10月に入手した光文社版『鉄塔の怪人』を熟読。
実際 子供時代には読まなかった少年探偵シリーズも、
今こうして読んでみると、子どもの心に帰れるのが面白い。
物語は、背中にドクロの模様がある巨大カブトムシが町中を のしのし 歩き回るという荒唐無稽な話で、
小林少年が事件を解決していくといっても《なんだろう》という結末だった。
あらすじを書こうにも、はてなマークが頭について纏まらない。
感想は、と聞かれても「変なの」 としか言いようがない。
それでも読んでいる最中は「それでどうなるの?」「えっ!それから?」と、
続きが気になって仕方がない不思議な魅力を持つ本だった。
どんどんページをめくり、のめり込んでいく様は、魔法にかけられたような感覚だ。
「頭のよい読者なら、もうおわかりですね」というフレーズが随所にでてくるのだが、
最近めったにない手法だなと笑ってしまいながら、
多分このフレーズが昭和の子どもたちを夢中にしたのだろうと思い至った。
筋はともあれ、一番魅かれたのが挿絵だった。
挿絵がページをまたがっていたり、
挿絵に沿って、文章が字おくりされている。
なんと手が込んでいることか
この挿絵を見て、かつてやったことがある《漫画の校正作業》を思い出した。
今でこそパソコンで簡単に出来る時代だが、昔はこのようなページを作るには、
活字をひとつひとつ切り貼りしなくてはならなかった。
多分この本も、漫画の吹き出しの活字を組むのと同じ要領で作られたのではないだろうか。
漫画の吹き出しの活字入れは、昔は編集者の手作業だった
現在のことはとんとわからないが、昔の漫画はこんな手順だった。
1.漫画家の先生が粗いデッサンを描いた時点で、編集者がそのコピーをもらう。
2.先生が描かれた吹き出しにちょうど はまる大きさの活字を活版に注文する。
3.先生が描き終えた生原稿に、出来上がった活字シートから活字を切り、糊で貼る。
例えば、
下図 左のように、丸くて行揃えが出来るものならいいが、
右のように、行をそろえる余地のないような吹き出しの場合は、
二行目の活字を貼る位置を、ちょっと下にずらさらなけばならない。
これも校正の仕事だった。
そういえばもうひとつ。
昔は、複雑な写真やカットが挿入されている雑誌もよく見かけた。
文章がどこにつながるかを示すために、行の末尾と、次の行の頭とに「→」が付けられていた。
件の本は、印刷も粗悪で鮮明ではない。
ただその鮮明ではないことが、ある効果を引き出しているのではないだろうか。
読者の想像力を広げる作用である。
そう思って読み出すと、何とも味わい深いものがある。
またしても、古書がもつ魅力の沼にずぶずぶとハマってしまいそうである。