、船で琵琶湖を渡ってやってきて、話を決めてしもうた後やった。

「川さえ早く渡れたら、間に合うたのに!」 がっかりしてすごすご帰ってきた。

ところが、どうしたことやろ。

あんなに大水やった川はからからや。

それに、お花のいた茶店も、どこにもあらへん。

近くの人に聞いても、「ねぼけたことをいうたらあかん」笑われてしもうた。

「これはひょっとすると!」 そこで、初めて、きつねのお花の仕業やと気がついたのや。

「ちぇっ!またやられてしもうた」 もう後のまつりやった。

 

 そういうたかて、お花は悪いいたずらばっかりはせなんだ。

ある晩のことや。

坊さんが寝ておったら、夜中に急にきつねたちが騒ぎ立てるのや。

いつもとちょっと様子が違うので、「うるさいなあ」 坊さんたちが外に出てみると、いっぺんに目が覚めた。

「えらいこっちゃ、火事や!」 「みんな来てくれ!」 早鐘をついたら、町中の男やら女やら、飛び出してきて、手助けしてくれた。

夕方燃やしたごみがちゃんと消えてなんだそうや。

やっとのことで火を消したが、もし、お花たちが知らせてくれなんだら、大火事になるとこやった。

「ありがたいこっちゃ」 それから長浜の人達は、御坊さんへきつねの大好きなあぶらげを供えるようになったんやて。

 

 今でも、お花ぎつねの孫のそのまた孫たちが、町やお寺を守っとるという話や。

 

お花きつねの逸話、これ以外にもあるようです。

例えば、明治の時の逸話。

大通寺に単身赴任してきたお坊さんが、洗濯をしようと思ったんだけど、今日は上着だけにしておこうと思って下帯は洗わなかった。

次の日、お寺の本堂前にお坊さんの下帯が持ち出されていて、参拝に来たひとたちの目に触れて大笑いされたんですって。

お花きつねの仕業でした。

周囲の人に、赴任してきた時にお土産を「お花はん」に持ってこなかったからだと聞かされたお坊さんは、油揚げをお供えした。

それからピタリといたずらが止んだそうである。

 大通寺では、今でも大広間に梯子がかけられていて、油揚げをお供えする人が後を絶えないんですって。

見たかったな、その大広間の梯子。

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拝観受付時間は、9時からだったんです。

昨夜、御坊参道から見た時には、正面の山門も閉まっていました。

今日は山門は開いていたけれど、拝観には早すぎた。

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境内には入れたものの、御本堂やお庭の拝観受付時間にはまだ1時間もある。
しょぼん。

 

山門のあたりを歩いてみました。

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山門は大きすぎてこの距離だと全部映りません。

あら? ここにも天香さんの石標がある。

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「天香さん信仰の原点」と書いてあります。

西田天香さん、、、興味がつのる。

 

右にパーンしてみた。

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f:id:garadanikki:20170909100739j:plain真宗大谷派 長浜別院 大通寺は、真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぎ、こちらは別院となります。

 

本尊は阿弥陀如来。

山号は「無礙智山」。

 

別名は「長浜御坊」で、

「長浜別院」「大通寺」と略称されたりもしています。

 

 

 

山門から御坊参道を返りみる

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この門だけでも凄い。

大通寺山門 附山廊 ( つけさんろう )   長浜市指定有形文化財だそうです。

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「江戸時代初期、長浜城 ( 当時廃城 ) 内に設けられた大通寺は、慶安2年 (1649 )に彦根藩第2代藩主 井伊直孝の土地寄進によって現在地に移転した。」

 

 お花きつねの話にあった移転の話ってこのことだったんですね。

 長浜城は廃城だったので、この頃の感覚としては不便で遠い。

 一方こっちは中心街で便利なところ。

 それで移転派と反対派があったという話が「お花きつね」に出てきたわけか。

 お花はんは、移転反対派にいたずらしたワケだったから、

 移転させたい方だったんですかね。

 

 因みに

 彦根藩第2代藩主-井伊直孝は、NHK大河『おんな城主 直虎』の直虎の孫です。

 テレビでは、直虎 ( 柴田コウ ) の息子 ( 直虎の許婚であった直親の嫡男 ) の虎松を、

 寺田心くんが演じていますが、その虎松 ( 寺田心 ) が成人して井伊直政と名乗り、

 初代の彦根藩主になりました。

 大通寺に土地を寄進した井伊直孝とは、その直政 ( 寺田心 ) の次男です。

 

 日本史で、大名の名前っていうのは、一字を継いだりして混乱しましょう? 

 直虎、直親、直政、直孝っていう具合にさ。

 私は、大河の俳優さんの顔をイメージして覚えたりします。

 直親は三浦春馬さんで、直政は寺田心くんとかって。

 これが私の正しい大河の使い方(笑)

 

「大通寺山門は、上層部、下層部にある二重門で左右に山廊と築地塀を付属する。」

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 これが、その二重門ですか。

 その脇の屋根が、山廊っていうことですか。ふんふん。

 

「記録によれば文化5年 ( 1808 ) に建築が始まり、

 同9年 ( 1812 ) にはほぼ上棟していたとみられる。

 ただし、上棟式が行われたのは天保10年 ( 1839 ) で、

 彫刻等の細部が完備されたのは翌11年 ( 1840 ) である。」

 

 直孝さんが土地を提供したのが1649年、本堂が建立されたのがその後8年の1657年。

 それなのに山門はずっと後だったんですね。

 計算すると151年後になります。

 この大きな山門が出来るまでは、西側の台所門がこの場所にあったといわれています。

 それにしてもこういう建築物って、随分と建てるのに時間を要するものなんですね、

 作り始めたのが1808年で4年もかかって完成させた。

 更に27年後に彫刻など細部が完成したというんですから、凄い。

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「上層内部は板敷で中央に須弥壇 ( しゅみだん ) を設け、

 釈迦如来と弥勒菩薩、阿南尊者が安置されている。

 内部の天井には京狩野派の画人、山縣岐鳳の「天女奏楽図」が描かれている。」

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「僕はびわ湖のカイツブリ」さん によると、夏中法要の期間は、山門の2階が拝観できるのだそうです。

下の記事には、須弥壇に安置された三尊と上部の「天女奏楽図」の鮮明な写真がアップされています。

    なかなか拝見できない写真ですよ、是非御覧になってみてください。⤵

    参考文献 * 『夏中さん』で始まる夏!~長浜御坊 無礙智山 大通寺~  

 

大通寺夏中について

大通寺では、7月2日から10日を「夏中」とし、暁天講座や法話、夏の御文の拝読などが行われます。仏教の故郷 インドでは、僧たちが雨の多い季節 ( 雨季 ) は虫も多く、外を歩くことで生き物を踏みつけ、命を奪うことになるため、外出をひかえて勉学に励む「夏安居 ( けあんご )」が開かれていました。その「夏安居」が「夏中」の起源であると伝わります。 

 

 

「なおこの山門は京都の東本願寺の山門を模して造られた。

 その後東本願寺の山門が焼失した際の再建には、この山門が参考にされたといわれている。」

 

 本願寺の別院といったもこりゃ由緒ただしき、凄いお寺さんだったんですね。

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 返す返すも残念ですが、長浜別院 ( 大通寺 ) の拝観受付は9時から、

 本殿と、手水舎、神楽殿とそのお池のハスを見て帰ることにします。

 

手水舎

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神楽殿の脇の池、ハスのお花が盛りでした 

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玄関だけでも拝見したかったなぁ。

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また来ます。長浜。

 

観光を続けていると、喫煙者は煙草を吸える場所がなかなかありません。

私は5~6年前に煙草をやめましたので、喫煙所を探すという呪縛から解放されました。

本当に可哀想よね、今の世の喫煙者。

テクテク歩いていると、曳山博物館の前に「POW」と書かれた建物がありました。

その一階に喫煙所があったので、ちょっとひとやすみ。

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MOURI が喫煙中、そのビルを見上げてみました。

・・・なんか廃屋っぽいんだけれど、昔スーパーか何かだったのかしら。

黄色い入口には「まち家横丁」と書いてありますが、全部の階が営業しているようにも見えません。

 

参考文献: Flow Trip -archive- さんの記事⤵

(パウワース 滋賀県長浜市元浜町)  昭和45年(1970)地元60商店が共同出資して設立されたRC造5階建塔屋付、商業面積3693㎡の商業施設である。当初は付近に同様の施設がなく集客力があったが、周辺に同様商業施設及び郊外型商業施設ができると次第に衰退し、来店客、入居テナントが減少していった。昭和63年(1988)隣接する西友を入居させるも6年で撤退、その後は閑散とした状態が続いたが、その間、平成8年に「新長浜計画」が引き継ぎ、平成16年、まち家横町(SUCCES:シュッセ)を1階部分に開業させた。そして平成19年、旧組織、パウワースは解散した。現在は1,2階部分を利用し商店及び長浜黒壁・歴史ドラマ50作館となっている。  

 

何だろう。

一度、衰退した商業施設というのは、次にテナントが入ってもなかなか盛り返すのが難しい。

商店街でも、他の店は続いているのに、一軒だけがどうしても続かないというのがあります。

つぶれ癖がついたというか、店替えを繰り返す一軒が。

一度、マスナスオーラがただよってしまうとなかなか難しいのでしょうか。

 

こちらは向かいにある「曳山博物館」 

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見てみたい気もありましたが、もう少し調べてから再訪するかな。

 

 

JRの線路にあるトンネルをくぐると、

   長浜城 ( 歴史博物館 ) が見えてきました。

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大通寺や、黒塀ガラス館がある東側は、町屋で栄えた地域。

一方、線路の西側は琵琶湖側と城があり、昔は武家町でした。

 

 

東側とは雰囲気がぜんぜん違う。

大きな公園や湖のほとりにはホテルがあったり、テニスコートがありますが、

ひとつひとつの敷地が広く、歩くには退屈な道。

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市民プールってあったっけ?

 

折角だ。

長浜城 ( 歴史博物館 ) の前までは行ってみよう。

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うーん、やはり触手が働かない。

ごめん。

 

階段を昇り、反対側の公園に降りてみました。

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「なんかさ、太閤井戸っていうのがあるらしいぜ」

行ってみました。

・・・・・。

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なんとも寂しい気分になりました w

琵琶湖っていうのも、ほとりに立つより遠くから眺めている方がいいのかな。

季節にもよるんでしょうが。。。

 

ということで

本日7時40分から9時まで歩いたのが、赤い線でした。

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ホテルに到着。

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慶雲館と、旧駅舎は結局、開館時間の都合で見られなかったけど、また来ます。

長浜。

それでは次の地に向ってGO

 

 

その前におまけ

針屋橋

遠くになんか見えます。「えっ?見えない?」

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これでもダメ?

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ぜんぜん、動かないのよ、ハシビロコウ並みに。

 

あっ、やっと動いた。

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そうそう、この位横向きになってくれればわかる。

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・・・でも、あーた、誰? アオサギさんとか?