映画『そしてバトンは渡された』を、Amazonプライムビデオで視聴。
感動作なのだと思う、涙は誘われた。
でも「親たちがついていた嘘と秘密とは?」というコピー、ちょっと安っぽくないかしら (;'∀')
この映画はとてもわかりやすく作られている。
映画は小説よりも、一般大衆的にすんなり理解できる必要があるのかも知れない。
原作を読んで鑑賞したいという人だけでなく、出演者が贔屓で鑑賞する人もいるだろうし、
本のように何度も読み直したりできないから《わかりやすい》ことも大事だと思う。
でも、個人的には、この《わかりやすさ》のが少し残念にも思う。
どうわかりやすいのか
原作と映画の大きな差異は、梨花の描き方にある。
原作では ( あえて ) 語られていなかった、梨花の事情を映画では如実に書き込んでいる。
主人公の優子は幼い時に母親を亡くし、男手ひとつで育てられた。
そこに新しいお母さん梨花がやってくる。
ここから梨花の奔放かつ大胆な連れ子生活が始まる
- 父親がブラジルに移住したいというと離婚、義娘の優子は実父に渡さない。
- 優子がピアノに興味を抱くと、お金持ちの泉ケ原さんと再婚。梨花にピアノが弾ける環境を整える。
- 泉ケ原さんに優子を預け、家を出る。
- 久しぶりに帰ってきたら「東大出エリート (森宮さん) と再婚する」と言い、優子を連れて出ていく。
- 森宮さんと結婚するも、ほどなく優子をおいて出奔。
梨花は、実父から優子を引き離し2度の結婚をする。
優子は2人の母と、3人の父を持つことになる。
梨花の、自由奔放でいい加減に見える生き方のワケを、原作では多く語っていない。
それでも不自然でなくすんなり読めたのは著者の筆力の高さにあり、
著者がいかに読者の想像力と理解度を信用しているからだと思う。
原作と映画の相違点
原作では、優子が教師や同級生から「複雑な家庭で気の毒」「可哀そうな境遇」と言われても、
「そんなことはない」と自分がいかに幸せに大事にされてきたかをキチンと表明している。
梨花に対する愛情を、優子に何回も語らせることにより、
著者は《読者がこの本の神髄を理解し味わってくれる》と信じたのだと思う。
では 映画の方はどうかというと、
梨花が何故こんな行動に至ったかを ( ネタバレになりますm(__)m ) 全部 書いている。
- 梨花が水戸さんと出会った時すでに梨花は子供が産めない体だったから
- 梨花が水戸さんとブラジルに行かなかったのは、体力の問題だったから
- 泉ケ原さんや森宮さんと再婚したのは、優子に《ピアノ》と《若いお父さん》をプレゼントする為
- 優子を2人の夫に預けて行方をくらましていたのは、病気の治療の為
- 梨花が優子に会わなかったのは、やせ細った自分の姿を見せたくなかったから
- 余命を知らせたくなかったのは、実母を亡くしている優子から「 ( 梨花 ) ママは死なないでね」という約束を守りたかったから
確かにこういったシーンを足すことで映画はわかりやすくなるし、感動的にもなる。
でも、そこまでしなくても十分に作品のテーマは伝わるのではないかと私は思った。
原作との相違点はこんなところにもあった
原作では、優子と森宮さんの生活を主軸に、回想の形で、優子と実父、優子と梨花、優子と泉ケ原さん、の生活が描いている。
映画の方は、優子と森宮さんの話と、みぃたんと梨花の話と分離し交互に進行させ、
最初の内は、優子とみぃたんが同一人物に思えないよう仕立てている。
こんな風に⤵
優子と森宮さん
主人公の優子 ( 永野芽郁 ) は、義父「森宮さん」と暮らしている。
森宮さん ( 田中圭 ) が結婚した女性は、連れ子の優子をおいてどこかに行ってしまった。
血の繋がらない優子と森宮さんの生活は傍から見れば奇妙で複雑だが、当人同士はいたって自然体。
特に森宮さんの父親っぷりは大したもので「優子ちゃんを嫁に出すまでは父親の使命を全うする」と頑張っている。
みぃたんと梨花
妻を亡くした水戸さん ( 大森南朋 ) と1人娘のみぃたん ( 稲垣来泉 ) の家に、新しいママ・梨花 ( 石原さとみ ) がやってくる。
水戸さんと同じチョコレート工場に勤めていた梨花は、みぃたんをひとめ見てママになる決心をする。
だが三人の生活は長くは続かなかった。
水戸さんがブラジルに移住すると言い出すと梨花は猛反対。
「自分の都合を押し付けるなら離婚してもいいわよ、行くなら1人で行って、
私はみぃたんと日本に残る」と、水戸さんひとりを送り出してしまう。
水戸さんと離婚した梨花とみぃたんとの暮らしが始まった。
梨花は、みぃたんの「ピアノを習いたい」という夢をかなえるために、お金持ちの泉ヶ原さん ( 市村正親 ) と再婚するが、何日かすると、みぃたんを泉ヶ原さんに預けて家を出てしまう。
しばらくぶりで帰ってきた梨花は「東大出のエリートと結婚する」と言って、優子を連れて出ていく。
ここまでが、2つのドラマが平行していて、映画の半分まで来たところで、
2つのドラマの、つまり優子とみぃたんが同一人物だとわかる。
映画の変更点で、残念に思った2つのシーン
出しゃばりすぎな早瀬くん
この話をする前に、状況を説明する。⤵
優子は早瀬くん ( 水上恒司 ) と結婚したいと思っているが、森宮さんは猛反対。
そんな中、優子のもとに梨花から手紙と小箱が届く。
小箱には、実父・水戸さんから優子あてに書かれた何百通もの手紙が入っている。
梨花の手紙には、こんなことが書いてある。
- 水戸さんから優子あてに届いていた手紙は、渡さず隠していた
- 優子からブラジルの父に出してほしいと頼まれていた手紙も投函せずに隠していた
- 水戸さんには「優子が会いたくないと言っている」という手紙を出していた
- 水戸さんは日本に帰っていて、青森で所帯を持っていると住所を
- 2人の手紙を自分が隠していたのは、優子が自分から離れていくのが怖かったから
優子は婚約者の早瀬くんを伴い、青森の実父・水戸さんを訪ねることにした。
( このシーンは原作にない )
父親と再会するシーンで、早瀬くんがおもむろに手紙を入った箱を机に乗せる。
早瀬くんのセリフ
「これは梨花さんから送られてきた、水戸さんが優子に書いた手紙です」
早瀬くんのセリフ
「『みぃたん元気でいるか』『みぃたん学校はどうだ』『みぃたん困ったことはないか』『ママの言いつけはちゃんと守るんだぞ』素朴な言葉にみぃたんへの思いがあふれていました」
「どうした早瀬くん、なんなんだ君は!」と、私は思った。
手紙というものは、パーソナルなものだ。
特にこのような父から娘への手紙は、もっとデリケートに扱うべきではないかと思う。
優子が早瀬くんに読ませて聞かせたのは理解するとしても、
娘の優子が父の前で諳んじるのならまだしも、
早瀬くんが、初対面の父親にとうとうと諳んじてみせる意味がわからない。
それに、早瀬君はまだ結婚の挨拶をしに来ただけの立場なのだから《優子》ではなく《ゆうこさん》でしょう!
机の下で優子と手を取り合うという演出も私は解せなかった。
このあと水戸さんが同じような小箱を取り出す。
中には優子からの手紙が入っていて、これも最近 梨花から届いたものだという。
再婚相手の女性が同じように
「パパはいつ戻るの」「パパに会いたい」と手紙の文章を諳んじ、
「みぃたんは本当にパパが好きだったんですね。パパを取ってしまってごめんなさい」という。
こちらはまだわかる。だがやはり早瀬君の方の言動は理解に苦しむものだった。
結婚式の控室での、少しざっぱに聞こえる言葉
早瀬くんの母親 ( 戸田菜穂 ) が、優子のウエディングドレスを整えているシーン
森宮さんがこう言った「また新しい親ができたな」
優子が誰にでも愛される子だと表現したかったのだろうが、
少し唐突で、ざっぱな言い方に聞こえてしまった。
早瀬くんの母親と嫁の優子との関係は未知数で、まだそれほど親密ではないかも知れないのに。
2人の母親と3人の父親がいる優子が「3人目の母親」を持ったということを言いたいのだろうが、もちろんこのセリフは原作には存在せず、映画の方は少々余計な演出、筆が走ったとしか思えなかった。
本日の昼ごはん
つっつきちらしたあとだけれど、ほんとに美味しい鮭だわ
本日の夜ごはん
皮つきじゃがいもを、甘めに香ばしく作りたくて、
固めに下茹でした後、フライパンで焦げ目をつけながら仕上げました。
ソースは、赤ワインとはちみつ
お刺身はMOURI のお土産
メインディッシュは、鶏フライ